オーストリア国営放送のHPを開くと、チェコの新型コロナウイルスの感染状況が大きく報じられていた。
最近就任したばかりの疫学者のプリムラ保健相が、自身がマスク着用せずにいたところをカメラマンに撮影され、それがメディアで報じられたため、バビシュ首相から、「君が自主的に辞任するか、さもなければ僕が君を解任せざるを得ない」と通告され、最終的には辞任したというニュースだ。コロナ時代ならではの出来事だ。
バビシュ首相は国民に規制を要求している以上、その担当閣僚(保健相)の軽率な行動に対し厳しく責任を追及せざるを得なかったのだろう。なお、チェコ通信(CTK)が23日夜、報じたところによると、プリムラ保健相は、「自分はコロナ規制に違反していない」と弁明し、辞任を拒んでいるという。
ところで、その記事には数枚の写真が掲載されていた。その1枚はCTK写真記者が撮影したプラハの旧市街広場の風景だ。広場に数人の市民しかいない。観光客の姿は見られない。広場はガラ―ンとしている。同広場には当方は忘れることが出来ない思い出があるのだ。
31年前の夕方、1989年、同広場でプラハ市民の反体制集会が開催された。同国の民主化運動「憲章77」のリーダー、著名な劇作家、後に民主化後初代大統領となったバーツラフ・ハベル氏(Vaclav Havel)氏がデモ集会を国民に呼びかけた。
少し、状況の書割を説明しておく。「憲章77」とは1977年、ハベル氏、哲学者ヤン・パトチカ氏、同国の自由化路線「プラハの春」時代の外相だったイジー・ハーイェク氏らが発起人となって、人権尊重を明記した「ヘルシンキ宣言」の遵守を求めた文書だ。挫折した「プラハの春」後の第2弾のチェコの民主化運動の出発となった(「『プラハの春』50周年を迎えて」2018年8月10日参考)。
同広場にはボヘミア出身(チェコ)の宗教改革者ヤン・フス(1369~1415年)の彫像がある。フスに所縁のあるティ―ン教会が傍にある。フスは当時のローマ教皇を中心としたカトリック教会指導者たちを、「イエスの福音を反故するアンチクリストだ」と糾弾。教皇や教会指導者の逆鱗に触れ、コンスタンツ公会議で異端とされ、火刑に処された(「ヤン・フスとアンチ・クリスト」2015年7月6日参考)。
デモ集会の日の夕方になると、多数の市民が広場に集まってきた。同時に私服警官がデモに参加する市民を監視していた。だから、市民は散歩するような風情で広場周辺に近づく。当方は反体制派からデモ集会開催の時間を聞いていたから、広場で観光客のような恰好で待っていた。
デモ集会の開催時間がきた。広場には緊迫感が漂う。1台の小型車が広場に近づき、車から誰かが降りてきた。ハベル氏だ。同氏は直ぐにフス像に近づき、天に向かってVサインをした。すると、広場にいた多数の市民が一斉にハベル氏のところに集まった。私服警官はハベル氏の周囲を囲む、同氏は胸から紙を出して何かを読み上げていた。
ハベル氏が登場したので、当方は写真を撮ろうとすると、私服警官が当方のカメラの前にきて妨害。集会は短期間で警察隊によって解散させられた。ハベル氏がその時、拘束されたか否かは確認できなかったが、多くの市民が拘束された。当方はデモが解散されると、直ぐにその日宿泊す予定の宿に向かったが、私服警官が追ってくるのではないかと内心ひやひやした。
あれから31年の年月が経過した。CTKの旧市街広場の写真を見た時、一瞬、アレー?と思った。新型コロナの新規感染者が急増しているチェコでは第2のロックダウン(都市封鎖)が実施中だ。旧市街広場から中央駅まで通じる道はプラハ第一の繁華街だが、市民の姿が見られない。広場が死んだようにガラーンとしているのだ。
今年3月、オーストリアでもロックダウンが実施され、ほとんどの営業活動が停止された。市内には人の姿がほとんど見られない。皆どこに隠れているの、と声を掛けたくなるほどの雰囲気だった。プラハの旧市街広場の風景は、当方には31年前のデモ集会の思い出と重なって、その静けさが一層、物悲しく感じた。
チェコの民主化運動(通称ビロード革命)は歴史的な出来事だった。今、同国を襲撃している新型コロナの第2波とその状況も歴史に残る出来事だろう。前者は多くの犠牲者が出たが、人々には当時、明日は必ず良くなるという希望と確信があった。後者はどうだろうか。
同じように多くの死者が出ている。ワクチンが出来れば、新型コロナ感染は数年も経てば忘れられるかもしれない。それとも、コロナ禍を通じて、人々は変わるだろうか。不可視なウイルスとの戦いは不安が先行し、その先が読めないだけに、不気味な焦燥感だけが強まる。
当方は、「1989年」と「2020年」のプラハ旧市街広場の狭間にあって、歴史の歯車が動く音を聞いたような軽い戸惑いを覚えた。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。