中国への「すり寄り」タイの策士ぶり
今、タイ国内はプラユット首相の辞任を要求して学生のデモが続いているが、6年前にクーデターでこの軍事政権が成立した際、アメリカのオバマ大統領を筆頭に欧米民主主義諸国の多くが、軍事政権は民主的ではないとして非難していた。
一方、筆者の記憶では、当時の安倍首相はこの件についてはだんまりを通していたように思う。もっとも、5,000社もの日系企業がタイに進出していただけに、タイ政府に迂闊なことはいえないという立場上、仕方がなかったであろうとは想像できるが…。
これに対してプラユット首相が起こした行動が、中国政府へのすり寄りである。そうなると、アメリカにとってタイは地政学的にも非常に重要で、タイが中国寄りになると困ることから、結局、オバマ政権も次第にトーンダウンしてしまったのである。
そういう意味では、陸軍大将であったプラユット首相は、策士として優秀であった。歴史的にも、タイが欧米列強から植民地化されず独立を保ってこられた理由が、こういう策にたけていたからであるというのは周知の事実でもある。
一方、中国の習政権にしてみれば瓢箪から駒で、思わぬところで味方が増えたわけである。それ以来、中国政府とタイ政府は非常に良好な友好関係が続いているが、それもあって、2016年以降、中国人観光客だけでなく、たくさんの個人投資家もタイにやってきて、コンドミニアムを買い漁るようになった。
中国人のマレーシア人気の理由と異変
ところで、同じころ、中国人たちはマレーシアでもタイと同様、多くの不動産を買い漁るようになっていた。マレーシアでは不動産価格が安くミドルクラスでも容易に買えること、MM2Hビザがあったこと、そして何より中国語が通用することから、多くの中国人ミドルクラスが、家族同伴での居住を目的にセカンドホームとして住宅不動産を買ったのである。
ラグジュアリーコンドミニアムは、他のアセアン諸国に比べて価格が非常に安い。しかも、マレーシアで自己居住用不売動産を購入し、かつ生活費をマレーシアで働かなくても自己資金で賄えるという証明ができれば、マルチエントリーが可能な10年間のビザを発行してもらえるというマレーシア独自のプログラム、MM2H(Malaysia My Seconf Home)があり、東南アジアでも特に人気がある。また、このビザを取得できれば、本人だけでなく同伴家族についても同じく滞在許可が出る。
しかし、タイの英字紙、The Nation Thailandによると、最近マレーシアに移住した中国人たちの間で異変が起きているという。マレーシア政府がMM2Hのビザ発行を事実上ストップする中、中国人移住者の多いボホールのような街では、不動産価格が値下りし始め、不動産を売却して母国の中国に戻る人も出てきているということだ。
その理由の一つに、南シナ海の領有権に関する中国の勝手な振る舞いに対して、マレーシア国民が嫌中意識を持ち始めていることがある。さらに、最近の米中摩擦もあり、最悪米中戦争が勃発した場合、マレーシアは米国側につくと考えていて、その場合、中国人は敵国民となってしまい、マレーシアに住んでいると危ないと考え始めているということである。
では中国人にとってタイは大丈夫かというと、この図で見てもわかるように、タイには米軍基地もないし、南シナ海の領有権をめぐる中国との争いもない。さらに、先に書いたように政治的にも友好関係にあることから中立的な立場でいられるのである。
一方、フィリピンやベトナム、シンガポール、インドネシア、マレーシアなどにとって、南シナ海の90%以上の領有権を主張する中国のいいがかりは到底受け入れられないものであり、タイとは全く状況が違う。
南シナ海と尖閣の違い
タイのオンラインニュース、ポストトゥデイによれば、中国は既にパーセル諸島で20もの基地を建設し、その海域全体を手中に収めようとしていて、フィリピンは急いで海軍増強のために駆逐艦や潜水艦を発注したとのことだ。また、ベトナムとインドネシアも同様に海軍力を急ぎ増強中とのことで、これが中国と繰り広げられている南シナ海の領有権争いの実態である。
しかし、アメリカのペンタゴンによると、中国は今、350隻の軍艦、52隻の潜水艦、2隻の空母、4隻の核搭載大陸間弾道ミサイル艦を持つ世界最強の海軍とのことである。これではASEANで最強の海軍力を誇るベトナムでも到底中国に太刀打ちできない。
ところで、これは尖閣諸島の領有権を主張する中国ともめている日本も同じような状況であるが、実はこのタイのオンラインニュースでは、「10月26日、米軍は尖閣諸島での中国の脅威に対し、(事が起これば)日本に協力して軍隊を派遣すると約束した」と報じてもいる。
日本ではこれをあまり大きく取り上げてないようである。しかし、南シナ海で中国にやりたいようにやられ、不毛な軍備増強を急ぐしかないASEANから見れば、米国という心強い味方がいる日本が羨ましいのかもしれない。
もっとも、いざとなった場合、本当に米軍が助けてくれるかどうかはわからないが、少なくとも日米安保条約の存在は、中国に対する大きな抑止力になっていると思うのである。
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藤澤 愼二(ふじさわ しんじ) バンコクの不動産ブロガー兼不動産投資コンサルタント
2011年、アーリーリタイアしてバンコクに移住。