音楽の都ウィーン市中心部で2日午後8時(現地時間)、北マケドニアとオーストリアの2重国籍を有する20歳のテロリストが通行人を4人射殺し、23人に重軽傷を負わせた銃撃テロ事件が発生した。
警察当局はこのテロリストを射殺したが、共犯者がいる可能性があるとし、市内を厳重に包囲して捜査を続けた。3日午後段階で18件の家宅捜査が行われ、14人が暫定的に拘束された。ウィーン市内だけではなく、ニーダーエステライヒ州のサンクト・ぺルテン市とオーバー・エステライヒ州のリンツ市でも家宅捜査が行われた。ウィーン銃撃テロ事件に関連して隣国スイスでも2人の男(18歳と24歳)が拘束されたという。
4日午前の段階でウィーン銃撃テロ事件は20歳のテロリストの単独犯行の可能性が高いと受け取られてきた。ちなみに、欧州で今年に入って12件のテロ事件が起きたが、その全てが単独犯行だったという。
ネハンマー内相は3日午後の記者会見で事件の経過を詳細に説明した。それによると、テロリストは2日午後8時、ユダヤ関連施設が集中しているウィーン市1区のSeitenstettengasseに来たが、ユダヤ文化協会本部やシナゴークは既に閉鎖されていた。そこで近くの通行人に向かって最初の1発を撃った。時間は2日午後8時だ。銃声を聞いた警察パトカーが現場に到着し、撃ち合いとなった。そしてテロリストは射殺された。時間は2日午後8時9分だった。
射殺されたテロリストは爆弾べルト(ダミー)を所持し、短銃のほか、アサルトライフルをもち、銃弾も十分もっていた。すなわち、彼はユダヤ関連施設を襲撃し、多数のユダヤ人を殺害する計画だったが、警察官に射殺されたわけだ。「9分間のテロ」で終わった。ウィーン市民にとっては幸いだったが、テロリストにとっては想定外の結果でその蛮行の幕を閉じたことになる。
旧東独ザクセン=アンハルト州の都市ハレ(Halle)で昨年10月9日、27歳のドイツ人、シュテファン・Bがユダヤ教のシナゴーク(会堂)を襲撃する事件が発生し、たまたま犯行現場にいた女性と近くの店にいた男性が射殺された。Bはシナゴークの戸を銃と爆弾を使って破壊し、会堂内に侵入する予定だったが、戸を破壊できずシナゴークに入ることが出来なかった。会堂にはユダヤ教最大の祝日「贖罪の日」を祝うために70人から80人のユダヤ人が集まっていた。
ドイツ当局の情報では、Bは鉄のヘルメット、防弾チョッキ、緑色の軍服を着、リュックサックには爆弾や弾薬、手榴弾を所持し、手には複数の銃を持っていた。Bは自身の犯行をビデオ録音していた。35分に及ぶビデオでは「悪いのはユダヤ人とフェミニストだ」と語っている。
ウィーンのテロリストはイスラム過激組織「イスラム国」(IS)のシンパであり、シリアに入国してISに合流しようとした容疑で昨年4月、拘束され、懲役22カ月の有罪判決を受けた(彼は刑務所内の非過激化更生措置を受け、イスラム過激主義から決別したと受け取られ、同年12月に早期釈放されている)。
ハレのテロリストは極右派であり、反ユダヤ主義者だった。2人のテロリストはシナゴークを襲撃し、多くのユダヤ人を殺害するという目的を実現できなかった点で酷似している。2人のローン・ウルフは本来、通行人を無差別に殺害するテロ(ソフト・ターゲット)ではなく、ユダヤ関連施設襲撃(ハード・ターゲット)を狙ったテロ事件を計画していたわけだ。
欧州最大のイスラム教徒を抱えるフランスで9月に入ってイスラム過激派によるテロ事件が多発している。最近のテロ事件はパリの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」がイスラム教の教祖ムハンマドの風刺画を再度掲載したことが契機となった。マクロン大統領の「フランスには冒涜する自由がある」との発言が報じられると、世界のイスラム教諸国を激怒させ、フランス製品の不買運動も起きている。
フランスで10月16日午後、パリ近郊の中学校の歴史教師が18歳のチェチェン出身の青年に首を切られた。その直後、同国南部のニースのノートルダム大聖堂で10月29日、21歳のチュニジア出身の男が教会にいた3人をナイフ(長さ約17cm)で殺害、1人の女性(60歳)の首を切るテロ事件が起きた。そしてウィーンの銃撃テロ事件のイスラム過激派テロリストは20歳だった。3人のテロリストは18歳、21歳、そして20歳といずれも非常に若い。
問題は、イスラム系移民の2世、3世の欧州イスラム教徒(ユーロ・イスラム)がなぜ過激化したか、誰の影響を受けたかだ。ウィーンの場合、考えられるのは、①刑務所でイスラム過激派の囚人と出会った、②イスラム寺院でイマームの影響、などが考えられる。
新型コロナウイルスの感染防止のために接触追跡(コンタクト・トレーシング)をするように、若いユーロ・イスラムの過激化プロセスを徹底的に調査することが、欧州のローン・ウルフ型テロ防止に欠かせられない。「9分間のテロ」後、射殺された20歳の若いテロリストのことを考える時、そのことを痛感する。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。