9日、尾身茂・分科会会長の記者会見が久しぶりに開かれた。感染拡大傾向に入っているので、警戒心を持って取り組みたい、ということで、政府に行った対策提言の細かな説明がなされた。
これに対して、質疑応答では、いつものように、生産的ではないやり取りが繰り返された。記者から「第2波と同じ波が来るのか」「欧米と同じ波が来るのか」といった質問が相次ぎ、尾身会長や脇田(国立感染症研究所)所長から「寒くなったら拡大するという見方にエビデンスはない、そういう傾向があるとしても今日語っているのは人間のファクターが大きいということ」という説明が繰り返された。
記者たちは、相変わらず専門家に気象予報士のような役回りを期待しているらしい。あるいは西浦主義の余韻だろうか。「42万人死ぬ、もし8割削減すれば撲滅できる、中間はない」という考え方がこびりついてしまっているらしい。
ウイルス感染の「波」は比喩に過ぎない
記者たちに限らず、気になるのは、新型コロナウイルスの流行に「波」があることが当然視されていることだ。冬を迎える日本には「第3波」が到来している、ということらしい。それでしきりに人々が、「第3波は大きいのか小さいのか」云々といったことを心配しあっているのである。
社会科学者として痛切に感じるのは、この「波」という概念が「物象化」されて独り歩きしているということだ。あたかも海の波と同じような自然現象であるかのように捉えられてしまっている。
しかし、言うまでもなく、ウイルス感染の「波」は、単なる比喩の表現でしかない。
自然現象としての海で起こる本当の「波」は、人間が関知することなく発生する。たまたま人間のいるところを襲ったりするだけだ。これに対してウイルスの流行は、人間が自分たちで作り出している現象である。
ただ、意図せず無意識のうちに作り出しているだけで、人間的な営みの結果として流行が発生することに違いはない。実際には、「波」など存在していない。存在しているのは、ウイルスを伝播させている人間の活動だ。
物理的には存在していない事柄を、抽象概念で表現しているうちに、あたかも物理的に存在しているかのように誤認していくのは、社会科学者が「物象化」と呼ぶ錯誤である。
かつてマルクスは、人間の労働という具体的な行為が商品経済を通じて法則化されて人間を支配していく「物象化」を、資本主義のメカニズムの中に見出した。その後、「物象化」は、具体的な人間の行為の総体が抽象化されて人間を支配するようになる現象一般を指す言葉として、使用されるようになった。
ニーチェは、「雷が光る」という言い方は間違いで、「光っているのが雷だ(ある種の光の現象を人間は雷と呼んでいる)」と言うのが正しいと指摘し、人間の暴力的な抽象化思考が主語にならないものを主語にして人間の思考を支配している有様を、そして主語を隠ぺいすることによって人間が認識者としての自らの行為の介在も隠ぺいしてしまう偽善を、指摘した。
難しい話は置いておこう。
「怖いから高台に逃げる」は愚の骨頂
要点は、「波」は自然現象ではなく、人間的な営みだ、ということである。
ウイルスが人間社会に侵入すると、人間の行動を通じて、人間の間で、ウイルスの伝播が広がる。「第1波」だ。そこで流行を抑制する行動を人間がとると、「第1波」が終了する。ところが抑制行動を緩和させると、「第2波」が到来する。そこで抑制行動をさらに調整すると、「第2波」が終了する。このプロセスが繰り返されるのが、「波」という比喩を用いてグラフ上で可視化させている現象である。
「第3波」の場合、たとえば冬を迎えて窓の開閉を面倒がって喚起しなくなることが感染の拡大傾向に影響しているとしたら、暖房方法の改善という政策努力で、「波」は抑制可能である。
いたずらに「今度の波は大きいかもしれない、怖いから高台に逃げよう」といった自然現象の津波の対策と同じようにウイルスの流行への対策を考えるのは、愚の骨頂である。そのように考えると、「全国民毎日PCR検査で感染者を全部あぶりだして周囲にいるかもしれない感染者から逃げよう」という発想しかできなくなる。
また、「波」が小さくなったのはウイルスが弱くなったからだ、というふうに、常に外部条件にのみグラフの曲線移動の理由を求めることも、正しいとは思えない。人間的な営みとしての「波」の発生と、抑制策の繰り返しを、あたかも完全に自然現象であるかのようにみなすことに、私は懐疑的である。
いわゆる「第2波」が到来したとされていた時、日本では新規陽性者数に対して死者数が抑制されていた。これをもってウイルスが弱毒化した云々といった議論もあったが、実際には高齢者や慢性疾患者の致死率(だけ)が高いことがさらに広く知られて社会的防衛の方法が進んだことや、治療方法の進展があって、致死率が下がったのではないか。少なくとも万人に対して等しくウイルスの殺傷性がなくなったわけではない。
「第1波」の学習効果で「第2波」の死者数抑制
グラフを見てみよう。日本の「第2波」は、「第1波」と比べて、一日当たり新規陽性者数では2倍程度の大きさになっているように見える。
ところが1日当たり死者数で見ると、3分の2程度の大きさで抑制された。
これを見てウイルスが弱毒化した、と考える人もいたが、証拠がないと思う。人為的な努力によって死者数が抑制された、「第2波」では、「第1波」の時以上の学習効果が働いた、と評価する方が、より自然だ。
現在、ヨーロッパを巨大な「第2波」が襲っているとされる。これは私に言わせれば、巨大な「第1波」に対する厳しいロックダウンなどの対策の効果が薄れた後に発生している現象である。日本と比したときの欧州諸国の「波」の大きさや長さの違いは、流行の度合いや社会政策の度合いによって決まっている。
致死率だけを見ると、ヨーロッパ全域で劇的な改善が見られる。「第1波」を大きく超える新規感染者が発生しているにもかかわらず、「第1波」を上回る死者数を記録している国はない。日本と同じで、学習効果が働いていると評価することができる。
注目すべきオランダの動向
日本と異なるのは、絶対数が大きい(波が大きい)まま振れていることだ。抑制していても、感染拡大の規模が大きくなりすぎれば、やはりなお看過できない絶対数にまで死者数も達する恐れがあるために、次々とロックダウンに踏み切ることになる。欧州でとられているのは、日本の「第2波」対策よりも、強い措置だ。
しかし、春先の「第1波」に対する措置と比べれば、各国とも緩和した措置だけをとっている。なぜなら、死者数の相対的な抑制を図りながら、日本と同じように「医療崩壊を防ぐ」を判断基準にして、社会政策の内容を決定しているためである。
現在のヨーロッパで注目すべきは、たとえばオランダだろう。致死数を下げて、「第1波」の死者数を上回る状態に達する前に、緩和された社会政策で、「第2波」の新規陽性者数の抑制に成功し始めたように見える(ベルギーも似た傾向があるが、相対的に成績が悪い)。
グラフを見て一目瞭然だが、オランダの「第2波」の一日当たり新規陽性者数は、「第1波」の際の約10倍の高水準に達した。
だが「第2波」の死者数は、現時点で「第1波」の際の半分を超えた程度の水準である。
もちろん、死者数は、陽性者数の遅行指標と考えるべきものなので、今後数週間にわたって死者数の増加が見られることはほぼ確実である。しかし逆に言えば、新規陽性者数がピークアウトしたのであれば、死者数もピークアウトする。最終的には、「第1波」の10倍の新規陽性者数で「第1波」と同程度の死者数になった、ということになりそうである。この場合、致死率は10分の1程度にまで下げた計算になる。
ヨーロッパでは様々な条件から、日本よりもいまだ「波」が大きい(陽性者数と死者数の絶対数が多い)。オランダとベルギー以外では、まだ「第2波」の抑制の糸口が見えていない。むしろ一部の国、特にフランスの状況は非常に悪い。
ただヨーロッパが目指しているのは、日本とほぼ同じものである。恒常的な対策と、段階的な社会政策の導入による抑制管理が、進められている。オランダが目に見えた結果を確定できるかどうかは、注目点だ。
「インテリジェント・ロックダウン」をどう評価
オランダ政府は「インテリジェント・ロックダウン」の概念を好んで用いて、部分的かつ段階的な社会政策を導入する姿勢をとっている。11月に入ってからのピークアウトは、10月中旬に導入した飲食店の閉店措置によるものだろう。
ただしその他の目立ったロックダウン措置はとられておらず、日常生活の中での一層の配慮が求められているだけだ。国境封鎖も導入されていない。
オランダでは、10月になってからようやく公の場におけるマスク着用が要請されるようになっただけで、マスク着用率も日本と比べると非常に低い。その他の社会行動の変容も、日本人からすれば「手ぬるい」ものだ。
とはいえ、ソーシャル・ディスタンスや除菌剤などは普及しているし、喚起の重要性なども徹底されてきているので、全般的に気を付けていないわけではない。「知性的な対応」を強調しているだけあり、少なくとも「第1波」の段階と比して目に見えた改善は図っている。
私は、ここまでくると、一概に日本のほうがオランダより優れている云々といったことはあまり言えないと思っている。オランダはもともと高齢者の安楽死を合法化しているような国だ。新型コロナの犠牲者数の捉え方も、日本と全く同じではないだろう。何を、どのように、いつ行うかは、議論を通じて決めるべき政策判断事項なのだ。
そもそもウイルスの蔓延をゼロにしたいのであれば、全国民に強制的に睡眠薬を飲ませて何か月も眠らせておくしかない。そうではなく、社会的に持続可能性のあるやり方で抑制管理を図りたいのであれば、どの程度の水準での抑制を目指して、どのような措置を、いつとっていくかを、しっかりと議論して判断していかなければならない。
「波」は自然現象ではない。人間が作り出しているものである。尾身会長が、「人間のファクターが大きい」と説明しているのは、そうした意味だ。そのことを意識化せず右往左往していたのだとしたら、意識化しよう。そして、何を、どこまで、いつやるのかを、人間自身がしっかりと考えて決めていく、という政策判断を行っていこう。