中国外務省報道官の「発言」から学ぶ

産経新聞電子版(11月21日付)を開いて国際記事をフォローしていたら、「中国外務省報道官『目を突かれて失明しないように注意しろ』」という見出しを見つけ、驚くというより、外務省高官がそんなえげつない表現で相手を恐喝していいのかと、呆れてしまった。

▲中国の代表的攻撃型外交官、趙立堅報道官(RFIより)

中国語からの日本語訳だから、原語でもそのようなきつい表現だったか当方は確認できないが、「目を突かれて失明しないように注意しろ」という台詞はどうしても国の代表者の一人でもある外務省の報道官が発する言葉ではないだろう。品性があるなしの次元ではない。

その報道官は趙立堅氏。何をそんなに激怒して喧嘩腰となっているのだろうか。産経の記事を読むと、5カ国が機密情報の共有枠組み「ファイブ・アイズ」の活動に文句をつけ、「中国の主権、安全、発展利益を損い、香港独立の主張を宣伝したり、支持したりすることは許さない」という脈絡の中で飛び出した台詞という。

趙立堅報道官は「戦う狼」と呼ばれている著名な外交官だ。北京から派遣された外交官は相手が中国側の要求を受け入れないとリングに上がったボクサーのように拳を直ぐに振るい始めるといわれるが、その代表的外交官だ。知力とやる気はあるが、欧米では中国外交官の「戦狼外交」は評判が悪い(「世界で恥を広げる中国の『戦狼外交』」2020年10月22日参考)。

第2の冷戦時代といわれ、欧米と中国との関係は険悪だが、言葉のやり取りでは既に冷戦は始まっているという感じだ。「目を突かれて失明しないように注意しろ」にはユーモアの余地もまったくない。ただ、野蛮な暴言に過ぎない。それを中国のエリート外交官は発したのだ。

政治家や外交官の語る言葉には、リップ・サービスと呼ばれるように、本音を隠して表面的には丁重な言葉遣いが多い。しかし、会議後、政府首脳が側近に「あのバカなやつは何も分かっていない」とこき下ろすことがある。それにしても「目を突かれて失明しないように…」という台詞は臨場感あふれる表現だけに、恐れすら感じる。迫力があるのだ。

もちろん、趙立堅報道官が野蛮な言葉を外交の世界で最初に語った外交官でも、政治家でもない。思い出すのはイランのマフムード・アフマディネジャド前大統領が「イスラエルを地上の地図から抹殺してしまえ」と暴言を発し国際社会の反感を買ったことだ。イスラエルとイランは久しく険悪な関係で、双方が非難しあっているが、前大統領の「地図から抹殺する…」という台詞は恐ろしいほどリアルな強迫なだけに、イスラエル側も緊張しただろう。

現代社会での「言葉の乱れ」を指摘する有識者が多いが、今始まった現象ではない。言葉、ロゴスの乱れはやはり深刻だ。感染症の新型コロナウイルスは世界で多くの人々を犠牲にしているが、言葉も新型コロナと同じく、多くの人々を殺してきた。

言葉は人に勇気と知恵を与える手段だが、同時に、相手を殺す手段ともなる。言葉は銃やナイフと同様、人を殺すことができるのだ。言葉によるモビング(組織的ハラスメント)は現代版殺人だ。ナイフで刺された傷跡は時間の経過とともに治療することがあるが、言葉で傷ついた跡はなかなか癒されないばかりか、生涯つきまとうことがある。

新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。全てのものこれによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」は有名な聖句だ。換言すれば、人間を含む森羅万象はロゴスが質量を帯びて物質化したものといえるわけだ。そのロゴスの実態というべき人間が発する言葉が乱れてきているのだ。

精神分析学の創設者ジークムント・フロイトは患者が語る言葉を分析することで「無意識の世界」のロゴスに辿り着く分析学を開発した。フロイトにとって「言葉」が不可視の世界の道案内人だったわけだ。フロイトが先述した中国外務省報道官の発言を耳にしたら、どのような診察を下すだろうか。

「言葉の乱れ」はその人の「心の乱れ」の表れとすれば、我々の心の世界は乱れだしていることになる。中国報道官の「目を突かれて失明しないように注意しろ」の発言はその極地かもしれない。中国の外交官だけではない。言葉の乱れは世界的現象だ。言葉を生活の糧とするメディアの世界も例外ではないだろう。

「言論の自由」「冒涜の自由」を主張した結果、どのような状況が起きているかを世界の人々は今、目撃している。たかが言葉、されど言葉だ。繰り返すが、言葉は相手の心を永遠に傷つけるパワーをもっている。同時に、相手の心を慰め、勇気を与える力がある。後者の言葉が社会で溢れる時、きっと少しは善き社会となっているのではないか。先の中国外交官の発言はその意味で立派な反面教師だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年11月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。