イラン当局が解決できない国内事情

長谷川 良

イランIRNA通信(英語版)を開くと、新着記事を含み、先月27日に暗殺された同国核物理学者モフセン・ファクリザデ氏関連の記事で溢れていた。そしてぼぼ全ての記事が「イランの核開発の父」と呼ばれるファクリザデ氏を追悼すると共に、「誰が暗殺したか」に焦点をあわせ、「イスラエルこそ暗殺者」と糾弾している。

▲ファクリザデ氏の葬儀が先月30日、テヘラン北部の墓地で挙行された(イランIRNA通信から)

当方も同事件にイスラエル諜報機関モサドが関与していると考えるが、イラン当局の「イスラエル説」には議論の余地のない確定事実といった印象が余りにも強いのを感じる。英国の小説家アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵「シャーロックホームズ」を凌ぐ事件解明テンポだ。「ファクリザデ氏暗殺事件」解明では先ず犯人(モサド)が分かっていて、それを裏付けるために現場検証、物証収集が行われている、と感じるのだ。

テヘランからの情報によると、①現場に見つかった武器にイスラエルの軍事産業が製造した武器を示す「ロゴ」と特徴があった、②その結果を同国国営英語衛星放送局プレスTVが報道、そして、③同国最高安全保障委員会のシャムハ二事務局長が反体制派組織「国民抵抗評議会」の関与を指摘したという。この3点から、先述したような「やらせ捜査」の印象が生まれてくるのだ。

モサドが関与していたら、現場に武器を残すことはしないだろう。また、自国製を明記したロゴ刻印の武器を犯行に使用するとは考えにくい。イラン当局が反体制派の関与を指摘する時には必ず「国民抵抗評議会」の関与説を挙げる。そして英語衛星放送局が「匿名情報筋」として「モサド説」を国際社会に向けて報じた。以上の3点から、イラン当局が事件の捜査を急いでいると感じるのだ。

前回のコラム「『イラン核物理学者暗殺事件』の背景」(11月29日)では、イスラエルがイランの核開発計画の中心的人物ファクリザデ氏を暗殺しなければならない理由、その実行時期について書いた。ここでは「イランがイスラエルの関与、モサド説を急いで発表した背景」について考えてみたい。

ファクリザデ氏の葬儀は先月30日、テヘラン北部の墓地で挙行された。そこでハタミ国防軍需相はイスラエルへの報復を宣言している。イラン当局は国民に反イスラエルの機運を煽る狙いがあったはずだ。葬儀はその意味で最高の書割となるからだ。

思い出してほしい。米軍の無人機(ドローン)が1月3日、イラクのバクダッドでイラン革命防衛隊「コッズ部隊」のカセム・ソレイマニ司令官を殺害したことを受け、イランは米国に報復攻撃を宣言した。そしてテヘランで数十万人の国民がイランの英雄ソレイマニ司令官の葬儀に参加した。同国の最高指導者ハメネイ師も参加し、棺の前で涙で祈りを捧げている様子が放映され、ソレイマニ司令官の娘が、「米軍兵士の家族も子供たちが殺されるのを聞くだろう」と復讐を誓っているシーンも写し出された。イラン当局は国民に反米を煽る情報工作を展開した。同様に、「ファクリザデ氏暗殺事件」を契機に国民に反イスラエルを煽っているわけだ。

イランでは今年に入りさまざまな事件が起きている。テヘラン西部で7月10日未明、数カ所で爆発事故が起きた。ソーシャルメディアによれば、テヘラン西部地域で複数回の爆発音が聞かれ、1件の爆発は「非常に大きく、一部停電が発生した」という。イラン当局は同爆発事故について報道を控えた。その数日前には、テヘラン東部の軍事関連施設パルチンでガス貯蔵タンクが爆発、北部の医療クリニックでも同様のガス漏れが起きた。そして中部ナタンツの原子力関連施設でも7月2日、火災が発生した。

イラン当局はナタンツの火災事故については、火災事故調査専門家の他、治安関係者も加わって原因を調査したが、同国外務省のアッバス・ムサビ報道官は、「事故調査が進行中なので、現時点では何も言えない」と強調する一方、イスラエルの関与説については言及を避けている。ナタンツで火災が発生した直後、イラン当局は、「火災は小規模で被害は小さかった」と述べ、火災事故を深刻ではないとわざわざ強調している。

火災事故に関するイラン当局の対応はソレイマニ司令官やファクリザデ氏の殺人事件とは明らかに異なっていた。事故が米国やモサドの関与ではなく、国内の関係者のサボタージュの可能性があったからだろう。

ここで看過してはならないことは、イランの国民経済が厳しくなってきていることだ。米政府の制裁再発動を受け、通貨リアルは米ドルに対し、その価値を大きく失う一方、国内ではロウハニ政権への批判だけではなく、精神的指導者ハメネイ師への批判まで飛び出すなど、ホメイニ師主導のイラン革命(1979年)以来、同国は最大の危機に陥っている。そこに中国発の新型コロナウイルスの感染が広がり、国民は医療品を手に入れることすら難しくなっている。国民の不満がいつ暴発しても可笑しくない。

そのような状況下で「ファクリザデ氏暗殺事件」が起きたのだ。イラン当局は今回の事件を宿敵イスラエルの仕業と強調し、「イランの敵は誰か」を国民に改めて明確に知らせてきたわけだ。目的は、外部勢力(イスラエル)の関与を指摘し、国民の関心を外に向けさせ、国内問題から目を逸らすためだ。イランでは国内強硬派が使う常套手段だ。

「ファクリザデ氏暗殺事件」にモサドが関与したことはほぼ間違いない。その一方、イラン当局が事件直後から積極的に「イスラエル関与説」を主張し、国民の愛国心に訴える情報工作を展開させているのには、それなりの理由があるわけだ。イランの国内事情だ。それはイスラエルに向けて数発のミサイルを発射したとしても解決できるテーマではないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。