新型コロナウイルスの感染防止のために銀行もオンライン・バンキングを顧客に勧めている。オンライン・バンキングになれば、買物の支払いから家賃など全ての支払いや口座の決算もオンラインで済ませるから「銀行まで行く手間が省けて助かる」という声を聞いた。銀行まで行くために、市電やバスに乗っていかなければならない高齢者にとっては感染する危険が少なくない。その意味で、オンライン・バンキングは高齢者には朗報だ。
ところで、オンラインで会計を済ますシステムに慣れた頃、銀行から「時間があれば、銀行まで来ていただき、オンライン・バンキングへの文書に署名をお願いしたい」という手紙を受け取った。要するに、一度は銀行の窓口にきて、銀行マンと対面してほしいというのだ。身元確認だ。
銀行業務だけではない。新型コロナの感染防止のために、多くの会議はズームで行われるようになった。欧州連合(EU)の首脳会談も対面会議はめったに開かれず、もっぱらZoom会議だ。時間や交通費が節約できる一方、ディ―ルを得意とする政治家にとっては、その外交力を発揮できるチャンスがなくなった。その結果、面白くない会合が増えたという声も聞く。
ところで、バチカンからのニュースによると、信者が罪を告白し、罪の赦免を神父から受けるために、スマートフォンで罪の告白をしたいという申し出があった。それに対し「スマートフォンでの罪の赦免は有効ではない」という答えが戻ってきたという。神の前で罪を告白し、赦しを得るためには対面告白が不可欠だというのだ(マウロ・ピアチェンツァ枢機卿)。
ちなみに、復活祭もクリスマスも信者参加では開催できなくなったために、フランシスコ教皇はオンラインで記念礼拝をし、世界の信者たちにメッセージを送る。「ローマ教皇のクリスマス記念礼拝は本来、オンラインでは出来ないが、新型コロナの感染防止のためには例外」という。しかし、前述した罪の告解者は懺悔室で神父から赦免を受け、「罪障消滅」の宣言を受けなければならない。
スマートフォンで「私は罪を犯しました」というメッセージを送り、受け手の神父から「分かりました。今後2度と同じ罪を犯さないように。懺悔のために……」と返答のメッセージが戻ってくる。スマートフォンの画面を読んだ罪の告解者は「ありがとうございます」という短い了解を送れば、これで一件落着、という風にはいかないのだ。
神に代わって「罪障消滅」を宣言する神父も銀行マンと同じなのかもしれない。オンラインに繋がっている相手の顔を少なくとも一度は対面しないと、信頼できないのだろう。顔認証システムを導入すれば、相手の身元確認も容易にできるが、フィエス・ツー・フェイスは信頼を得るためにはやはり欠かせられないのもしれない。特に、罪の告白という非常に私的な内容をスマートフォンで解決することに、ひょっとしたら神も躊躇しているのかもしれない。ハッカーが至る所で暗躍している時代だ。告解者にとっても告白の内容が他に漏れる危険性を無視できなくなる。
ディスタンス・ラーニング(Eラーニング)、ホーム・オフィスは新型コロナ時代の新しいトレンドだが、それは一時的な対策ではなく、ポスト・コロナ時代にも利用できるという。例えば、ホーム・オフィスが定着していくのではないかといわれてきた。オーストリアでも連邦商工会議所は会社側と協議を重ねているという。具体的には、ホーム・オフィスの場合、IT機材費、電気代、書籍代から、労働安全問題まで明確な法制化が必要だという声を受けたものだ。
それでは近い将来、Zoom会議、ディスタンス・ラーニング、ホーム・オフィスが主流となっていき、対面会議、学校の授業、会社での仕事は補足的な役割に縮小されるのだろうか。その場合、先生と生徒の関係、上司や同僚との人間関係はどのようになっていくだろうか。オンラインの接続を切断すれば相手が画面から消えていく状況下で、現代のキーワード、チームワークとか友情、子弟の関係は成り立つだろうか。
まとめる。問題は、オンラインで連結された社会で人間関係をどのように発展させていくかだ。オンラインで縦横に連結された社会から逃れるために、オフラインの空間を求める人々も出てきている。「家から出て、外の世界に飛び出そう」といったキャッチフレーズが人々の心を捉えた時代があった。21世紀の今日、「スマートフォンのスイッチを切って、インターネットの接続のない山奥にいこう」というのだろうか。しかし、それでは時代が提供するチャンスを失うことになる。オンラインを利用した積極的な生き方を考えていくべきだろう。
蛇足だが、「対面会合」でも「オンライン会合」でも会合が激論となり、会合が決裂寸前になった場合、どうすればいいだろうか。前者では、相手に嫌味の一言を発して退出するか、やむを得ない場合、拳を振れば会合は終わる。後者はもっと簡単だ。オンラインを切断すればいいだけだ。知恵ある人は両者を巧みに使い分けるだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。