ロシア反体制派活動家の「帰国」

はっきりしている点は、ロシアの著名な反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)のモスクワ帰国は「凱旋帰国」ではないことだ。ベルリンでリハビリをしてきた同氏は今月13日、自身のインスタグラムで「17日にモスクワに帰国する」と語り、仲間に迎えに来てほしいと呼びかけた。

▲ナワリヌイ氏とユリア夫人(2020年10月6日、ベルリンで=ナワリヌイ公式サイトから)

同氏は昨年8月、シベリア西部のトムスクを訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして同月20日、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。飛行機はオムスクに緊急着陸後、同氏は地元の病院に運ばれた。症状からは毒を盛られた疑いがあったが、病院では代謝障害と診断。ナワリヌイ氏の家族がドイツで治療を受けさせたいと要求したが、「患者は運送できる状態ではない」と拒否された。最終的には昨年8月22日、ベルリンのシャリティ大学病院に運ばれ、そこで治療を受けてきた。

ベルリンのシャリティ病院はナワリヌイ氏の体内からノビチョクを検出し、何者かが同氏を毒殺しようとしていたことを裏付けた。英国、フランス、そしてオランダ・ハーグの国際機関「化学兵器禁止機関」(OPCW)はベルリンの診断を追認した。一方、ロシア側は旧ソ連軍用の神経剤が検出されたにもかかわらず、毒殺未遂事件への関与を否定してきた。それに対し、ナワリヌイ氏は昨年12月21日、ロシアの安全保障当局者になりすましてベルリンから電話し、自身を殺害しようとしたロシア連邦保安庁(FSB)工作員から犯行告白を聞き出した。同氏はその内容を公表してモスクワを怒らせたばかりだ。

インスタグラムの写真を見る限りでは、同氏の体調はほぼ回復したことは分かったが、その表情からは先述したように「凱旋帰国」を控えた人間のそれではなく、言い知れない緊張感が伝わってくる。帰国すれば再拘束される危険性が非常に現実的だということ、ひょっとしたら刑務所で長期拘留されるかもしれないからだ。ロシア連邦捜査委員会は昨年12月、巨額詐欺の容疑でナワリヌイ氏に対する捜査を開始している。

ロシアでは今年9月、下院選挙が実施される。ナワリヌイ氏がモスクワ帰国するのは下院選挙で反プーチン集会を開催する計画があるからだ。クレムリンもそれを知っているから、同氏を自由に活動させることはしないだろう。それでも同氏は母国に戻るのだ。

冷戦のソ連・東欧共産政権時代、多くの反体制派活動家が西側に亡命し、そこから母国に向かって共産政権を糾弾したが、時間の経過と共に、西側に亡命した反対体制派活動家の言動はその影響力を失っていったのを多く見てきた。どのような理由からとしても、母国を離れ、西欧諸国に政治亡命した反体制派活動家は母国で迫害されていた時のような政治的影響、国民からの支持は得られない。ナワリヌイ氏はそのことを知っているはずだ。

ナワリヌイ氏は自身のサイトで、「自分の意思からドイツに来たのではない。意識が戻った時、自分はベルリンの病院にいた。だから回復次第、母国に戻るのは当然だろう」と、同氏らしくユーモアたっぷりに語っている。ベルリンでモスクワに向かって大声でプーチン大統領批判をしても効果がないことを知っているのだ。

一方、プーチン大統領は政敵のナワリヌイ氏が西側に亡命したとしても文句を言わないが、モスクワに帰国すれば、黙っているはずがない。ナワリヌイ氏は、「自分が亡命すれば、プーチン大統領は目標を達成したことになる」と強調し、「私は移民した反体制派活動家にはなりたくない、具体的な活動をする政治家でありたい」と述べてきた経緯がある。

モスクワの司法当局は「仮釈放中の規則を破った」という理由で同氏がモスクワの地に着くなり、拘束する意向という。弁護士でもあるナワリヌイ氏はそれを知っているだろう。自由な身で今年9月の下院選の選挙活動ができるとは考えていないはずだ。憲法を改正しても権力の座に執着するプーチン大統領がナワリヌイ氏に自由な言動を容認するはずがないからだ。

ナワリヌイ氏の希望はドイツのメルケル首相だ。プーチン氏はメルケル首相の批判を恐れ、強権行使を控えるかもしれないからだ。ドイツはナワリヌイ氏の人権保護と「ノルド・ストリーム2」プロジェクトをリンクさせてくることが予想される。

脱石炭、脱原発を決定したメルケル政権にとって、安価なロシア産天然ガスの確保は国民経済に欠かせない。ロシアにとっても、ウクライナなどを経由せず直接ドイツに天然ガスを運ぶ「ノルド・ストリーム」計画は経済的であり、欧州への政治、経済的影響を維持する上でもプラスだ。すなわち、ドイツとロシア両国にとって、「ノルド・ストリーム2」はぜひとも実現したいプロジェクトだ。ほぼ完成に近い同プロジェクトの停止はドイツにとっても大きな痛手だが、それ以上にモスクワにとって大きな経済的ダメージとなるはずだ。

今年秋に政界から引退するメルケル首相は自身の引退劇を汚すようなことは避けたいだろう。すなわち、ナワリヌイ氏の人権を無視してモスクワと取引することはしないはずだ。淡い期待だが。

ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件後、メルケル首相はモスクワを厳しく批判してきた。ベルリンの公園で2019年8月、チェチェン出身の元反体制派指揮官が射殺された時よりも、その批判のトーンは厳しかった。プーチン氏は、「ナワリヌイ氏の件は国内問題だ。ベルリンが干渉すべき問題ではない」と反論したが、メルケル首相はロシアに圧力を強めてきた。プーチン氏にとって予想外だったはずだ。

メルケル氏は過去、ロシアとの関係を「戦略パートナー」と見なし、ロシアの国際社会への統合を支援してきたが、ここにきて再考を余儀なくされてきている。「ミュンヘン安全保障会議」(MSC)のヴォルフガング・イッシンガー議長はシュピーゲル誌とのインタビューの中で、「残念ながら、独ロ両国の戦略的パートナーは終わった」と強調し、ドイツを含む欧州はロシアに対して強硬な制裁を実施すべきだと述べている(「独ロ『戦略パートナー』関係の終焉か」2020年9月3日参考)。

いずれにしても、国際社会は、ナワリヌイ氏のモスクワ帰国後の動向に関心を注ぐべきだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。