独ロ「戦略パートナー」関係の終焉か

ベラルーシのルカシェンコ大統領の反体制派活動家への弾圧が強まってきた。装甲車を動員し、抗議デモに参加する国民を次から次へと拘束するシーンはルカシェンコ大統領の“最後の発悪”ともいえる状況だ。26年間、君臨してきたルカシェンコ大統領は自身が築いてきた王国が崩壊する音を聞いて不安に悩まされているのだろう(「独裁者が国民に「恐れ」を感じだす時」2020年8月20日参考)。

▲ロシアの反体制派活動家ナワリヌイ氏を特集する独週刊誌「シュピーゲル」2020年8月29日号の表紙

▲ロシアの反体制派活動家ナワリヌイ氏を特集する独週刊誌「シュピーゲル」2020年8月29日号の表紙

ところで、国民に不安や恐れを感じている独裁者はルカシェンコ大統領1人ではない。ベラルーシの数少ない同盟国、ロシアのプーチン大統領もベラルーシの反体制活動を他人事のように静観してはおられなくなってきたのだ。21年間君臨してきたプーチン大統領は26年間の独裁政治を続けてきたルカシェンコ大統領と同様、政権から追放される日が近いことを感じ出してきているのだ。

ロシアの著名な反体制派活動家ナワリヌイ氏はシベリア西部のトムスク市を訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして8月20日、モスクワに帰途の途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。飛行機はオムスク市に緊急着陸後、同氏は地元の病院に運ばれた。症状は毒を盛られた疑いあったが、病院では代謝障害と診断。ナワリヌイ氏の家族がドイツで治療を受けさせたいと願ったものの「患者は運送できる状態ではない」といわれ拒否されたが、最終的には22日、ベルリンのシャリティ大学病院に運ばれた。

ナワリヌイ氏の仲間、ウラジミール・ミロフ氏は、「プーチン大統領は大統領選の不正に抗議するベラルーシ国民の抗議デモを見て、パニックに陥ったのだ。その結果、ナワリヌイ氏の毒殺を指令した」と強調、ベラルーシの抗議デモとナワリヌイ事件は密接な関係があると主張している。

ナワリヌイ氏は事件の1週間前(8月13日)、同氏のユーチュ―ブ番組「ナワリヌイ・ライブ」でベラルーシの抗議デモを詳細に報道し、ベラルーシの抗議デモはロシアの近未来を映し出しているとして、「水晶玉で占うようにプーチン氏は自身の未来を見ることができる」と興奮気味に語っている。

シャリティ大学病院でナワリヌイ氏を診察した医者は2日後、同氏の体から毒物反応があったことを明らかにした。具体的には、コリンエステラーゼ阻害剤の有効成分群の物質による中毒の可能性があるという。それではその毒物はどこから来たのか、誰が毒を盛ったのか、等々の疑問が湧いてくる。

西側のロシア消息筋は、「モスクワの最上層部の指令がない限り、ナワリヌイ氏を毒殺できない」と指摘、プーチン氏かその最側近がナワリヌイ氏の毒殺を命令したと考えている。

プーチン大統領とメルケル首相(ドイツ首相府サイトより)

独週刊誌シュピーゲル最新号(8月29日号)の社説はベラルーシの現状とロシアのナワリヌイ事件の関連性を指摘し、「プーチン氏は自身の政権に反抗する国民はナワリヌイ氏のような運命が待っていると警告する意味があったはずだ」と受け取っている。

プーチン大統領はナワリヌイ氏の名前をこれまで口にしたことがない。クレムリンの報道官も今回、ナワリヌイ氏を名前で呼ばず、「ロシア人患者」と呼んでいる。プーチン氏がナワリヌイ氏の名を呼ばないのは同氏が重要な人物でないからではなく、非常に危険な人物であり、プーチン氏が願うロシア政情の安定を覆す人物と受け取っているからだ。

メルケル首相はナワリヌイ氏を自分のゲストと述べ、毎日、病院から同氏の病状の報告を受け取っているという。なお、シュピーゲル誌によると、ナワリヌイ氏のベルリン移送はメルケル首相がプーチン氏に直接要請したのではなく、同首相の要請を受けたフィンランドのサウリ・ニーニスト大統領がプーチン氏を説得した結果という。

ちなみに、ロシアの反体制派政治家、活動家は過去、毒殺されたり、射殺されたケースが少なくない。2、3の例を紹介する。

①ソ連国家保安委員会(KGB)、ロシア連邦防諜庁(FSK)の職員だったアレクサンドル・リトビネンコ氏は英国に亡命後、モスクワを批判したが、2006年11月23日、ロンドンでポロ二ウム210によって毒殺された。

②英国で2018年3月4日、亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘が、英国ソールズベリーで意識を失って倒れているところを発見された。調査の結果、毒性の強い神経剤が犯行に使用されたことが判明によって。治療を受けてきた両者は生命の危険は脱し、健康を回復した(「英国のスクリパリ事件の『核心』は?」2018年4月21日参考)。

③ジャーナリストであり人権活動家だったアンナ・ポリトコフスカヤ女史は2006年10月7日、射殺された。チェチェン紛争の実態を報道した記事がモスクワを怒らせたといわれている。

④エリツィン大統領時代に第1副首相を務めたボリス・ネムツォフ氏は人民自由党で反体制派活動でプーチン氏を厳しく批判。2015年2月27日、モスクワ川にかかる橋の上で射殺された。

欧米社会からクレムリンの関与を追及される度に、プーチン大統領は「西側の反ロシアキャンペーン」と一蹴してきた。スクリパリ事件でも明らかなように、モスクワはこれまで事件の全容解明に関心を払ってこなかった。

興味深い点は、メルケル氏はロシアとの関係を「戦略パートナー」と見なし、ロシアの国際社会への統合を支援してきたが、ここにきて再考を余儀なくされてきていることだ。その直接の契機は、①ロンドンのスクリパリ事件、②ベルリン動物園での亡命チェチェン人殺人事件(2019年8月)、③ドイツ連邦議会へのハッカー攻撃、そして今回の④ナワリヌイ氏事件だ。シュピーゲル誌は社説の中で「ロシアを欧州のパートナーと考えるのは馬鹿げている。ロシアは世界政治の破壊勢力だ」と報じているほどだ。

欧米で最も権威のある民間主催の「ミュンヘン安全保障会議」(MSC)のヴォルフガング・イッシンガ―議長はシュピーゲル誌とのインタビューの中で、「残念ながら、独ロ両国の戦略的パートナーは終わった」と強調し、ドイツを含む欧州はロシアに対して強硬な制裁を実施すべきだと述べている。例えば、ロシアとドイツ両国が推進中の天然ガスパイプライン建設「ノルド・ストリーム2」の中止だ。いずれにしても、ナワリヌイ氏事件はメルケル首相が推進してきた対ロシア関与政策に決定的なダメージを与えたことは間違いないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。