1月上旬の日本では、急激な新規陽性者数の増加が見られた。押谷仁教授は、これを「疫学的に見ると異常な増え方」と描写した。
もともと年末年始の休みで、検査数のムラがあり、統計が読みにくい時期ではあった。それでも新規陽性者数の激増は数日にわたって観察できたので、事実として激増が発生していたことは確かだろう。
問題は、この激増が、突然の指数関数的拡大の開始を示していたのか、一時的な傾向だったのか、だ。
結論から言うと、後者であったと言える。
新規陽性者数は、この一週間では減少傾向に入っている。少なくとも指数関数的拡大が継続しているようには見えない。
私が素人なりに継続モニタリング用に作っているメモ代わりのグラフを見てみよう。7日移動平均を前週の同じ曜日と比較した際の増加比をグラフ化したものである。
これまでは、もう少し繊細な感染拡大のスピードを可視化するために用いてきたグラフだ。過去2週間の動きは、あまりに劇的すぎるように映している。年末年始のムラが影響しているところもあるのだろう。
だが、それでも押谷教授が言う「疫学的に見ると異常な増え方」があったことは確かだと思われる。そしてそれは、今は反転してきている。
もちろんここまで劇的な増加と反転であると、東京都の通常の7日移動平均の曲線などでも、同じような傾向は見てとれる(ただし一度市中の陽性者数が増えてしまうと、一時的な激増傾向が収まった後もすぐには絶対数は元には戻らないので、増加比ほどには劇的には映らない)。
なぜ1月の上旬にこのような異常な激増と反転が見られたのか?
私が、過去10ヵ月ほどの間の観察で強く感じているのは、新型コロナの感染拡大は、非常に人間的な営みだ、ということだ。
どう見ても、何らかの宇宙の運動法則や定期的な周期にそって感染拡大が起こっているようには見えない。
もちろん、気温や乾燥の影響なのか、換気の困難さなのか、夏より冬のほうが感染拡大しやすい、といったレベルの傾向は世界的に確認できる。予測もされていた。だが週単位や月単位の感染拡大の動きを、科学的法則として説明することは、不可能ではないか。
より多くの人間が、感染しやすい行動をとれば感染は拡大する。逆であれば、逆なのだ。
10月末に「第三波」の発生が確認されて警告が出されると、11月に新規陽性者の拡大は顕著な鈍化の傾向を見せた。人々がよりいっそう警戒したからだろう。ところが12月に入ると増加傾向に転じた。尾身茂・分科会会長が丁寧に説明してくれているが、忘年会シーズンに入り、飲食の機会を通じた感染が増えたのである。
新型コロナの潜伏期間は2週間と言われるが、ほとんどの発症者は5日程度で症状を見せるとも言われる。12月の新規陽性者数の増加傾向は、クリスマスの会食機会の影響が見られるはずの12月末日まで続いた。
その後に発生した1月上旬の「疫学的に見ると異常な増え方」は、このように考えると、年末年始、特に正月の会食機会の影響だった、と考えざるを得ない。数多くの日本人は、コロナ禍であっても、正月を正月として過ごす選択をした。その結果、「疫学的に見ると異常な増え方」が発生した。そう見るべきではないか。
年末年始、カラオケや会食に行った家族から新型コロナウイルスをもらってしまい、重症になって死亡する患者が増えてきた。「年末年始に私があんな場所に行かなければ…」と涙を流して後悔する家族もいる。ただもう、どうか自分を責めないでほしい。十字架を背負わないでほしい。
— インヴェスドクター (@Invesdoctor) January 16, 2021
逆に言うと、正月の影響は、一時的なもので終わる可能性がある。もし数多くの日本人が特別な時期は終わったという感覚を持ち、これまで同様の感染予防に努める生活に戻れば、少なくとも「疫学的に見ると異常な増え方」は終わってくると想定できる。実際に、その反転現象が、今週になって確認されたように見える。
この正月の時期によって引き起こされた「疫学的に見ると異常な増え方」は、あらためて新規陽性者数の増加が「人間的、あまりに人間的」なものであることを痛感させてくれる。
過ぎたことは、もういいだろう。
感染拡大を防ぐために、全国民が、クリスマスはもちろん、正月も無しにするべきだった、と論じることは、可能だ。正月を放棄して、全てを感染拡大防止に捧げることだけをしなかった日本人がいたのは、全て菅首相の責任だ、政府の無策がこのような事態を引き起こしたのだ、と絶望や非難の雄叫びを上げることもできるのだろう。
だが全世界では、一日あたり約75万人、今月中には累計陽性者数は1億人の大台に到達する勢いで感染拡大を続けている。日本人が正月を正月として過ごしてしまって新規陽性者数が一時的な急増を見せたくらいで、絶望のどん底に陥り、政府を呪う言葉を吐き続けることを誓うのは、むしろ現実離れしている。
死者数も増えているが、必ずしも異常値ではない。新規陽性者が増えているから、死者も増えている。今後も感染拡大を抑制する努力を続けていくしかない。
私は、新規陽性者数が正月の山を下りているからといって、緊急事態宣言は不要だった、といった結論を出したいわけではない。政府は、緊急事態宣言解除の目安として、東京の一日当たりの新規陽性者数を500人以下にするという指標を掲げている。「医療崩壊を防ぐ」という、従来から日本が一貫して重視してきている目標を達成するために必要と思われる数値だということだろう。この数値に到達するには、しばらくかかると思われる。緊急事態宣言も、一つの方法だ。
過去1年近くの新型コロナとの取り組みの中で、日本人はこのウィルスの特性を理解してきている。そして人間的な取り組みで感染を避けようとしたり、人間的な気持ちで「正月くらいは・・・」と思ったりしている。緊急事態宣言下で自粛していることもあれば、自粛していないこともあるだろう。まずは日本人が自分たち自身で考えて行動する能力を信じ、それを支援する方法を講じていくしかない。緊急事態宣言は、共産主義化を図るための第一歩ではなく、感染予防を推進するための社会的雰囲気を醸成するための手段である。冷静に運用したい。
メディアは相変わらず「外出者が劇的には減っていない!」などといったニュースを作り続けているが、いつまでも「人と人との接触が8割削減されるとウィルス撲滅」、「6割以下では感染爆発で数十万人死ぬ」、といった乱暴な物差しだけでニュースを作るのは、やめてほしい。
新規陽性者数が増加すると、季節労働者のような「感染拡大期の煽り系の専門家」がメディアに登場してくる。感染が減少してくると休暇をとるようだが、拡大期に入ると荒稼ぎをする出稼ぎ労働者といってもいい類の専門家たちだ。私は、以前はこの人たちの言説をチェックしたりしていたが、もはや面倒でチェックもしていない。他の多くの人たちも、やはりそうなのではないだろうか。
他方、私は、尾身茂・分科会会長と、そのブレーン的存在である押谷仁・東北大教授については、「国民の英雄」と呼んで、称賛し続けている。尾身会長は、その堂々とした振る舞いから、菅政権誕生後は、首相よりも首相らしいとまで評価されている。尾身会長がいて、本当に日本人は幸運だ。
尾身会長や押谷教授が素晴らしいのは、感染拡大が「人間的な」事象であることを理解して行動しているように見えることだ。ともにWHO西太平洋事務所でSARS対応に当たった経験を持つ公衆衛生のスペシャリストだ。
私としては今後とも尾身会長や押谷教授のような、感染症の知識に加えて、公衆衛生が「人間相手」の作業であることを理解している方々の発言だけに注意を払っていきたいと思っている。それが本当に必要なことだし、それ以上はいらない。