湾岸戦争から30年:遠のいた国際協調主義

鎌田 慈央

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湾岸戦争の意義

湾岸戦争の勃発から30年を迎えた。この戦争はイラクによるクウェート侵攻を受けて、アメリカを主導とした多国籍軍がイラクに武力制裁を加えるという大義名分で始まった。

また、この戦争は世界規模の国際協調主義の萌芽が見られた戦争でもあった。

よく見落とされがちな湾岸戦争の意義は、国連安保理の決議によって多国籍軍の武力行使に正当性というお墨付きが与えられたことである。そして、その意義を理解するためには、国連安保理と武力行使の関係性についての歴史的背景を知らなければならない。

第二次世界大戦後の国際秩序は国連の安保理の決議に基づいた集団安全保障によって担保されるはずであった。

集団安全保障は集団的自衛権とは違うものである。後者の場合は自国の生存を守るための自衛行為の一環であるが、前者は自らの生存が直接的に脅かされる危険性がない場合でも参画が要請される武力行使の一種である。また、前者が発動された場合、全ての国連加盟国が制裁に参加することが求められている。

そして、集団安全保障が効果的に機能すれば、国際社会から束となって侵略国に制裁を加えることが可能になり、その可能性が未来に起こる侵略行為を抑制させると考えられていた。

しかし、集団的安全保障を担保するはずだった、国連安全保障理事会(国連安保理)が米ソ対立の激化によって機能不全に陥ったことで、その構想は再考を余儀なくされた。米ソ両国は国連安保理の常任理事国であり、集団安全保障の要請を拒否できる拒否権を持っていたため、お互いの利益に与しない武力行使を拒否権行使によって妨げる事態が常態化した。

そのこともあり、1950年の朝鮮戦争で国連安保理が集団安全保障の行使を許可して以来、国際社会が一体となって侵略を抑止、又はそれに対して制裁を加える機会は無かった。しかし、1950年の安保理決議がソ連が国連安保理を欠席している間に行われたことを考えると、国際社会の総意に基づいた集団安全保障は発動されたことが無かったと表現してもおかしくない。

可能性が感じられた1991年

だが、ある世界的な事件をきっかけに、長らく忘れられていた概念が再び国際社会の舞台に舞い戻ってきた。冷戦の終結である。

そのこともあってイラクの侵略行為が行われたことに伴って、安保理が本来の役目を果たす余地ができた。イラクのクウェート侵攻を受けて、アメリカとソ連は共同記者会見でイラクの侵攻を糾弾し、そこからはスムーズに安保理の決議を採択され、イラクの侵略行為に対して制裁を加えることに国際社会が正当性を与えた。

また、長らく対立していた米ソが手を取り合って侵略行為に立ち向かい、国連を通じて武力行使された1991年という年は、国際協調主義がこれから広がり、真の意味での世界平和の実現されるという期待感を人々に与えた。そして、1991年の湾岸戦争は、その期待感が現実のものになっていく過程での発着点になるはずだった。

あれから30年、自国第一主義の台頭

しかし、あの戦争から30年経った2021年、どうしても、あの時代に抱かれていた期待感がナイーブなものであったと考えるしかない自分がいる。

冷戦終結した後、すぐにソ連は崩壊し、アメリカの力を制御する対抗勢力が存在しないアメリカ一強の時代に突入した。しかし、それはアメリカの台頭を良く思わない国々のナショナリズムを刺激する遠因となった。

米国内で台頭した民主主義を広めるためには武力行使をいとわない新保守主義者、通称ネオコンたちが権力を握ったことにより、権威主義国や独裁国家が武力で倒される事態が頻発した。

また、時にはイラク戦争のように国連安保理の許可を得ないまま、アメリカは武力を行使した。

その結果、国家主権の尊重を重視し、権威主義的な性格を持つ、同じく国連安保理の常任理事国である中国やロシアといった国々との確執を強め、対立を不可避とした。

そして、自らもアメリカに政権転覆された国々と同じ道をたどってしまうという警戒感から、アメリカ一強に反発する勢力は、その状況を力で変えるという意思をあらわにし始めた。ロシアはジョージア、ウクライナを侵攻し、中国は海洋進出を続け、イランや北朝鮮は核開発を秘密裏に進めてきた。また、アメリカ自身もトランプ大統領が誕生してから、自国第一主義に基づいた政策を進めるようになった。

世界各国は他国の利益を顧みず好き勝手に行動し、国際協調主義のかけらさえも見えないというのが、2021年現在の悲しい現実である。

日本は傍観者でいいのか?

最後に、これを機に日本について振り返ろう。残念ながら、自国第一主義を追及している国々に対して日本はとやかく言える立場に無いと筆者は考える。なぜなら、日本は戦後、国際社会の一員でありながらも、自国を中心に考え続けていたからである。

日本は戦後の焼け野原から、完全に社会を立て直すことに成功し、国際社会の安定に寄与する力があったのにも関わらず、憲法の制約を盾にそれに寄与することを拒否し続けてきた。30年前の湾岸戦争では、お金を払ってでも、国力に見合った国際貢献をすることを回避しようとした。

また、湾岸戦争での対応によって国際社会から非難を受けて、国際貢献に貢献するための法律をある程度は整備したものの、依然としてその担い手である自衛隊もまた法律によって手足を縛られた状態であり、自衛隊の方々が完全な形で平和維持活動に務めることができない現状がある。

国際協調主義の萌芽が見られてから30年経ち、自国第一主義が吹き荒れる現在を生きている我々は、自国の行いを見つめなおす必要があるのではないか?国際協調の精神を再び植え付けるために尽力するべきではないか?