コロナ禍の下での醜聞。政府与党への怒りと、同時に感じた「自責の念」
共に政権与党の一員として国政の舵取りを担う方々の醜聞から、間もなく1週間。自民党・松本純衆議院議員と公明党・遠山清彦衆議院議員の国民感情を無視した行動に政府与党としては沈静化を図りたい思惑が透けて見える一方で、国民感情を逆なでせんばかりの対応には、不偏不党の立場を抜きにしても怒りがこみ上げます。
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12人がコロナ感染 二階派“秘書軍団”が「和歌山カラオケバー会食」(文春オンライン)
弛緩しきった与党の横面(よこっつら)を引っぱたいてやりたい一方で、野党の不甲斐なさと同時に、一連の体たらくは有権者に対する「しっぺ返し」なんだろうかという自責の念にも駆られます。与党と野党、そして有権者。それぞれが猛省すべき点を、教訓として振りかえりたいと思います。
猛省点その1:「バレなければ、何をやってもOK」そんな考えが与党に蔓延してはいまいか
昨年末には菅総理や二階幹事長といった政府与党の重職がコロナ禍の中でステーキ会食を行ない、国民から総バッシングを浴びる一幕がありました。それにも関わらず今回の不祥事が起こったのは、長らくの因習にあるのではないでしょうか。
「バレなければ、何をやってもOK」そんな風潮が今の政治シーン、とりわけ政府与党には蔓延してはいまいか。そこを改めて問いたいのです。コロナ禍の下での立ち振る舞いに限りません。つい先日に一審判決が出たばかりの議員夫妻の件も同様で、こうした信に背く行為は、有権者の気力を削ぐのです。それを痛切に感じていただきたい。感じるだけでなく、態度と行動で示していただきたい。
国対副委員長の任にあった松本純議員は、役職辞任を申し出ました。
また遠山清彦議員も自身のYouTubeで謝罪の動画を公開されています。
あくまでも私見ですが、いずれも選挙で選ばれた立場として、やはり選挙でこそ信を問うのが賢明と思われます。私ならば議員辞職までは求めないにしても、比例区との重複公認返上はあってしかるべきだと考えます。道徳的に許されないとしても、選挙という国事行為にのっとり、しかるべき有権者の審判を仰げばよろしい。果たして自民党と公明党は、どのような処断を下すことができるでしょうか。有権者は見ています。
猛省点その2:それでも支持を得られない野党の「言葉の荒蕪(こうぶ)」
与党の相次ぐ失態に対しては野党からも非難の声が巻き起こる一方、現在の野党の不甲斐なさを象徴する出来事もありました。
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これは何も菅総理の肩を持つわけではありませんが、昨年で130周年をむかえた憲政史を紐解いても、政府与党の言論、とりわけ宰相の演説が喝采を浴びた場面は極めて稀です。私が記憶する限りでは、1960年(昭和35年)に当時の池田勇人首相が故・浅沼稲次郎議員の遭難に対して行なった追悼演説ぐらいです。
そもそも議会史における雄弁や熱誠の数々は明治期の田中正造しかり、大正期の尾崎行雄しかり、そして昭和戦中期の斎藤隆夫もまたしかり。もともと在野党の独壇場なのです。政権に一矢報いるために、有権者を鼓舞するために、皆さんの先人は己の言葉を磨いてきたわけです。平成期とてその系譜は途絶えてはいません。「がん基本法」の成立に尽力された故・山本孝史議員などは、与野党の垣根を越えて傾聴すべき言葉と信念を持ち合わせた、旧民主党の中でもひときわ誇らしい真の政治家でした。
その末裔、あるいは継承者としての自覚を、現在の野党の皆さんはお持ちだろうか。なぜ、政府与党の面々を唸らせ、与野党の立場を越えた共感を呼び起こすことができないのか。言葉が荒蕪(こうぶ)し、やせ細っていることを危惧するべきは野党の皆さん自身ではあるまいか。憲政の先達に恥じない言論を展開していただきたいと願います。
野党ばかりでありません。与党の方も野党の方も、己の支持者だけを見ていてはいけません。1億2千万余りの、国民すべてを背負っている自覚が欲しい。バッジを戴くということは、そういうことだと私は思います。
猛省点その3:与野党の不甲斐なさを生んだのは、他ならぬ「いまの選挙」であるという事実
与党もひどければ、野党もひどい。しかしながら、そうした破廉恥な議員を選んだのは、他ならぬ有権者だということを避けるわけにはいきません。中には「そんなこと言っても、私が票を入れたわけじゃないし」そういう意見もあるでしょう。納得いかない方もいることでしょう。
けれども、それ以上にマシな制度は今のところないのです。有権者たる私たちにできることは3つあります。1つめは、与えられた1票を無駄にしないこと。自分の頭で考え、1番望ましい候補者に託すこと。2つめは、賛同できる候補者を応援し、育て鍛えること。
3つめは前述の2つを包含する形になりますが、有権者一人ひとりが「政治の目利き」になること。支持する候補者や議員のみならず、相対する立場であれ、ファインプレーは認める。その逆は咎める。それを繰り返していくよりありません。一見すると果てしないようではありますが、それ以外に私には思い浮かばないのです。
松本さんも遠山さんも、アウトだよね。総理に噛みつく蓮舫さんも、アカンよね。そう云い捨てるのは一見、楽なのです。けれどそこで止まっていては、何も進みません。私なら、そこを乗り越え「ならばどうするか」を模索しようとする政治家を応援したいし、そういう人にこそ与野党にかかわりなく活躍していただきたい。
鼻をつまみ顔をしかめたくなる醜聞を機に、そんなことを思いました。