インサイダー取引規制ーガバナンス改革で「重要事実の決定時期」は変わるか?

先週は三菱自動車燃費偽装の集団訴訟で購入代金の一部返還が認められた判決(大阪地裁)、土曜日にご紹介した株式譲渡契約の無効確認判決(東京地裁)など、コンプライアンス経営に関わる重要判決が多かったのですが、本日ご紹介する判決もそのひとつです。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

少し前ですが1月27日の日経朝刊(社会面)に「課徴金命令取り消し モルフォ役員インサイダー認めず(東京地裁)」との見出しで、上場会社役員に下されていた課徴金納付命令が裁判で取り消されたことが報じられていました。2015年12月、東大発ベンチャー企業のモルフォがデンソーと業務提携することを公表しましたが、金融庁は同社役員が同年8月末にこの事実を知りながらモルフォ株式を買い付けたとして130万円余りの課徴金納付を命じており、これを不服として会社役員側が課徴金納付命令の取消訴訟を提起していた事例です。

訴訟では業務提携することの決定(重要事実の決定)時期がいつだったのか、という点が争点となったようで、国側は「両社の交渉が緊密になった、おそくとも8月4日には決定していた」と主張していましたが、裁判所は「8月4日までには業務提携の規模や内容について具体的に検討された形跡はなかった」として、国側の主張を排斥したそうです(最高裁のHPで確認しましたが、まだ本件判決は公表されていません)。記事中では、会社役員側の代理人のコメントとして、

企業間交渉の経緯や社内での議論を丁寧に検証し、実質的な観点からインサイダー情報の決定時期を慎重に判断する司法の姿勢を示したといえる。企業のインサイダー情報管理の在り方を考える上でも大変参考になると思われる

と述べておられます。インサイダー取引規制といえば、最近は平成25年の金商法改正によって新たな規制対象となった「取引推奨」事例が話題となりましたが、本件では従来からの典型論点である「重要事実の決定時期」が争点となっています。ご承知のとおり、インサイダー取引規制の趣旨が証券市場における不公平な取引防止という点にあることから、会社法上の機関決定(たとえば取締役会設置会社であれば「取締役会での決議」)の時期よりももっと前の「実質的に会社意思が決定された時期」と解されるのが判例・通説となっています。※1

※1 たとえば日本織物加工事件最高裁判決 平成11年6月10日刑集53巻5号415頁。

今回の裁判では、会社役員側から業務提携に関する意思決定プロセスが丁寧に主張立証されたものと思われます(ちなみに会社役員側の代理人は3年間ほど金融庁(証券取引等監視委員会)で勤務経験があり、インサイダー取引規制に精通された方ですね)。これまでの判例理論の変更ではなく、判例理論に沿って個別の事情を積み重ねて処分取り消し判決を勝ち取ったものと思料いたします。

そういった「意思形成プロセス」に光を当てて、裁判所が「実質的に重要事実が決定された時期」を認定するためには、社内における重要事実を誰がどこまで情報を共有していたかを、(立証責任を負担する)課徴金処分の対象とされた側が立証できなければならないと考えられます。上記代理人のコメントから推察するに、おそらくモルフォでは、そのあたりのインサイダー情報の管理体制がしっかりしていたからこそ、役員の処分取り消しに至ったのではないでしょうか。

ところで、今年3月にはコーポレートガバナンス・コードの改訂が予定されており、上場会社ではますます独立社外取締役の人数が増えます。また、経営上の重要な意思決定にはその関与が強く要請されるようになります。そうなると、どんなオーナー経営者が君臨していたとしても、複数の独立社外取締役の力によってオーナー経営者の判断も取締役会でひっくり返る可能性が高まるわけですから、実質的な重要事項の決定時期と、当該事項の法律上の機関決定の時期とは重なり合うことになってくるのではないでしょうか。

「理屈上ではそうかもしれないけど、たとえ社外取締役が3人いたとしても、みんな社長のお友達だから実際にはありえないよなぁ」という反論もありそうです。そして、その反論の根拠は、今まではインサイダー情報の漏えいをおそれてM&A案件は事実上決定するまではごく一部の役員間のみで共有しておこう、といった考え方に共感を得られたからです。

しかし、昨今の企業統治改革の主流は「取締役会改革」です。おそらくモニタリングモデルの取締役会が(国をあげて)推奨されるのであれば、独立社外取締役は、企業の命運を握る業務提携の内容を(できるだけ早期から)しっかりと把握をして、その意思形成プロセスにも「監督」という形できちんと関与することが求められるように思います。きちんとした監督者が存在するのであれば、取締役会で審議が尽くされるまでは「重要事実が決定された」とは認定できないケースが増えるのではないかと。

2020年10月29日の日経ニュースによりますと、2019年に役職員がインサイダー取引(取引推奨)に関わったとして勧告を受けた9社について、証券取引等監視委員会が調べたところ、取引推奨を禁止する社内規程を定めていた会社は皆無だったそうです。上場会社においては、あまりインサイダー情報管理の重要性が認識されていないのかもしれませんが、「会社の役職員を不幸な事件に巻き込まない」ためにも、インサイダー情報管理は今一度徹底するべきであり、またモルフォ事例をみるに、情報管理のメリットも十分にありそうです。


編集部より:この記事は、弁護士、山口利昭氏のブログ 2021年2月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、山口氏のブログ「ビジネス法務の部屋」をご覧ください。