「良き医師」と「良き患者」になる為に

「良き医師に巡り合うことは海岸の砂場で落とした指輪を探すほどに、難しい」といわれた。当方は「良き医師」というか、「良き病院」に出会う恵みがあった。当方の周辺の知人たちには「それはラッキーだ。良き医師を探すのは大変だからね」といわれる。

▲「イタリア北部ロンバルディア州で新型肺炎の感染者が多いのはなぜか」を報じるオーストリア代表紙プレッセ2020年3月24日

当方は40代後半、がんになったが、手術した先の病院の医師や看護師さんはとても親切だった。手術後、集中治療室にいた時、空腹に悩まされた当方に看護師さんは「例外ですよ」といいながら一口サンドイッチを運んでくれた。手術で腫瘍を全摘した時、手術を担当した中年の医師は嬉しそうに当方のところに駆けつけ、「君、腫瘍は摘出できたよ」と伝えてくれた。当方より医師のほうが喜んでいた。

当方が手術を受けた病院はナチス・ドイツ軍の占領下、様々な実験が行われたことで知られていると後でわかったが、病院も医療関係者も親切で、外国人の当方にも丁寧に接してくれた。網膜剥離の時も同病院でお世話になった。眼科医はやはり親切だった。医師は手術前に自分の名前を患者に伝え、挨拶する習慣があるのを知った。医師との出会いではラッキーだった当方は、「良き医師に出会うことは難しい」という声を聞く度に、「そうかな」と呟くだけだ。

薬の処方箋を出すだけで、患者の心配事に余り耳を傾けない医師は確かに多い。医師は、毎日多くの患者と接しているためストレスも多いだろう。どうしても気分がいい時と悪い時が出てくる。その悪い時に出会った患者は「あの医師は真剣に診てくれなかった」と不満が飛び出す。流れ作業のように患者を次から次と処理する循環器医に治療を受けたことがあるが、「仕方がないことだ」と考えた。最新の高価な医療機材を購入した医師にとって、できるだけ多くの患者を扱わないと機材の返済も難しい。どうしても短時間で多くの患者を診ることになるわけだ。

風邪や胃腸の不調、高血圧などの病気の場合、家庭医に通うが、そこから病状に応じて専門医を紹介され、予約を取る。心電図や血液検査などのためなら、近くの総合健康センターに行けばやってくれる。いずれにしても、家庭医は治療の最初の関門となる。親切で患者思いの家庭医の場合、患者は本当にラッキーだ。そうではない場合、苦労が待っている。

家庭医との付き合いがうまくいかず、家庭医を変えたい患者は変えることができる。原則として四半期ごと変えることができる。特別な専門医の場合、セカンド・オピニオンを聞くということで、同時期に2人の専門医に診断を受けることができる。家庭医や専門医を頻繁に変える人もいる。よほど、アンラッキーな患者か、本当に悪い医師に会って懲りた患者だろう。理想は、良き家庭医、医師と出会い、長い期間お世話になることだ。医師は患者の過去の病歴を知っているから、診察もスムーズに行く。

オーストリアでも国の健康保険だけではなく、プライベートな保険をかけている人も多い。後者の場合、病院でも待遇は少し違う。網膜剥離で手術した時、当方のように通常の健康保険だけの患者は4人部屋に入り、別の保険に入っている患者は2人部屋に、といった違いを目撃した。看護人が運んでくれる昼食の食事に違いがあったか否かは確認できなかった。

新型コロナウイルスが欧州を席巻している。崩壊寸前な病院もある。医師は総動員される。医師という職業は本当に大変だ。患者が多すぎて適切な治療ができないばかりか、呼吸器、集中治療室ベットの不足も深刻だ。患者の生死を身近に見る医師たちは精神的にもストレスが溜まる。イタリア北部ロンバルディア州のベルガモ市でコロナ患者をケアしていた若い医師が、亡くなっていく多くの患者を前に助けることのできない現実に絶望、力を失い廊下でかがみこんでいる。その医師に先輩の医師が声をかけ慰め励ましている写真が新聞に載っていた。

このコラム欄でも一度紹介したが、米TV番組「Good Doctor」の話を思い出す。オリジナルは韓国のドラマだが、番組では舞台を米カリフォルニア州の聖ボナベントゥラ病院に移し、そこで勤務する自閉症でサヴァン症候群で特殊能力を持つ外科研究医のショーン・マーフィー(主人公)の歩みを描いている。

病院側はマーフィーを勤務させるかどうかで議論が分かれた。病院関係者の前で「なぜ医師となったか」を問われたマーフィーは「弟とウサギが亡くなった。自分は彼らを助けたかった」と淡々と語ると、病院のお歴々の心を動かした。マーフィーは同病院で働くことができるようになった。

マーフィーは難しい話をしたのではない。人を助けたい、という医師として当然の思いを吐露しただけだ。医師の世界でも長く働いていると、名誉や地位を優先することが多くなる。マーフィーの話を聞いた医師たちは忘れかけていた医師としての原点を思い出したのだ。

「Good Doctor」、そして「Good Patient」でありたいものだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年2月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。