北方領土の話はこのブログで何度となく触れてきました。しばらく蚊帳の外だったこの話題がぽっと上がりました。「プーチン露大統領『対日交渉は憲法内で』 北方領土引き渡し否定か」(産経)とプーチン大統領のメディア関係者とのわずかなやり取りながらもいくつかの主要メディアが取り上げています。
今回の報道のポイントはプーチン大統領が自らの意志で北方領土問題を解決しようとする姿勢を見せず、実務的にラブロフ外相に投げている点です。この変化をどうとるか、そこまで掘り下げた報道はもちろんありません。
私もこの問題を何十年もそれなりに高い興味を持って見続け、コメントしてきたのですが、今回のプーチン氏の発言で北方領土問題の交渉は4-5歩後退したとみてよいでしょう。長年の交渉には進捗があった時期、後退した時期が何度も繰り返されてきました。1998年の橋本総理とエリツィン大統領の川奈会談、および森氏が首相だった2001年のプーチン大統領とのイルクーツク声明は10点評価で言えば可能性が8点ぐらいまで来ていました。交渉の歴史的にもイルクーツク声明は北方領土返還が最も近づいた日であったと記憶しています。
ところが川奈会談、イルクーツク声明共に落とし穴がありました。それは時の政権がそのあと交代したことです。橋本、森、エリツィンがすぐに降りました。つまり、盛り上がった話を形に残すことができなかったのです。
安倍氏はプーチン氏と30回近く会談して本件の前進を図りましたが、何もなく、安倍氏が退陣しました。外野から見ると多分、プーチン氏にとって譲歩する決め手がなかったのだろうと思います。安倍氏は熱意はあったけれどロシアはそんな熱意でほだされる国ではありません。また、ロシア国内世論は北方領土が戦略的エリアであることは10人が10人とも思っているのです。
その昔、坂本龍馬が蝦夷地(北海道)は無法地帯でそのうち必ず、ロシアが南下してきてあの地を狙うから北海道を日本を守る前線にしなくてはいけないと勝海舟を口説き、坂本は土佐の脱藩藩士を函館まで送り込んだことがあります。それ以降、数多くの歴史上の人物がロシアの南下リスクを指摘しました。西郷隆盛の征韓論もそもそもは南下するロシア対策が背景です。
ロシアとすれば極東ではなるべく南に港と基地を確保することは歴史的使命なのであります。ロシアの立場に立てばあの日露戦争の時と同様、ウラジオストックが極東の最大の基地。そこから太平洋に出るルートとして北海道と樺太の間、間宮海峡を抜け、北方領土の間を抜けるルートは戦略上欲しいはずです。また、北方領土が直接太平洋に接しているわけで対アメリカ構想を考えれば私なら返さないし、返せないでしょう。
今回、プーチン大統領の日本との交渉で気が抜けたようなコメントを発したのは安倍氏がいなくなったこと、菅氏の手腕、将来のロシアとの関係を見据えたうえで今は交渉進捗の時ではないと考えたことが一つあります。もう一点はプーチン大統領の保身であります。国内で民主派の動き、ナワリヌイ氏問題などで足場を固めなくてはいけない時期であり、いま菅政権と極東政策について議論しても何も進捗はないと読んだ可能性が高いと思います。
では交渉ができる時期が来るのか、と言えばだんだん厳しくなってきています。そもそも日本は第一歩を間違えた点は理解しておくべきです。先の大戦の結果、北方領土4島全部の返還をしないことは米ソの秘密合意があり、吉田首相も国会で2島返還と言っていたのです。ところがどこかでせっかくだから4島返還を求めようという政治的野心と世論の盛り上がりで引き返せなくなった、それがそもそも論です。今になってようやく、2島返還でもいい、と考える人が増えていますが、この70年ぐらいの回り道が残念な状況にあるとも言えます。
とはいえ、領土戦略は武器や国際関係の変化により変わるものです。ロシアにおける北方領土の重要性が下がり、日本がディールを持ち掛ければ何らかの交渉はもちろん進む可能性は大いにあるでしょう。但し、私はその機運は5-6年は来ないとみています。プーチン氏が辞めるまでは厳しいかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年2月16日の記事より転載させていただきました。