はたしてバイデン新大統領は、トランプ前大統領の発した世界を動かす大音声に共鳴することができるのか。バイデン氏が米議会で、半世紀もさしたる力を発揮することなく、大統領に就任したことをもって、世界は米国がトランプ氏以前の無風状態、あるいは中国一強状態に戻ってしまうという分析者がいる。この種の“沈滞”は会社が潰れるときのように周囲のエネルギーが消えた瞬間に訪れる。だが逆に、世界各地に改革への願望が続いている間は、改革が加速するとみるべきだろう。
目下改革へのエネルギーを最大燃焼しているのはNATO(北大西洋条約機構)だろう。英国のEU離脱やドイツの中国への偏りによって、自由世界の「自由」という目標がぼやけかかっている時にトランプ氏が登場した。欧州に「ロシアの脅威の面倒は見ないぞ」とはっぱをかけた。ロシアに脅されてバルト三国は徴兵制を取ろうとしていたほどである。NATO弱体化の原因はドイツが対中国に接近し中国を強化しすぎたからだ。ここ10年以上、メルケル氏の中国熱には異様なものがあった。訪日を1日で済ませ、中国に10日滞在するというような外交政策をとった。中国にのぼせ過ぎて、肝心の共産主義に対する用心が薄れた。メルケル氏は2016年、アメリカの最新鋭機F35の重要部品を請け負っていたKUKA社を中国の家電メーカーに買収するのを承諾した。中国に人工知能や量子情報を与え過ぎた結果、中国は国防白書(2019年)でこう豪語している。
「最先端の科学技術の軍事領域への応用力が加速し、国際軍事競争の局面に歴史的なことが発生している」
メルケル氏に断固対立して国際情勢への不安を語るのはハイコ・マース外務大臣(社会民主党所属)だ。2019年に香港の民主活動家と面会し、昨年はドイツ政府に中国への依存低下方針を含む新しい「アジア太平洋ガイドライン」を閣議決定させた。親中イデオロギーがほぼ消滅したいま、ドイツは太平洋の安定のために軍艦を派遣するとまで言い出している。周囲の小国は皆、ひと安心だ。
一方で安倍晋三氏が仕掛けた日米印豪のクワッド(4ヵ国)もじわじわと結束力を高めている。当初、バイデン氏はクワッドの頭に「自由で開かれた」とあった文言を「安全で繁栄した」という文言に置き換えた。しかし就任直後に元のセリフに戻した。「開かれた」と言うと「戦闘も辞さず」と聞こえるが「繁栄した」と言うのは商売だけの発想だ。
こういう弱気の男が発想を変えたのはドイツの変貌と、クワッドを育成しなければ自国防衛もままならないと認識したからだろう。トシ・ヨシハラ米政策研究機関CSBA上席研究員著、武居智久元海幕長監訳、『中国海軍vs海上自衛隊』の中で「中国軍と海上自衛隊が戦争すれば4日以内に負ける」と断じている。米国はもっと味方を増やす必要がある。中国を上回る軍事力を備えなければ、中国を抑止できない。
(令和3年2月24日付静岡新聞『論壇』より転載)
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屋山 太郎(ややま たろう)
1932(昭和7)年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、解説委員兼編集委員などを歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社し、現在政治評論家。著書に『安倍外交で日本は強くなる』など多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2021年2月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。