山田広報官を辞任に追い込んだ日本の悪い癖

私はちょっと残念でした。山田広報官が辞任まで追い込まれたという事実です。もちろん、彼女が悪くなかったとは言いませんが、たまたま鉄砲の弾が当たってしまったということかと思います。もしも世間がそこまできれいごとを求めるなら日本から政治家も官僚もいなくなるかもしれません。74000円の店に連れて行かれたとしてもそれを味わってぱくつくことはないのです。会食というのは会合が主であり、接待側は場の雰囲気を作ることが重要であり、食事が華でしかないことはそれなりの人はご存知かと思います。

Andrii Yalanskyi/iStock

高額の食事の接待を受けたということだけが独り歩きし、マスコミから5チャンネルまで総叩きでした。この構図は先日のオリパラの森前会長と同じ流れですが、もちろん、中身は違います。

また山田氏が入院したことすら攻め立てる一部の書き込みは尋常ではないと思います。あれだけ世間から騒がれ、注目を浴び、非難されれば誰だって体調を崩すものです。その過激な書き込みに見えるものは書き手のストレスのはけ口なのだろうと思いますが、鉄砲の弾が当たって更にナイフでメンタルまでずたずたに刺すこんな社会でよいのでしょうか?

北米と違うところは本当に法律違反で処罰されなければならない場合は有無を言わせず、アウト。その時、当事者は大体悪人の顔つきであります。一方、法律違反ではないけれど世間一般からはおかしいと揶揄される問題があった場合はマスコミなどで取り上げられるものの本人が謝罪をして大体幕引きだと思います。また、行為がおかしかったのかどうか微妙なときにはバッシングする側に対して守るべき声が上がります。典型的な例がトランプ前大統領でしょう。

今回の場合、山田氏を守る気があれば守れたと思います。しかし、誰も火中の栗を拾いに行かなかったのはなぜでしょうか。彼女が既に60歳でこの3月で定年を迎えるため、あとひと月頑張ればよいと考えた節があるかもしれません。では収賄だったのか、といえば裁判をすればわかりますが、そんな筈はまずないでしょう。利害関係が生じないからです。

日本では「バッテン」は一生付きまとう、という発想があります。アジア全般にそうかもしれません。例えば離婚経験者が一番悔やむのが戸籍謄本。過去の結婚の部分に大きなバッテン印がつくのです。今時、あんなものを放置しているのは人権侵害だと誰も訴えないのでしょうか?

私は北米が居心地良いと思うのは「バッテン」があってもやり直せる社会だということです。会社を倒産させてもやり直しができるのです。日本はなかなか難しいでしょう。人間誰しも苦い経験はあると思います。私なんて両手の指では足りないぐらいあります。それに対して罪をかぶせていたら命が10あっても足りなかったと思います。

かつて韓国でねたまれる人をネット上で大バッシングし、本人を自殺に追い込むなど無茶な私刑(リンチ)があった際、日本では韓国はひどいよね、と言っていたのですが、今の日本はそれとさして変わりないように見えます。菅首相がいみじくもこぼしたように「同じ質問ばかりを繰り返し」ボロを出させようとします。これは警察の取り調べ方法と同じで長時間の拘留で相手のメンタルにダメージを与えるという手法です。

ではバッシングする側の心理とは何でしょうか?私はメディアの熾烈な競争意識、それと「出る杭」に対して世論を味方につける流れなのだろうと思います。自分たちはコンビニでパンを買うような生活なのに74000円なんて私のひと月の生活費じゃないか、という妬みとそんな奴は許さないという奇妙な正義感はあるでしょう。一般大衆を相手にしたら勝ち目はまずありません。

一方、接待の場所選びは相手をどれだけ舞い上がらせるか、接待する側の武器でもあります。そもそも店は山田さんが選んだわけじゃないのです。別に5000円の店でも問題なかったと思うのですが自分でも出せないほどの店に連れて行くところに接待する側の戦略があるともいえます。

こう考えると個人的には御馳走をした側、東北新社に7割以上の過失があると思われるのにそちらの方はネットでもあまり書き立てられないのはなぜでしょうか?首相のご長男のお写真のインパクトが強すぎるからでしょうか?

日本では収賄事件は懲りずに頻繁に起きています。金品をつかませ、具体的な見返りを期待すればこれはアウトですが、官僚も政治家も情報収集は必要です。電話やメール、事務所での面談でことが済まないのが日本のビジネスでこれは役人も企業もまったく同じ体質があります。これを直すのは日本人の体質そのものにまで踏み込まねばならず、容易ではないでしょう。

私は時としてまじめな役人は可哀そうだと思うのです。机上の理論だけで物事が進むと思ってしまい、実情に合わない法律やルールを制定したりします。また我々一般人はそれを批判したりするのです。役人からすれば「どうしたらよいのか?」わからないのです。私は日本でも時々役人とご一緒しますが、民間と明白な温度差を感じることはしばしばあります。この辺り、単におごる、おごられるの話から一歩踏み込まないと10年後も同じことを繰り返しているような気がします。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年3月2日の記事より転載させていただきました。