「年を取ると話を最後まで聞けなくなる症状」にキク3つの治療法

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

Twitterで「年を取ると、相手の話を我慢して最後まで聞けなくなる」というツイートが話題になっている。

 

chairboy/iStock

「40代以降になると発症する病気」

「夫がこれ。結婚したときはそうじゃなかったのに」

など、概ね共感するツイートが多いと見られる。その一方で「20代の自分も自覚がある。単に性格なのでは?」という意見もあり、なかなか興味深い。今回はこの症状の原因と、尚且つ素人ながらその処方箋について論考してみたい。

年を取ると最後まで話しを聞けなくなる理由

まずは件のツイートを転載しよう。

日経BizGateの「他人の話を聴けなくなっていませんか?」という記事でシニア人材教育コンサルタントの田中淳子氏が「50代とのコミュニケーションが難儀であった。話を聞いてくれないからだ」と主張している。また、脳内科医、医学博士の加藤俊徳氏は、「脳の中に溜まった経験が、自我を強くしている」と言われており、相手の話を最後まで聞けなくなるのは、加齢との相関性の存在を感じる(決定的な科学的根拠は見つけられなかった)。また科学的根拠だけでなく、「年を取ること=話を聞けなくなること」に賛同する人がSNS上でこれだけ多いといった状況証拠が、相関性の存在を示唆していると見て良いだろう。

筆者も、そのような症状を出している中高年の人物が何名か頭に浮かんだ。歳を取ると難しくなる傾向は確かにありそうだ。

相手の話を最後まで聞けなくなる心理

筆者は心理学や脳科学の専門家ではないが、素人ながらその原因を考えた。僭越ながらあくまで門外漢の持論である点を踏まえて、下記の通り展開させていただきたい。

若い時はそうではないが、歳を取ると誰しも必然的に経験や語彙がストックされる。40代ともなると、かなりの総量になっているだろう。問題はここからで、加齢するプロセスで獲得した経験値があらゆる事象を観測するフィルターとなってしまう点にある。なんでも自分の目線で決めつけてしまうようになると、相手の発言を「自分のフィルターを通るかどうか」という判断基準の回路が構築されてしまい、「この人は正しい・正しくない」を自分の価値基準と突合した上で決めつけてしまう。よもや、自分の持っているフィルターの斜め上の新たな視点があるとは考えが及ばない。

堅牢な思い込みが作り上げられてしまうことで、他者の意見が入らなくなるのだろう。

心の老化で人との出会いを自ら潰してしまう

また、件のツイートで興味深い点としては、「年を取ることで自らの世界で理解・判断できるものさしだけで世の中を評価するようになる。結果として、他者の本音での出会いが潰える」という主張だ。

深い指摘だ。確かにと思わされる。「相手はこういう人間だろう」と決めつけてしまえば、人間関係の出会いの可能性を自ら閉ざしてしまうことになる。自分の感性と合う人間だけと付き合うのは快適だ。問題は相手の人間性の深層を理解する「前の段階」で、その選別を無自覚に行ってしまう点にある。表面的なやり取りだけでは、その人となりなど分からない。社会では人は本音を出さないから尚更だ。

心が老化することで、新たな人との出会いの可能性を自ら潰してしまうのである。

症状への3つの処方箋

さて、ここからは筆者が考え、実践しているこのやっかいな発症を抑える処方箋を紹介したい。

まずは市場からのフィードバックを受ける習慣を持つことだ。本稿もそうだが、YouTubeやブログなどで自分の意見を発信し、その反響をチェックすれば良い。当然だが、称賛もあれば批判も受けることになる。時には心が傷つくほどの厳しいお声をいただくこともある。だが、この習慣を持つことで「自分の考えは絶対ではなく、間違っている可能性がある。認識外の視点は常に存在する」ということを思い知らされる。結果、素直さを維持できるのではないかと考えている。

そして、人間関係を構築する上では、相手との会話は「情報交換」だけでなく「心の交流」も極めて比重が大きいことを理解することだ。人は誰しも、自分をわかってもらいたいと思って生きている。当然ながら話の途中でわかったと遮られ、一方的に決めつけられると不快になる。「この人は自分を理解していない」ということが明確になるからだ。情報交換だけが目的のコミュニケーションではなく、相手との心の交流を楽しもうという意識をするのが良いだろう。筆者はこれを実践しており、ビジネスでコミュニケーションを取る上では、できるだけ「なるほど、○○ということですね。お気持ちよくわかります」と共感したことも伝えるようにしている。これをするには相手の話を最後まで聞かなければできないので、必然的に相手の話を遮る行為はでなくなるだろう。

最後に勉強をすることだ。頑固になると言っても、自分の専門外の領域については決めつけて見ることはできない。たとえば投資をしたことがない人が、投資の専門家の話を聞きにいけば、黙って最後まで聞くことができるだろう。また、「自分の知らない世界はまだまだあるのだな」と新たな視点の獲得に繋がり、柔軟性を取り戻すことができるのではないだろうか。

歳を取ることで話を聞けなくなるのは、多くの場合、本人にその自覚はない。だが、中高年は誰かの指摘を受ける機会もあまりなく、ドンドン症状が悪化する立場にあるだろう。もっとも、皮肉なことにそのような人物が筆者の主張をここまで聞いているかは疑わしい。人生における可能性は常に、自分自身で作り出すものであるし、同時に自分自身で無自覚に潰してしまうものでもあるものである。

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。