日本を覆う「気の緩み」狩りの地獄への道・2

昨日「日本を覆う「気の緩み」狩りの地獄への道」という文章を書いたが、それは「誤字・欠落…政府提出法案にミス続く「前代未聞の緩み」(朝日新聞)」という題名の新聞記事を見たからだった。

日本の官僚機構の疲弊を見て、「気の緩み」という言葉しか思いつかないのであれば、ちょっと問題だと思った。

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私は国際政治学者として、外務省本省職員の残業を減らしてほしいと思っている。毎日深夜まで国内業務で残業していたら、長期的な構想を練ったり、新しい大胆な交渉に出たりする気概や心の余裕が失われるのは止められないと思うからだ。

アラスカで開かれた米朝協議の冒頭部分が一般公開された。その厳しい言葉と駆け引きを見て「日本外交もこういう風にいかないのか」という意見が、ヤフコメなどに殺到している。

行政文書作成と国会要人対策で毎日深夜まで残業している官僚の方々に、それを言う気にならない。「勘弁してほしい、とにかく面倒はできるだけ少なくしてほしい」という表情をされるだろう、と思うからである。真面目に働いている役所の方を困らせるのは忍びない。(と言いながらミャンマー問題を何とかしてほしいと書いているが・・・・。 )

日本の国家公務員数は過去と比べて低水準に抑えられてある。一般職国家公務員数の推移のグラフを見てみよう。郵政民営化の影響が出た15年前の水準と比較して、10万人近く減少している。

しかし予算は上昇傾向だ。15年前は80兆円程度の規模だったが、現在は100兆円を超えている。

大雑把に言って、2割減った人数で、2割増えた仕事を扱っている、ということだ。

この状況で細かな人的ミスが見え始めたとしたら、一般企業の経営者なら人的負担を軽減する策を講じる必要がある、と認識するのではないだろうか。

しかし国家運営では、政治家や幹部官僚が「全ては末端職員の気の緩みのせいだ!」と叫んで、檄を飛ばして綱紀粛正を図って、マスコミ向けのポーズをとることしか考えない。

その場限りの大変に危険な対応だ。

もともと日本の公務員数は国際的に見て少ないとされている。特に少ないのは地方公務員だが、連邦制国家との比較などは単純ではなく、国際比較は簡単には言えないところはある。しかし上記の事情から、少なくとも過去よりも負担が増えていることは明らかだと思う。したがって「昔は違った」とつぶやく高齢者や官僚出身政治家の意見には意味がない。

そもそも日本政府の歳入の半分は国債だ。私に言わせれば、日本は税収に見合った実力の二倍の仕事を国家公務員に課している。

中央省庁と高級官僚OBがいる半官半民企業が、「随意契約」「97%再委託」「幽霊法人」「中抜き」といった行為を常態化させていくのは、毎日深夜まで残業している官僚の心情からすると「そんなことを言われてもこうしないと無理です・・・」という行為なのだろう。心情的にはそうなので、改革はなされないだろう。だがそれでは、組織は溶解する。

アカウンタビリティを確保しながら、現実的な人事管理を行っていくためには、おそらく制度化された民間人導入を含めた思い切った制度改革が必要である。残業費の支給額を増加させたりすることなどは、関係がないどころか、逆効果だろう。

人口が減り続けている社会で、国家予算だけを増やし続けているのだ。構造的な改革を導入する発想の転換が必要であることは、火を見るより明らかである。

しかし人事改革となったら、猛烈に反対するのは、むしろ各省庁の高級官僚だろう。その上にいる経営者である政治家がしっかりしなければならないのだが、高級官僚と一緒になって「気の緩みを正せ」と一般職員を叱責しているだけでお茶を濁し続けようとするのであれば、危機は増幅していくだけだろう。