大人は無責任だ。
「夢を見ろ」
「現実を見ろ」
「常識にとらわれるな」
「社会人としての常識を身につけろ」
矛盾する言葉を、もっともらしく平気で言う。
「夢」を押し付け。
「若者らしさ」を押し付け。
「未来」まで押し付けようとする。
大学の教壇に立つようになって11年、
メディアで日常的にコメントするようになって12年、
自分の文章で原稿料を頂くようになって15年。
「立場を考えろ」
「影響力を考えろ」
「いい大人なんだから」
と言われつつも、いまだに大人になりきれず。
「どこにもいられない」
そんな想いで私は生きている。
勤務先の卒業式だった。
いまだに学生気分が抜けていないんじゃないかと思う瞬間がある私が、学生を送り出すことなんてできるのかと思いつつも、卒業式はやってくる。
年に2、3回しか着ないスーツに身を包み。ネクタイをする人がいない家庭で育ったのに、実に久々にしめてみる。ネクタイの色に合わせ、ピンクのヘアカラーを入れて、大学へ。
スタッフが頑張って。いま、できる最大限の「卒業式らしいこと」と、感染症対策を見事に両立した卒業式だった。昨年の卒業生も、希望者は参加可能というナイスな対応。嬉しい再会がいっぱい。
こういう場では、私はビデオをつくる。ありったけの愛と情熱をこめて。学生たちや、同僚の教職員へのリスペクトをこめて。どんなに忙しくても、この学園祭の前日のような感覚を大切に。そんな背中もみてもらいたくて。
膨大な学生たちを記録した映像や写真を振り返ると。彼ら彼女たちは経験を積み重ねていて。一方で、自由で無邪気で。僕よりもずっと大人で、子供だった。最高にかっこいい動画になったのは、私の想いをかたちにしてくれたチームと。なんせ、被写体の学生たちで。
「嵐を、こえていけ」
これが、僕の心から湧き出てきた言葉だ。
エンドロールの隣に、ライブペインティングを録画したものが流れるという演出。これは私がやりたかったことだし、卒業生たちにプレゼントしたかったものだった。ポストカードにして配ったら好評で。たまに見返して、熱い日々を思い出してほしいな。
卒業式は、自由な人生の葬式ではない。
大人とは何だろうか。
その問いに、未だに僕も向き合い続けているけれど。
一緒に模索を続けよう。
人生(たび)は続くのだ。
ある学生は、今日のために、4年分のノートを読み返したそうで。私の言葉、すべてが心に響き。全部、つながっていたと言ってくれた。
ごめん、何を言ったのかは、すぐには思い出せないのだ。
だけど、一つひとつの講義に真剣勝負で。ブレずに何かを言い続けてきた。ただ、それだけ。
でも、私も君と同じように、先生や先輩の言葉にいちいち向き合って。気づけばここにいる。
青春を自粛するな。
自分らしさを消毒するな。
何色でもない、自分色を。
愛と怒りを忘れずに。
楽しむことをサボるな。
また会おう。
編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年3月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。