エリザベス女王の夫、英国のフィリップ殿下(99)の葬儀が17日、ロンドン近郊ウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂で執り行われた。当日はロンドンにしては珍しく快晴に恵まれていた。新型コロナウイルスの感染を防ぐために、葬儀参加者は30人と制限された(筆者は2時間余りの葬儀式典をオーストリア国営放送を通じてフォローした)。
エリザベス女王はフィリップ殿下とは73年間、公的にも私的にも生涯を共に過ごした。女王は13歳の時、フィリップ殿下と初めて知り合っている。当時王女だったエリザベス女王は、その時「将来の相手はこの人と」と考えたという。一言で言えば、女王の「一目惚れ」だったわけだ。
殿下は海軍出身で軍人としてのキャリアを積んでいきたい夢があったという。婚姻後、しばらくは2人でゆっくりと新婚生活を過ごせると考えていたが、エリザベス王女(当時)の父親、国王ジョージ6世の突然の崩御(56歳)で人生の設計は激変した。長女のエリザベス王女は25歳の若さで「女王エリザベス2世」に即位し、殿下は海軍キャリアを放棄せざるを得なくなった。
妻がエリザベス2世に即位した後、殿下は公務では常に妻の2、3歩後ろからついていく立場となった。この時期、フィリップ殿下が単独で外遊するなど、夫婦関係が厳しくなった、といった憶測が流れたほどだ。
73年間、エリザベス女王と共に歩んできたフィリップ殿下はある晩餐会で「夫婦生活を支えるのはやはり相手に対する寛容だ」と述べている。公務では妻の後を歩くフィリップ殿下だったが、家庭に戻ると「殿下が主人だった」という。賢明な女王は殿下の主人ぶりを快く受け入れてきたという。エリザベス女王にとって、フィリップ殿下は本音を語れる唯一のパートナーだったわけだ。BBC放送記者は「GreatPartner」と呼んでいた。
英国民は殿下に対し「我々の女王を常に世話して大切にしてくれた」として尊敬を払っている。そして殿下と会った人々は等しく「ユーモアのある殿下だった」という。殿下のユーモアは多分、公務で疲れた女王の心を解す瞬間でもあったのだろう。
ところで、米小説家マーク・トウェインは「ユーモアの源泉は喜びではない。苦しさや寂しさからだ」と述べている。貧しい貴族出身の家庭に生まれ、家族が傍にいない環境で育った殿下が生き延びるために学んできたのがユーモアだったのかもしれない。殿下のユーモアは時には物議をかもしたこともある。
殿下と女王の間には3人の息子と1人の娘が生まれたが、殿下は長男のチャールズ皇太子より、アン王女が好きだったという。チャールズ皇太子が繊細で傷つきやすい性格だったのに対し、アン王女は男性的で活動的だったからだ。殿下は海軍出身者であり、強くたくましい子供を願っていた。ちなみに、殿下は亡くなる直前、そのチャールズ皇太子に「あとは君の責任だ。女王をケアしてほしい」という願いを託した。
エリザベス女王と殿下は「我々の子供たち夫婦はなぜ離婚するのか」と悩んできたという。長男チャールズ皇太子、次男アンドルー王子、長女アン王女の夫婦が離婚し、破綻したことが辛かったのだ。チャールズ皇太子とダイアナ妃の婚姻はメディアで大きく報道され、アンドルー王子の醜聞、そしてアナ王女の離婚と多くの波乱があった。
殿下は自身の葬儀を自ら計画し、オーガナイズした。国葬としないこと、棺を運ぶ専用車に自身が愛する車を準備し、ゲストは直接の家族関係者に絞った。葬儀の式典は、追悼の空砲と鐘が鳴らされた後、始まり2時間あまりで終わった。多くの国民はテレビの中継を通じてフォローした。葬儀中、エリザベス女王は顔を沈めていた。米国から葬儀に参席したハリー王子が目を拭うシーンが写った。殿下が愛した孫だ。
なお、エリザベス女王は宮殿関係者に「コロナ禍のため公務が少なくなったので、殿下と一緒の時間を多く持つことができたことは幸いだった」と語っている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年4月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。