日米首脳会談の光と影(古森 義久)

顧問・麗澤大学特別教授   古森 義久

「言葉は事実を伝えるためにのみ存在するわけではない」――

今回の日米首脳会談の結果をまとめた共同声明を読んでいて、ついこんな表現を思い出した。30数年も前、当時の西ドイツの国防総省軍政局長の将軍から聞いた言葉だった。

当時、アメリカがソ連の中距離核ミサイルに対抗して欧州に配備しようとしたミサイルを「モスクワを直撃する首狩り兵器だ」と断じたソ連の主張は事実ではないという説明の際に、その将軍がさりげなく述べた表現だった。

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菅義偉首相には失礼な連想だろう。

遠路ワシントンまで出かけて、ジョセフ・バイデン大統領との会談で日米関係の強化という基本目標は果たしたのだから、酷に過ぎる反応かもしれない。

だが日米両国の安全保障関係を長年、追い、日本側の現在の防衛政策にも注意を払う考察者としては、この日米共同声明の吟味からはどうしても「言葉」と「事実」の相関関係を考えさせられてしまうのだ。正確には「言葉」と「事実」のギャップと呼ぶべきだろう。

その理由を説明しよう。

今回の日米首脳会談の共同声明全体のなかで最も頻繁に、しかも最も強い力点をおいて強調されたのは「日米同盟の強化」だった。その日米同盟強化の別な表現として「日米共同防衛の拡大」とか「抑止の増強」「日米安全保障の強化」という語句が繰り返し明記されていた。

もちろん日本とアメリカの両首脳、そして両国政府がともにこの同盟強化の大目標に合意した、という意味である。その強化策をすでに取っているという意味と、これからその強化策を取るという意味とが入り混じっていた。

とくに注視すべき点として以下の語句があった。

「日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した」

日本の自主的な防衛能力の強化の誓いである。しかも日本の領土や日米同盟自体の防衛だけでなく、日本周辺の地域の安全保障のための防衛力強化だというのだ。この言葉は今回の首脳会談での菅首相自身の決意と解釈されても自然だろう。

だが私がここで言葉と事実の断層を感じさせられるのは、いまの日本側、まして菅政権下では、ここで誓ったような防衛力や抑止力の本格的な増強の兆しはツユほども窺われないからである。

そんな「決意」が日本のどこに存在するのだろうか。

日本だけでなく東アジア地域の安全保障のための日本独自の防衛力を強化することの「決意」が日本側でいつ、どのようになされたのか、あるいはなされる計画がどこにあるのか。知っている人がいたらぜひ、教えてほしい。

防衛や抑止とは一般の国家では、みな軍事とみなされる活動である。そもそも国家対国家の同盟とは本質は軍事での相互支援の誓いなのだ。

だが戦後の日本では軍事という言葉や概念が忌避されてきた。「日米同盟は軍事同盟ではない」と失言して失脚した総理大臣もいたほどである。

その日本の軍事忌避の特殊性が新しい時代の日米同盟の軍事能力強化の要請と整合するのか。なにしろ日米両国のいまの懸念の対象は対外的な膨張や威迫に軍事力を平然と最大手段にする中国や北朝鮮なのである。軍事を究極かつ最大の実効手段として迫ってくる相手に軍事という概念がこの世界に存在しないかのように振る舞うことの危険は恐ろしいほどといえる。

バイデン政権にしても日本に対して防衛や抑止や安全保障の能力の強化を求めることは当然、日本の軍事能力の強化への期待である。ただし長年の日本の特殊事情を知るから、軍事という言葉は日本に対して公式には使わないことになる。

この軍事をめぐる日米両国間のギャップも長年、アメリカ側では意識され、提起されてきた。だが日米同盟をとにかく現状のまま堅持するという必要性のために、表明に出ることは少なかった。ドナルド・トランプ前大統領が「日米同盟の不公正さ」をわかりやすい言葉で批判したのは例外とはいえ、アメリカ側の不満の真実がつい露出したのだといえる。

だがアメリカ側でのこの面での日本への不満はますます広がってきた。だからこそ今回の首脳会談についても、菅首相が米側の期待に押されるままに、防衛力強化の実行を簡単に約束し、それが現実にはできないと判明したときの災禍が心配されるのである。

菅首相にはもちろんの日本の防衛や抑止を現実の軍事課題とみて、正面から取り組むという気配もない。

こうした点でのアメリカ側の関係者や識者の本音に近い見解をごく一部とはいえ紹介しておこう。

日米防衛協力に長年、第一線で関与してきたアメリカ海兵隊元大佐のグラント・ニューシャム氏は日本側の英文メディア「JAPAN Forward」への首脳会談についての寄稿論文で皮肉っぽく述べていた。そのうえでの日本側への警告を発していた。

「日本は恋に夢中な少女が相手の青年に会うたびに『私を愛しているか』と問うようにアメリカに対して何度も何度も『尖閣を守ってくれるか』と迫るが、自国の尖閣防衛強化がみられない」

「中国人民解放軍の戦力は最近、格段と強化され、尖閣への攻撃もアメリカの防衛誓約の言葉だけでは抑止の効果が薄れてきた。とくに日本側が独自の防衛の能力や意欲を示さないと、せっかくの米側の尖閣への日米安保条約第5条適用の実効も消えかねない」

「日本がいま防衛に関してアメリカ側に最も痛切に求めるのは尖閣防衛のための米軍の攻撃能力の増強だろう。だが日本側は日本自身が軍事能力を向上させることがその米軍のそのための戦力を高めるのだということを理解していないようだ」

ワシントンの主要研究機関、ハドソン研究所前所長のケン・ワインスタイン氏は今回の日米首脳会談について「日本はいまやアメリカの最重要の同盟国となる」という見出しの論文を同研究所サイトなどに発表した。同論文はこのバイデン・菅会談が「日本をアメリカの完全で対等なパートナーへと変容させる加速の機会だ」とする期待を表明していた。

ただしワインスタイン氏は、日本は現段階では同盟の対等な役割を果たしていないとして以下の点を強調していた。

「日米共通の脅威である中国との戦略的競合の前線国たる日本はまず自国領土への中国の侵略を抑止する能力を高めねばならない」

「日本は自国の防衛を少しずつ強化はしているが、アメリカとの効果的な共同防衛にはなお不十分で、いまの防衛態勢を実効ある抑止態勢へと変える必要がある」

「この不十分な現状は日本の憲法にも原因がある。アメリカは戦後、日本の戦力を奪い、国際紛争の解決でも軍事力の行使を禁止する特殊な憲法を押しつけた。このことがいま効果的な日米共同作戦や日本自身の予防攻撃能力への障害となっている」

ワインスタイン氏は安倍政権時代にできた平和安保法での日本の集団的自衛権の限定行使ではまだまだ不十分だと主張するのだった。日本の憲法については、当時はアメリカ占領軍による押しつけだったにせよ、その後、日本自身で変えることができたはずだ、というわけである。

日本の軍事忌避によるアメリカとの同盟強化の遅れが日本の憲法のせいだとする指摘はなにもワインスタイン氏だけではない。ちなみに同氏は保守系の学者である。

だがバイデン政権にもきわめて近い民主党のリベラル派のベテラン下院議員も同じ趣旨の意見を議会で表明してきた。

下院外交委員会の有力メンバーのブラッド・シャーマン議員だった。カリフォルニア州選出、当選11回という古参議員である。シャーマン議員は下院外交委員会の東アジア安全保障などに関する公聴会で少なくとも2回、日本とトランプ政権の政策の両方を批判した。いずれもトランプ政権時代だった。

シャーマン議員の指摘は同じように日本の憲法を批判の対象としていたが、表現はもっとずっと過激だった。

「日本は長年、アメリカの同盟国として米軍に防衛されてきたのに、9•11の同時多発テロのようにアメリカが攻撃されても、欧州の同盟諸国とは異なり、アメリカを助ける戦いには参加しなかった」

「アメリカ側がその点を批判すると、日本はいつも憲法の制約を理由に出してくる。だが日本側で『日本を長年、助けてきたアメリカがいま苦しんでいるのだから、憲法を一部、変えてでもアメリカを助けよう』と発言した日本の政治家は一人もいない」

こう述べたシャーマン議員は「日本が憲法を理由に有事にアメリカを助けないという現状ではアメリカは日本のために尖閣諸島を防衛すべきではない」として、トランプ政権の尖閣防衛策に反対したのだった。私は同議員のこの発言を2回とも公聴会の場の至近で聞いた。

今回の日米首脳会談の背後には実はこうした複雑多岐で歴史の長い大きな影も広がっているのである。そしてなによりもこの会談での菅首相の言明が空約束だけで終わるという事態が招きかねない日米同盟の悪化を懸念するのだ。

古森 義久(Komori  Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2021年4月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。