クリントンからバイデン、取り戻す「大きな政府」

鎌田 慈央

「大きな政府の時代は終わった。」

この言葉を述べたのは小さな政府を志向するアメリカ保守派の偶像となっているレーガン氏でもなければ、去年の大統領選でバイデン大統領を社会主義者の操り人形と罵ったトランプ前大統領でもない。

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これは1993年から2001年までの間でアメリカ大統領を務めていた民主党のクリントン大統領の一般教書演説でのスピーチに入っていた一節である。

そして、この一文ほど当時のアメリカの社会情勢を反映したものは無い。

レーガン旋風に巻き込まれた民主党

民主党は弱者救済に重きを置き、その手段として大きな政府を活用することで資源や価値の分配を図るというイメージを多くの人が持っている。そして、実際に民主党は政府の力を存分に利用して、社会保障制度の構築や人種隔離の撤廃を果たしたということを歴史が証明している。

1996年のクリントン氏が行った教書演説では、民主党はドグマとも言える「大きな政府」というアイデンティティを否定した。いや、否定せざるを得ない状況に民主党が置かれていたと評する方が的確なのかもしれない。

ニューヨーク、ウォール街を起点として世界各地の経済をどん底まで落ち込ませた世界恐慌による反動から、政府が社会への介入を強めるべきだという風潮がアメリカの中で生まれた。その風潮のおかげでルーズベルト大統領は社会主義的だと政敵に批判されながらもニューディール政策を推し進めることができた。また、政府の役割は限定的であるべきだと主張し、世界恐慌が起きた時に政権の座にいた共和党は20年もの間、政権から遠ざけられた。

だが、皮肉にも共和党の失策が民主党の政策に推進力を与えたことと同じように、民主党が株を下げたことが1980年から2000年代まで続く共和党優位の時代の到来を許した。

民主党、カーター政権が失業率の増加とインフレのダブルパンチ、いわゆるスタグフレーションからの脱却に失敗し、アメリカが閉塞感に包まれていく中、アメリカ国民は1980年にロナルドレーガンという小さな政府を教条的に信仰する保守派に、リーダーとして国を率いるチャンスを与えた。

そして、レーガン大統領の成功が民主党の路線に修正を加えるきっかけとなった。レーガン軍拡に伴う1980年代の経済成長、加えてレーガン自身の楽観的な性格が支持を集めたことも関係し、1984年に民主党は大統領選で大敗北を喫した。そのことが影響し、民主党内では共和党寄りの政策を採用しなければホワイトハウスを取り戻すことが難しいと考える人々が出てきた。冒頭でスピーチを引用したクリントンはその一人であった。

さらに、洗練された選挙キャンペーンを繰り広げた共和党が1996年に下院のみならず上院をも奪取し、事実上、立法権を掌握したことで、民意の意向を受けた共和党の要求を民主党、そして当時大統領であったクリントン氏は無視しないわけにはいかなかった。

そのため、クリントン氏は1994年に共和党が構想した社会福祉改革を実施し、同性婚の禁止を定める法律や、NAFTAなどに代表される自由貿易の推進など、今の価値観から照らし合わせると保守的な政策を行わざるを得なかった。

「大きな政府の終わり」の終わり

バイデン氏の米議会での施政方針演説は、このように民主党が共和党に迎合していった歴史を知るものとして、隔世の感を感じずにはいられなかった。

バイデン氏は演説中、政府からの民間への投資がアメリカを発展させた歴史を滔々と説き、また中国との競争という文脈で政府の力を最大限に有効活用する必要性を訴えた。また、富裕層への増税という、政治的にダメージを受けかねない表現を安易に使用できるようになったことは、民主党のアイデンティティである「大きな政府」という考え方が今なら国民の理解を得られるとバイデン政権が踏んだからであると筆者は考える。

民主党は世界恐慌の際のように共和党の失策により勢いを得るか、カーター政権のように自滅して共和党時代の再来を許すのか。

いずれにせよ、アメリカは今大きな転換期を迎えており、新たな時代の幕開けの萌芽は我々が目撃していることは確かである。