HIDEの命日に想う、XのHIDEが好きすぎて

何度も書いていることだけど、大事なことなのでまた書く。4~5月は新しい期の始まりであるだけでなく、自分の誕生日や大切な人の命日が続き。

意識が高くなってしまう。

カート・コバーンに、尾崎豊に、我が父に、HIDEに忌野清志郎、さらにクリス・コーネル。忌野清志郎、クリス・コーネル以外は私の方が長く生きてしまっており。

今年もHIDEの命日がやってきた。大文字でHIDEと書くからには、X JAPAN時代のことであり(ソロでは小文字)。さらに、X JAPANになる前のXのことを。

hide MODEL MG-420S

正直、私はX JAPANよりもXの頃の方が好きだ。しかも、1988~1989年くらいのXが。

つまり、インディーズからメジャーに行く頃の。若気の至り感が半端なく。ビジュアルも演奏も良い意味で洗練されておらず過激そのもので。

メンバーはほぼ全員、髪を立てていたし。ステージで物を壊したり、火を吐いたり。しまいには、宿泊先のホテルの部屋を壊したという武勇伝まであり。

XでのHIDEの仕事は暴れん坊のようで、かっちりとリードギターを弾いていたりもし。一方で、ロックンロール色の強い曲、実験的な曲やパフォーマンスを担当するという。

ビジュアル的にはサイケ担当だった。「PSYCEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というコンセプトも彼が考えたそうで。

HIDEが書いた曲の一つが「SADISTIC DESIRE」で。たしか、再結成されてからは一度も演奏されていないような。歌詞はエロと暴力の匂いがするもので。ただ、曲自体はよく聴くとロックンロールとも言え。初期のHIDEらしさがはしばしに。もともとは、HIDEがその前にやっていた横須賀サーベルタイガーの曲だったそうで。

しかし、彼が生きていたら、日本のシーンはもっと変わっていたはずで。日本発世界に通じる何かが生まれていたような。誰とコラボしたんだろう。一方で、彼が生きていることもまた想像できず。そもそも、存命中もまるで空想上のキャラクターのような、超越した人だった。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。