繰り返す間違い、自衛隊と旧日本軍の類似性

鎌田 慈央

不明瞭な自衛隊の位置づけ

自衛隊がどういった組織なのかと説明する時、困惑する場合が多々ある。特に海外の人に対して説明するときにそれを痛感させられる。国外の目から見たら自衛隊はれっきとした軍隊であり、日本政府も外からはそのように見られていることを是認している。現在、日本の防衛予算は世界トップ10の内に入っており、1990年代ごろ、米ロに続いて世界第3位の防衛予算を誇っていた時代もあった。

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グローバルな視点、歴史的視点から見ても、戦後日本は少なくない額の予算を自衛隊に配分してきた。また、そのような額の予算を注入されていて、近代的なアセットを備えている自衛隊が軍ではないと思わないのが普通であるはずである。しかし、日本国内では軍という組織はなぜか存在しないことになっており、自衛隊に関する議論を外国人と始めるときに、その前提のすり合わせをしなければならない。

そして、そのような自衛隊という組織の定義が国内外で乖離している理由を考えたとき、筆者はふたつの理由があると考える。ひとつは、戦前の反省から来る軍隊という組織に対するアレルギーである。日本は戦前、軍部の暴走を許した結果、世界中を敵に回し、国土は焦土と化して、長い国家の歴史で初めて国外の勢力による占領を許した。そのような歴史が戦後に強烈な反省の念に転換を遂げ、日本の軍国主義の復活につながるあらゆる潜在的なファクターが蓋をされることにつながった。軍という言葉も蓋をされたもののひとつである。

ふたつめは軍事に関係することを政治家らが忌避し続けた結果である。戦後一貫して、日本国内では、社会党のような軍国主義の復活を危惧する勢力が存在し、それらの勢力は拒否権集団となり、軍事的な事柄に関する決定を妨害するように働いてきた。一方で、当初は「普通の国」となるために軍事面での制度作りに積極的だった自民党も、1960年代の安保騒動を経験して国民の軍事への否定的な感情を汲み取り、軍事にかかわる事柄で大胆な変更を加えることを避けるようになった。そして、国内の右派も左派も含めて、軍事にかかわる議論を避けてきた結果、自衛隊の立ち位置が不明瞭なまま今に至る。

しかし、自衛隊の存在がはっきりしないことは長期的に見たら問題を生み出すと考える。また、旧日本軍の暴走の要因が現在の自衛隊が抱えている問題と同様のものであると考慮したとき、その懸念は助長される。

 明治憲法の欠陥

筆者は旧日本軍がシビリアンの統制を無視して、暴走した背景には旧日本軍の憲法上の位置づけが明治憲法に欠けていたことが関係していたと考える。明治憲法第11条で天皇が陸海軍の統帥権を保持するという文言以外に軍を厳格な文民統制のもとで管理する条文が当時の国の最高法規に存在していなかった。そのため、結果的には統帥権干犯問題を皮切りに日本国内で浸透し始めた軍が政治に従属しないという解釈が生まれる土壌が出来上がった。そして、上記で触れた、軍に対する強烈なアレルギーを引き起こす事態が発生してしまった。

すべては、先人たちが明治憲法で厳格な文民統制の原則を打ち立てていなかったことが原因である。

戦前の間違いを繰り返す日本

断っておくが、戦前の旧日本軍のように自衛隊が暴走するという事態は筆者は全く考えていない。だが、皮肉にも今も昔も似たような問題を日本が抱えていることは事実である。軍事組織が法的な位置づけがなされていないことである。

そのことによって、戦前は軍が暴走することになった。しかし、現在は国を守るために必要な制度作りの障壁となってしまっている。また、明確な自衛隊の位置づけがなされていないことは隊員の士気にもかかわってくる。そして、士気の欠如は有事の際の自衛隊のパフォーマンスに深刻な影響を及ぼす。加えて、実質的には軍隊である自衛隊を、そうではないと言い続けることによって、他国の疑念を深め、紛争の火種につながりかねない。

以上の懸念点を踏まえて、国民投票の実施に向けて準備が整いつつある今、自衛隊という組織をきちんと定義するための議論を深める必要があるのではないか。