日本とミャンマー国軍との関係が動いた。5月13日、ジャーナリストの北角祐樹氏の解放を、ミャンマー国軍が宣言したのである。そもそも北角氏の拘束が超法規的な不当な行為であったが、解放も国軍の意向だけで超法規的に行われる。
国軍は、ご丁寧にも、国営テレビを通じて、「笹川陽平ミャンマー国民和解担当日本政府代表の要請を受け、起訴を取り下げ解放する」と説明した。
その5月13日、国軍の発表を先取りするかのように、笹川陽平・公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)会長・同笹川平和財団名誉会長は、久々に自己のブログを更新し、自らがミャンマーに持つパイプの太さを誇示していた。そして「民間人である私がミャンマー国民和解日本政府代表を拝命したのは、長年にわたるミャンマーでの人道活動が評価された結果である。この役職に任期はない。」と書き、自らが終身のミャンマー問題の日本政府代表であることを誇った。
もちろん、北角氏の解放は喜ばしいことである。ただし諸手を挙げてミャンマー国軍と笹川氏を称賛するべきなのかと問われれば、国際政治学者としては、非常に悩ましい。
現在、国際社会は、テロリストの人質拘束のような恫喝行為には、一致団結して、絶対に屈しない、という総意を持っている。そうした総意がなければ、あらたなテロリストによる恫喝行為を招いてしまうことが必至だからだ。ところが邦人の人質が発生するたびに、この国際社会の総意に反した姿勢を見せがちなのが、日本だ。
5月3日の国際報道自由の日に、18の自由主義諸国が、拘束されているジャーナリストの解放を訴える共同声明を出した。日本は、あえてその共同声明に参加することを拒んだ。その翌日、私はツィートで次のようにつぶやいた。
もちろん北角氏の解放は喜ばしいことだが、しかし、そもそも拘束が不当であった。ミャンマーでは、未だ44人の報道関係者が拘束中であり、市民は3885人が拘束中であるとされる。
日本が、「北角氏さえ解放してくれるのであれば、さらにいっそう国軍に忖度します!」、という態度をとるかどうかは、国際的な注目の的だと言ってよい。
残念ながら、北角氏の解放をもって、特定の日本人の方々がミャンマー軍に対してもっている「パイプ」を全面的に祝福する、という結論を、簡単に導き出せる状況ではない。