「継続は力なり」ではない「改善の継続は力なり」だ

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

「継続は力なり」という、誰しも聞いたことがある名言がある。この言葉を糧に、日々くじけずに努力を続けている人もいるだろう。

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だが忖度なしで意見を述べるなら、継続するだけで何事も無条件で成功できるほど世の中は甘くはない。もちろん、努力や挑戦を継続することは素晴らしいことであり、それ自体を全否定するつもりはない。だが同時に、この言葉を自身に言い聞かせて、思考停止で努力を続けるだけでは必ずしも望む成果は約束されていないとも考えている。

お断りしておくと、筆者は人様にえらそうな講釈を垂れるほど、大きな成功を成し遂げた人物ではない。おこがましい主張に聞こえたら恐縮だが、それでもずっと改善を続けてきたことで、昔の自分が思っていなかった場所に来ることができたと自己満足を覚えている。

本稿では、継続を意識した努力の重要性についてお話をしたい。

ビジネスの生存の本質は「やめないこと」

結果の如何に関わらず、あらゆる試みは努力の継続が前提である。これなくして何事も始まらない。

筆者がブログを書き、YouTubeで動画を発信する立場になって痛感することがある。それは「発信をやめないことそのもの」がビジネスの生存戦略上の本質であるということだ。これはネットショップでも、英会話スクール運営でもあらゆるビジネスに通じる話だ。一度仕組みを作れば、ノーメンテナンスで永久的に売れ続ける永久機関のようなビジネスはありえない。生きるということは努力を継続することと同義である。

現代人はあまりにも忙しく、そしてあまりにも多くの情報に囲まれすぎている。国内外から、ライバルも次々と登場し、環境の変化も起き続ける。それ故に大きくビジネスをヒットさせたり、一躍名を上げた人でも、活動を継続しなければ打ち上げ花火のように一瞬で忘れさられてしまう。ビジネスは市場から忘れられたら終わりだ。それ故に活動を続けることが生き残りの前提条件である。

だが、どれだけ優秀な人でも年月を経ることで、ドンドンいなくなってしまう。これまで数え切れないほど、優秀な発信者やビジネスマンを見てきた。多くの人の心を掴み、短期間であっという間にファンを作り上げるような勢いのある人でも、3年後にまだ続けている人は決して多くない。やめてしまう理由は、誹謗中傷に心を病んだとか、ビジネスのネタが尽きたとか、他に夢中になることができたなど人によって様々だ。先駆者のほとんどは途中で脱落する。だから、後発組にも長期的に生き残れば必ずチャンスは残されている。

ビジネスの挑戦に破れて姿を消していくのは、ライバルと激しい競争の末に打ち負けてしまうのが最大の理由ではない。競争になる以前に、そもそも自滅して自ら撤退するケースがほとんどだ。

改善なき継続は勧めない。だが、この議論はそもそも「努力の継続」という前提があってのことだ。

改善のない努力は徒労に終わる

上述の通り継続すること、そのものの価値は大きい。世の中で挑戦する人は少ないし、その挑戦を継続する人はもっと少ない。さらに「改善の伴う努力の継続」は難しいし、長期的に生き残る条件でもある。

「努力を続ければ必ず報われる」そう自分に言い聞かせ始めたら、危険信号が点灯した合図だ。なぜなら努力が報われるのは成果を達成できる前提が必要で、そこがズレていればどれだけ努力を継続しても、達成することはありえないからである。このことを実感した体験談がある。

過去に筆者は英会話スクールに通っていた時期があった。その際、スクールに「もう20年間この学校にお世話になっている」と自己紹介をしてくれた中年男性と出会った。彼の英語を聞いたが、簡単なフレーズを聞き落とし、スピーキングもまったく出てこない様子だった。彼は途方も無い努力を20年間継続し続けている。すごい情熱だし、一人の人間として尊敬に値するだろう。だが、努力の方向性が誤っているために、成果が出ないまま20年間が経過した。「頑張っているけど、なかなか上手にならない」と彼はこぼしていたと記憶している。

彼の成否をわけたのは、成果の出る正しい学習法に出会えなかった「不運」なのだろうか?否、途中で努力の質を疑い、改善がなされていれば運命は変わっていたはずだ。つまり、努力の成果をよいメンターに出会うとか、成果のでる学習法に出会うといった、運否天賦に大きくベットしている構図は明らかに間違っている。改善を入れれば軌道修正も可能だ。

この経験を経て、自分がやっている努力を盲信せず、改善の余地があると心に留めておくことが極めて肝要と思うのだ。

改善のある努力の継続は難しい2つの理由

誰しも改善の重要性は理解しているはずだ。だが、それを難しくする2つの理由がある。

1つ目は主観的視点からの脱却の難しさだ。改善のメスを入れるには、客観性が必要であるが、これが簡単ではない。自分自身で誤りに気づくことは容易ではないのだ。だからこそ技術が必要になる。たとえばビジネスにおける改善については、データは最大の客観性で、改善点を教えてくれるだろう。広告のハンドリングでも、営業の成績でも、講演活動でも自分の思うような数字が出ていなければ、データという結果と向き合うことで改善が生まれる。広告を打って反響が悪いなら、商品写真やサイトのデザインを変えながら数字の改善を図っていく必要がある。講演の参加者の満足度が低ければ、アンケート結果をしっかり読んで話し方やプレゼン内容を再考が求められるだろう。

そしてもう1つの理由は、自分の心に打ち勝つことの難しさである。改善を取り入れるには、プライドを捨てて、素直でいることが必要だ。つまるところ、改善とは自分へのダメな部分を認める行為であるが、人生経験豊富な人ほどこれが簡単ではない。改善のステップには、「自分は間違っている」ということを認めるプロセスを経る必要があるのだが、プライドの高い人にはこれが受け入れがたいはずだ。マーケットから建設的な意見をもらっても、感情的に反発してしまったり、自分を正当化する言い訳をし始めてしまう。だからこそ改善を実現するためには、心を強く持ち、過去の自分の行動を否定する勇気を持つことが重要になる。大人になっても素直さを保つことは難しい。いや、だからこそ、他者ができないことができる人にはチャンスでもあると考えるべきだろう。

努力の継続は力になる。だが、ズレた努力を継続して無条件に報われるほど、世の中は甘くないのもまた事実だ。それ故に「継続は力なり」という名言に「”改善の”継続は力なり」という条件を加えてもらいたいと感じるのである。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。