大坂なおみ選手の会見拒否に見るメディアの問題点

テニスの4大大会、全仏オープンテニスの会見拒否から、心の健康を理由に棄権となった。

各メディアやトップアスリートがそれぞれの立場でコメントを発しているが、ワイドショーという環境に守られた無責任コメンテイター達は相変らず、どこかポイントがズレている発言が多く感じる。

心の健康は現代社会の問題

この問題は、決してトップアスリートに限った問題事象ではないし、テニス特有の問題でもない。現代の社会問題なのである。

まず、棄権に関してだが、複雑に考える必要は無く、物事は単純化して整理するべきだし、そうでないと本当の問題は見えてこない。

大会の場は、大坂なおみ選手にとって職場であり、そこでの仕事は試合だけでなく、記者会見などのメディア対応、ファン対応なども含めて全て仕事である。その仕事を責任持って実行する事が出来ない健康上の事由が発生して、棄権(休暇)するという事だ。

大坂なおみ選手twitterより

心の病気も病気であるし、職場を離れざるを得ない立派な事由である。従って、しっかりと療養し治癒させ、復帰プログラムを経て復帰できることを心待ちにしたい。否、こういう期待も心の病の回復には障害に成り得るので静かに見守るべきだろう。メディアも朝から晩まで報道するのではなく、事ここに及んでは静かにするべきだろう。

確かに、会見拒否から、棄権声明のSNS発信など、正直叩かれてもおかしくない表現もいくつかあるが、そこは心の病が故の所作と考えて大目に見ても良いだろう。

これは、アスリートの世界特有の現象ではなく、一般の社会、企業でも多数発生している現象であり心の健康を取り戻すべく対応する以外にないだろう。

会見なしで、プレーだけ出来る様に周囲で配慮、時代遅れの規則を見直すべき等と無責任に言う向も多いが、それは根本的に違う。会見に耐えられない病状で、プレーのストレスに耐えられるとは到底思えない。プレーであっても、自身の思う通りに行かない厳しい場面に出会うだろう、そのプレッシャー、ストレスを乗り越えて、正常にプレーを続け様とする事も、病状を悪化させる要因になり得るのだ。

繰り返すが、プレーと会見等セットで仕事であり、その一部が耐えられない状態であれば、その原因に向き合い、まずは適応できる様に回復を目指すべきなのだ。

アスリートとメディアの関係

トップアスリート故のメディア対応の負担だとか、記者会見で浴びせられる心無いインタビューの数々、それらの問題性を殊更極大化して取り上げるのも、本質的ではない。

念のため断っておくが、筆者はメディアの姿勢に関しては、問題性を孕んでいると、憤りを隠せない。数々の上から目線で自身が絶対正義であるかの様な振る舞い、言葉狩、揚げ足取り、人格攻撃等も多く見受けられ、人間的にも、社会的にも決して許されるものではないと感じている。それでも、今回の件で記者会見の方法論や、ルール化等に安直に結びつけるのは、論点のすり替えであり、本質的な問題解決に向かわず、筋が違う論点と考えている。

メディアの問題姿勢に対しては、問題提起はしつつ、自分自身が変える事の出来ない社会悪として、その存在を認識し、自己防衛をする事で対処する必要があるのだ。事実、トップアスリートだけでなく、ジュニアアスリート時代から、メディア対応は教育訓練の対象になっている。

ジュニアアスリートによる、大人から見たら問題発言に思える、天狗の様な発言、振る舞いに対してメディアが総攻撃する事案が過去に幾例も発生していた。ある程度、年齢を重ね、社会に出れば、コミュニケーションの方法や不必要に事を荒げない振る舞いは自然と身に付いてくるが、ジュニアアスリートはその力を備える前にメディア等に晒されるリスクがある。

ジュニアアスリートに対しては、学校やチームの代表としての認識、責任感を持たせ、普段の振る舞いから、メディア対応等も教育している。筆者が代表としてコーチを務めていたクラブチームの選手達も同様に教育を受けていた。学生アスリートなどがテレビのインタビューで、『そうですね・・・』と、決まり言葉から入る事を意識された事はあるだろうか。突拍子もない質問が飛んでくる事も想定し、いきなり答えるのではなく、同意を示しながら、冷静に考える時間を稼ぐ手法、身を守る手法の一つなのである。

ジュニアが自己防衛せざるを得ないという問題は孕んでいるものの、今回の大坂なおみ選手の件とは別次元で検討する必要があるだろう。

スポーツ普及における共存共栄関係

スポーツの普及には、底辺の拡大とトップ選手の養成、その両輪が必要不可欠だ。底辺が拡大普及してこないと、トップ選手は出て来ない。トップ選手が活躍しないと底辺の拡大が図れない。そして、選手自ら、地域密着、ファンサービス、普及活動や広報活動にも前向きに取り組む事で競技自体の普及が図れ、それによってアスリート自身の活動の場が確保できるという繋がりがあるのだ。

アスリートだって、他の仕事と同様、全て自分の自由になる訳ではない。思い通りにいかない事も多いだろう。上に行けば行く程、周囲に対する責任も重くなる。それは至極自然の事ではないだろうか。

また、スポーツの普及の為にはメディアの力は必要不可欠だ。ネットの拡販力も相当高まってきてはいるが、まだまだ電波系メディアには敵わない。従って、アスリートとメディアは利害関係者であり、共存共栄が必須の関係なのだ。

そして、昨今の社会問題でメンタルヘルスの問題は更に拡大してきており、アスリートも例外でなくなっているのだろう。これは、別次元で対応するべき問題なのだ。例え、自分自身と思想信条や主義主張が異なろうとも、多様性も尊重し、リスペクトする事が重要。その上で、記者会見も含めた言論空間では、論理性を保つと言う最低限のルールの上、スポーツ競技に関しては競技ルールに則って、遠慮なく全力で戦うべきなのだ。