ウィーンに事務局を置く包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)の次期事務局長に豪外務貿易省保障措置・不拡散事務局長のロバート・フロイド氏(Robert Floyd)が選出された。次期事務局長選はブルキナファソのラッシーナ・ゼルボ現事務局長の2期目の任期が今年7月31日に満了することを受けて実施された。選挙はフロイド氏と再度立候補を決めたゼルボ氏の問で行われたが、5回目の投票でフロイド氏が当選に必要な3分の2に当たる96票の支持を獲得した。ゼルボ氏は48票に留まった。CTBTO第4代目の新事務局長の任期は今年8月1日から始まる。
投票結果を振り返る。第1回目の投票ではフロイド89票、ゼルボ氏54票、棄権1票、第2回目フロイド87票、ゼルボ58票、棄権1票、第3回目フロイド90票、ゼルボ55票、 棄権0、第4回目フロイド91票、ゼルボ氏54票、そして第5回目でフロイド氏は96票を獲得、ゼルボ48票、棄権2票だった。
ゼルボ現事務局長が最後まで事務局長ポストを諦めず、中国ら加盟国の支持を集めて健闘した。国連機関、そしてCTBTOでも事務局長はこれまで2選で退陣してきたが、ゼルボ氏は加盟国が願うならばという条件で今回出馬した。その背後には、オーストラリア出身のフロイド氏の当選を阻止したい中国側のゼルボ氏出馬要請があったと推測されている。
興味深い点は、日本外務省が豪外務省高官のフロイド氏(63)の選出をいち早く歓迎していることだ。日本外務省は、「我が国は、核兵器不拡散条約(NPY)体制を支え、核兵器のない平和で安全な世界を実現するための現実的かつ具体的な措置として、包括的核実験禁止条約(CTBT)を重視してきた。CTBTの発効促進、国際監視制度や現地査察制度の整備等の取組において、フロイド次期事務局長との間でも積極的に協力していく考えだ」と歓迎の辞を発信している。
日本とオーストラリアは現在、中国の軍事的脅威に対抗するため、インド太平洋の安全保障の強化に乗り出し、米国、インドと共に反中包囲網を構築している時だけに、インド太平洋地域に精通した豪外務省高官のCTBTO事務局長選出は朗報だ。ちなみに、日本は広島、長崎の2都市に原爆投下を受けた世界最初の被爆国だが、オーストラリアでも先住民が英国の大気圏内核実験の被害を受けている。両国はCTBTOに対して強い関心を共有しているわけだ。
包括的核実験禁止条約機関は、加盟国の核実験禁止条約の遵守を監視する。同時に、CTBTO準備委員会は、国際監視制度(IMS)施設の建設、国際データセンター(IDC)設置、現地査察(OSI)実施の準備等の活動を行う。
CTBT条約の署名は1996年9月の国連総会で開始されたが、CTBT条約はまだ発効していない。加盟数、批准数では既に普遍的な国際条約といえるが、条約発効に不可欠な44カ国の署名・批准が完了していないからだ。
条約発効要件国44カ国の中で米国、中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエル、エジプト、北朝鮮の8カ国は未批准だ。CTBTOのサイトによれば、6月1日現在、加盟国は185カ国、批准国170カ国だが、条約発効に必要な44カ国の批准国は36カ国に留まっている(「早期発効の困難な国際機関の未来は」2020年1月21日参考)。
一方、CTBTOが誇る国際監視制度(IMS)は2019年12月13日、アルゼンチンのインフラサウンド観測所、そして南アフリカで放射性接種観測所の2カ所が正式に加わったことで、観測所数が「300カ所」の大台に到達した。IMS網はいよいよ完成(目標337カ所)に近づいている。
IMSは核爆発を探知するネットワークで全世界に4種類の観測所(地震観測所、微気圧振動観測所、水中音波観測所、放射性接種観測所)を設置し、監視している。IMSは過去、インドネシアの大津波などの自然災害の対策にも大きく貢献してきた。
世界には今、米国を筆頭にロシア、中国、英国、フランス、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮の9カ国が核兵器を保有している。その核兵器数は地球全体を数回、破壊できるだけの量だ。広島、長崎両市に原爆が投下されてから今日までに確認されただけで2059回の核実験が行われた。国別統計にみると、米国が1032回、旧ソ連715回、フランス210回、英国45回、中国45回、インド4回、パキスタン2回、そして北朝鮮の6回だ。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると、2020年1月時点の核兵器保有数は1万3400で前年同期比で465減少。90%以上を米露が保有している。米国、ロシア、フランスの核兵器保有数が減少した一方で、英国、中国、インド、パキスタン、北朝鮮の核兵器保有数は増加している。
CTBTOは今年、署名開始から25年目を迎えているが、早期発効の見通しはたっていない。上院と下院で過半数を占めるバイデン米政権がCTBTを批准すれば、中国がひょっとしたら批准に動くかもしれない。インドとパキスタンは一方が批准すれば他方は批准する可能性がある。イスラエルとイラン(エジプト)の関係でも同じかもしれない。最後に残るのは北朝鮮だ。米朝の非核化交渉が進めば可能性は出てくる。中国が米国と共に批准し、北京がその後、平壌に圧力を行使すれば可能性は出てくるかもしれない。
以上のシナリオは単なる可能性に過ぎない。全てがその通り進展することは現実的には考えられないから、CTBTOの発効はやはり今後も険しいといわざるを得ない。豪外務省出身のフロイド氏がどのような政治・外交手腕を駆使し、停滞するCTBTOを動かすことが出来るか、注目したい。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。