なぜ上がらない日本の最低賃金

日本の最低賃金は全国平均で902円。1000円を超えているのは東京(1013円)と神奈川(1012円)だけで中国四国九州地方と東北地方の各県はいまだ700円台が主流という水準です。

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日本では貧困率とか生活支援問題など低所得が問題となっています。政府は様々な対策を考えていますが、個人的には小手先の政策よりまずは最低賃金を長期的に大幅に引き上げる、この政治的決断しかないと思っています。

その最低賃金を巡る審議会が6月中旬から始まるそうです。例によって専門家や各方面の関係者が様々な意見をぶつけ、厚労省が主導で提示がなされそうです。

私は日本をダメにした一つはこの「専門会議」ではないかと思っています。コロナの際もそうなのですが、菅総理も小池さんをはじめとする知事も「専門家の意見を聞いて」とあります。では専門家はそんなにすごいのか、という疑問は何処からも出てこないのでしょうか?

「専門バカ」という言葉があります。非常に狭い分野については長けているが、それが全体枠の中でどうバランスするかについては全く見えないのはその範疇でしょう。そして専門家の多くは二つの点で劣っています。一つはリスクを取る覚悟をほぼ持っていないこと、もう一つは専門家の背景には一定の利益集団が控えていることが多いのです。特にリスクを取らないということは最も安全で自分に火の粉がかかってこないことしか発言しない傾向が強いともいえます。

ところが政治家も首長も自分の将来の地位や職が脅かされるようなリスクは取りたくないので「専門家に伺って…」ということになります。これは日本の政治が腐ってしまった汚点の一つかもしれません。専門家に伺うのは結構。しかし、本質は政治家や指導者が一定の方向性のプランを持っていて、そのプランを進めるにあたり、専門家がそれに支障があるかどうかを第三者として客観性を持たせた意見を付保するべきでした。

つまり、そもそもの案を作るのは政治的判断に基づくものであったり官僚/身内の頭脳集団に検討させ、専門家の検証を求めるのが本筋だったはずです。例えばカーボンニュートラルの目標などは完全に政治主導で日本が2050年に目指す目標値の根拠はほぼありません。ところが今は専門家が官僚以上に幅を利かせ、実質判断をし、おまけに会見で好きなことを言いたい放題です。こんな混乱を招いた方向性に誰も気が付いていないのでしょうか?

では最低賃金の話ですが、諸外国ではどう決めているか、といえば政治的に決めています。企業がどうのこうの、という声は一応ありますが、それは乗り越えらえるものと判断されています。

例えば私の住むカナダ、ブリティッシュコロンビア州の例です。95年10月までは7ドル、その後じわっと上がって01年11月から8ドル、11年に8.75ドル、12年に10.25ドル、その後も断続的に上がりこの6月からは15.20ドルになります。ざっくり20年で最低賃金が9割も上がるのです。それに伴い、低い賃金だった人もスライド式に上がり、賃金は全体的にどんどんインフレ化しています。それが様々な物価上昇にも当然繋がっているのですが、経済はより活性化しています。

例えば私がかつて経営していたコーヒーショップ。15年前はコーヒー2ドル、サンドウィッチ7-8ドルでした。私の店を引き継いだ方のサンドウィッチの価格は15ドル-20ドルぐらい上がっています。もちろん、apple to apple の比較ではないですが、最低賃金の上昇と物価の上昇が似たようなレンジで上昇しているのです。

日本の経営者に北米は最低賃金1500円だよ」というとネガティブな意見しか出てこないでしょう。しかし、ある日突然、上がったわけではなく、じわじわと上がっていっています。それと時折、一気に1割ぐらい上がった時(例えば8ドルが8.75ドルになった時)は確かに産業界から否定的な意見も出ましたが、結局それが最終価格に転嫁され、消費者は「そうよね、そんなに安い賃金じゃかわいそうよ」ということで支援する人が多かったのです。

もう一つは産業に淘汰の風を吹き込んだことでしょうか?ダメな会社や事業は駄目であり、より高いレベルのビジネスが要求されるのだと。つまり物価上昇と共に経営者も労働者の質も共に上がらざるを得なくなり、ゾンビが許さない社会となったのです。

ところが日本の専門家会議でそんなこと言う人はいません。言えば袋叩き似合うでしょう。とすれば専門家に判断を任せるのでなく、専門家の意見はあくまでも補足的なものであり、政治的にどうしたいのか決めてしまえばよいのです。菅総理が早期に日本全国平均1000円にしたいのなら時間軸を決めて、例えば2024年4月には平均1000円、都道府県別最低時給は950円にする、といった決めごとをし、専門家がそれにどうやったら到達できるのか、考える、そういう展開にすべきかと思います。

日本の社会は専門家に振り回されている、そんな風に見えます。そうではなく、政治が道筋をきちんと示す、それをどう形作るかを考えるのが専門家であり、彼らにYES、NOを言わせてはいけないのだと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年6月2日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。