生活保護への対応と地方自治体のコンプライアンス

私は、コンプライアンスを、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」ととらえ、組織をめぐって発生する様々な問題の解決、事業・業務におけるコンプライアンスの取組みに関わってきた。

とりわけ、「社会の要請に応える」というコンプライアンスの観点が重要なのが地方自治体である。民間企業においては、需要に反映された社会の要請に応えていくことがベースとなるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズのほかに、公共の利益に関連する様々な要請が絡み合い、それに応えていく地方自治体の業務に関して、複雑かつ困難な問題が発生する。

その中で、最も深く関わってきたのが横浜市だ。2007年から、コンプライアンス外部委員としてコンプライアンス委員会に関わっていたが、2017年からはコンプライアンス顧問として、各部局、区で生起する様々な不祥事、コンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局・各区の幹部に対するコンプライアンス研修の実施などを通して、深く関わってきた。

コロナ禍の長期化で、社会全体が消耗、疲弊する中で、地方自治体に対する要請も複雑多様となり、バランスよく的確に応えていくことは容易ではなくなっている。こうした中で、横浜市においても、様々な不祥事の発生が続いている。

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そのうちの一つ、社会的にも大きな問題となったのが、今年2月、横浜市神奈川区生活支援課での生活保護の申請をめぐる問題だ。

生活保護をめぐる複雑な社会の要請

生活保護という制度と運用をめぐっては、これまでも地方自治体の現場で様々な問題を発生してきた。そこには、制度と運用をめぐって社会の要請が複雑に絡み合う構図がある。

1つは、「生活保護は他の手段の補足であるべきだ」という要請である。誰しも、自らの資産・能力によって健康で文化的に生活できることを望んでいるはずであり、それが困難な人に対する直接的な公的支援として行われる生活保護は、「最終的な手段」だ。生活困窮者に対して、就労機会の提供や他の制度の活用などによって自立を支援できるのであれば、その方が望ましいことは言うまでもない。

2つめは、「保護を必要とする人には積極的に対応する」という要請だ。自らの資産・能力では健康で文化的な最低限の生活を維持することが困難な状況になっている人に対しては、生活保護による支援を積極的に行うことが求められる。真に生活保護を必要としている人に申請を躊躇させるようなことはあってはならない。特に、現在のコロナ禍のように、困窮者が急増する経済、社会状況においては、生活保護による支援が、より幅広く行われる必要がある。

3つめは、「保護要件の審査は厳格に行うべき」という要請だ。生活保護費は、公的資金によって賄われているのであり、保護要件の充足に関する審査は厳正に行われなければならない。いかなる状況においても、資産・能力についての虚偽申請や不正受給は許されないし、特に、暴力団関係者等による不正請求に対しては、毅然とした対応が求められる。

生活保護に対応する自治体には、複雑に交錯するこれら3つの要請に、バランスよく適切に対応することが求められる。

自治体の現場での生活保護への対応の経緯

自治体の受付窓口では、生活保護の申請があれば、まず「相談」という形で対応し、生活保護制度のほか、生活福祉資金・障害者施策等各種の社会保障施策についても説明する。そのうえで、申請の意思を確認し、様々な検討・調査が行われる。その際、自治体の側で、保護申請をなるべく受理したくないと考えて、申請書を渡さない、受け取らない、申請を取り下げさせるような対応がなされることがある。

かつて、暴力団などの不正受給防止のために厳格な審査を求める通知が厚生省から発出されたことがあり、その通知に過度に反応した現場が、申請を受理せず、窓口で追い払う傾向が強まったことがあった。それが、「水際作戦」として批判にさらされた。2006年には、北九州で生活保護申請を受理してもらえなかった生活困窮者の餓死事件が発生したことで、社会問題化した。

その後、厚生労働省は、「要保護者の申請権の侵害をしない」方針を明確に打ち出し、生活保護法23条による法施行事務監査を行って、「保護の相談に当たっては、相談者の申請権を侵害しないことはもとより、申請権を侵害していると疑われるような行為も厳に慎むこと」と徹底してきた。

しかし、その後も、2014年に銚子市で母子心中事件が起きるなど、生活保護をめぐる問題は後を絶たない。「保護申請をなるべく受理しない」という「水際作戦的な姿勢」は、まだ、自治体の一部に残っているようである。

自治体としては、窓口での対応が、そのような批判を招かないよう、最大限の努力をすべきである。

横浜市神奈川区生活支援課の事案

そこで、横浜市神奈川区生活支援課で発生した事案についてみてみよう。

2月22日、横浜市神奈川区生活支援課に、「アパートで暮らしたい」という理由で生活保護を申請しようと訪れた20代女性の申請を受け付けなかったことが問題になった。女性を支援する生活保護の支援団体から、「生活保護の申請権を侵害する悪質な水際作戦」などと批判され、マスコミでも大きく報じられた。

その女性は、居所がなく、「アパートで生活をしたいため」生活保護を申請したいと希望していたのに、対応した職員が、路上生活者などに提供される横浜市の生活自立支援施設を案内し、「居所が定まらないと申請が却下される可能性がある」などと施設入所が受給の要件であるかのような誤った説明を行って、女性の当日の申請を諦めさせてしまったのである。

担当職員が事実と異なる説明を行い、申請の意思があったのに受け付けなかったのは、明らかに誤った対応だ。問題は、そのような対応が、どのような意図で行われたのか、それが、担当職員個人の問題なのか、横浜市の組織としての生活保護への対応姿勢にも問題があったのかという点だ。

この事案では、申請書を持参して「申請したい」と口頭で述べている時点で、客観的に申請意思が明らかだったと言える。路上生活者になりかねない若い女性が救済を求めてきているのであるから、上記の2つめの「保護を求めている人には積極的に対応する」要請という面では、担当職員から促してでも、申請書を受け取るべきだった。

その女性は「アパートで生活をしたい」との希望を述べていたのに、申請書を提出させる前に、施設等を案内し、そこに住民票を移せば容易に手続きできるかのような説明を行えば、施設入所が受給の要件であるかのように思われ、意にそぐわない施設入所を押し付けられたように受け取られる。そういう意味で、申請権を侵害する可能性のある対応であったことは否定できない。

「水際作戦」だったのか

しかし、担当職員の対応は、果たして、申請をなるべく受理したくないとか、申請を諦めさせようとする意図で行われたのだろうか。

支援施設を保有している横浜市の担当職員として、居所のない困窮者に対して、支援の「選択肢」として、経済的負担のない施設への入所を案内することは、一般論としては間違っていない。また、居所があることは生活保護申請の要件ではないが、居所が定まっていない場合、受給決定後の生活状況の調査等に支障が生じる可能性があるという意味で、受給の可否の決定に影響を与える要因となることは否定できない。保護が開始されるために、居所を定めたほうがよいというのも、生活保護の受給についての説明として間違っているわけではない。

そういう意味では、申請を妨げようとする意図ではなく、むしろ、良かれと思って説明していたのではないかとも思える。それは、申請を受け付けた後の要保護要件の審査で、上記の3つめの「保護要件の審査は厳格におこなうべき」との要請が働くことを念頭において、1つめの「生活保護は他の手段の補足であるべきだ」との要請から、まず、居所のない状況を解消すれば実質的な救済につながると思った可能性がある。

しかし、そうであったとしても、若い女性に、いきなり施設入所を勧めたことが配慮を欠いた対応であったことは否定できないし、それが、申請を受け付けること自体に消極的であるように受け取られ、2つめの「保護を求めている人には積極的に対応する」という要請に反することになったのである。

担当者個人の対応の背景にある、横浜市の生活保護行政の姿勢自体については、問題があったようには思えない。最近の厚生労働省の生活保護法施行事務監査において問題が指摘されたことはないし、昨年も、緊急事態宣言を受け、ゴールデンウイーク中も臨時相談窓口を開設して対応するなど、むしろ、生活保護への対応には積極的な姿勢で臨んでいた自治体である。横浜市としては、必要な生活保護費については、十分に予算確保する考えが浸透しており、申請を絞り込む動機があったとも思えない。

コロナ禍での環境変化への不適応

そのように考えると、むしろ、今回の事案は、コロナ禍での要保護者の状況の「変化」に、担当職員を含め神奈川区の生活保護担当部門が適応できていなかったことに原因があるように思われる。感染対策の影響でいきなり職を失い、住居も失って、生活保護を求めるケースが増えており、その中には、居所さえあれば施設でもよいと考える困窮者ばかりではなく、職を失って所持金は減少していても、施設には抵抗感があり、一般住居に暮らしたい、と希望する人もいる。“生活保護”と一口に言っても、要保護者が求めることの中身が多様化し、よりきめ細かな対応が必要となっていると言えよう。

そうした状況においては、受付窓口での相談の段階から、その実情、困窮の態様・程度に応じて、実質的に有効な支援を行えるよう適切な対応が必要となるし、それが、要保護者に正しく認識理解され、寄り添った対応ができるよう、より高度なスキルが求められる。

現場の知識習得・技術向上のための指導体制、人員不足の改善などにも目を向ける必要があるだろう。

横浜市は、今回の事案を受けて、5月14日、第三者による検証を行うため、「生活保護申請対応検証専門分科会」を設置した。そこでは、今回の不適切な対応について検討し、原因を明らかにするだけでなく、コロナ禍での環境激変の中で、要保護者にきめ細かなケアを行うための職員の指導監督や体制整備の方策について幅広く検討が行われることが期待される。

そして、事案の調査、上記分科会による検証を踏まえて、現場レベルでの改善措置を十分に講じることに加え、もう一つ重要なのは、自治体としての明確なメッセージを発することである。今回の事案がマスコミで「水際作戦」などと報じられたことで、横浜市の生活保護行政に対して疑念や不信が生じたことは否定し難い。それを払拭するためには、コロナ禍で増大する生活困窮者に対して、生活保護も含め、あらゆる手段を講じて積極的に支援を行っていく方針を明確に示すことが大切である。自治体のトップ自らの対応が求められる場面である。