ドイツの福音主義神学者で宗教教育学者のジーグフリード・ツィマー教授の講演を聞いた。教授の「カインとアベル」についての解説は新鮮だった。旧約聖書の創世記は歴史的な史実に基づくものではなく、歴史前(先史的)な内容が記述されている。教授は、「そこには人間が誰もが抱く疑問について言及されている」という。「カインとアベル」の話もそうだ。
「カインとアベル」の話と言えば、カインは弟アベルを殺害した悪い人間で、アベルはいい人間、といった白黒をつけて語るケースが多い。教会系の幼稚園や小学校ではカインとアベルの話はいつも出てくる。ところで、創世記を読む限り、アベルについてほぼ何も語られていない。その一方、カインについては多くの言動が記されている。まるで、アベルはどうでもよく、スポットライトはカインの言動に注がれているかのようにだ。主人公は殺人者カインであって、犠牲者アベルではないのだ。
聖書によると、人類の始祖アダムとエバは「神の似姿」で創造されたが、カインは人類最初の女性から生まれてきた人間だった。神がカインに特別の思いをもって見るのも当然かもしれない。その人類最初の人間カインは大きな試練を受けるのだ。
聖書にはアダムは約600回登場するが、エバは2回だけだ。アダムは人間を意味し、エバは「生き生きした」という意味が含まれている。21世紀のジェンダーフリー運動家が聞けば、「聖書は女性を軽視している」といった文句の一つでも飛び出すかもしれない。ただし、エバはカインを産んだ時、「わたしはヤハウェによって、ひとりの人を得た」と言っている。エバは決して「私たち」とも「アダムによって」とも言っていない。エバは人類史上、「ヤハウェの助けを受けて人を産みだした」という事実を誇示しているわけだ。
同時に、エバは神をヤ「ハウェ」と呼んだ最初の人間だ。モーセが神に名を聞くと、神自身は「私はヤハウェだ」と答えているが、エバはその数千年前に神の名を知っていたことになる。創世記の記述者はエバの名誉回復をしている。創世記には、アベル出生時には、「彼女はまた、その弟アベル産んだ」と書かれている他は何も言及されていない。
さて、カインとアベルは神に供え物を捧げる時を迎えた。兄弟はそれぞれ自分が育てた供え物を神の前に捧げた。すると、神はアベルの供え物を受け取る一方、カインのそれは受け取らなかった。ツィマー教授は、「明らかに不公平だ。同時に、我々が生きている世界でも同じような不公平が至る所で見られる。ある者は生まれた時から健康に恵まれ丈夫に育つ。一方、生まれた時から遺伝病を患い苦しむ人もいる。物資的に恵まれた人、貧しい人がいる。まじめにやっても幸運が来ない人もいる。この不公平な状況はカインの時から既に始まったわけだ」と指摘する。
理由なく自分の供え物を顧みられなかったカインは、激しく憤って顔を伏せた。神は、カインの様子と心の動きを見ている。憤りを押さえて正しいことをするようにと諭す。「正しいことをしていないなら罪があなたを待ち伏せして誘惑するから、それを治めなければいけない」と教えるが、カインはアべルを殺害する、人類最初の殺人事件だ。神はカインにアベルはどこにいるか聞くが、カインは嘘を言う。殺人と嘘は常に一体だ。神はカインに対してカインの行く末を語ると、カインは、「わたしの罰は重くて負い切れない、神を離れて地上の放浪者となる私を見付ければ誰かが私を殺すでしょう」と嘆くと、神はカインを殺す者はその7倍の復讐を受けると述べ、カインの安全を守ることを約束している。
旧約聖書の神は厳格で非情だといった印象を与えるが、アベルを殺害した直後のカインへの神の言動はイエスの言動にも負けないほどの心情に溢れているのを感じる。
「カインとアベル」の話はある時代、ある場所で起きた具体的な事件ではなく、人類が生きて行く中で対峙する疑問を提示している。それは人間は常に不公平な立場に遭遇するという点だ。
なぜ神はカインの供え物を受け取らなかったのだろうか。ツィマー教授は、「神への供え物に対する詳細な決まりはノアの時代から始まっている。カインとアベル時代ではない。だから、カインが供え物の規則を破ったから、とは考えられない」と指摘し、「謎だ」という。
多くの神学者や宗教者が「その謎の解明」に取り組んできた。ある神学者はアダムとエバには2人の子供がいた。長男のカインは大天使ルシファーとエバの不倫の関係から生まれた立場を表示し、次男のアベルはアダムとエバの間に生まれた立場を表示していた。前者が後者に屈服することで、ルシファーとエバの不倫関係を償うという神の計画があったという。
いずれにしても、カインが直面した問題、「なぜ自分は神に認知されないのか、神の愛を受けられないのか」といった憤りは、カイン後も人類に継承され、人間を苦しめる大きな疑問となっていった。
ツィマー教授は、「カインのその時の感情は激怒といったものではない。燃え上がっていたのだ」と言う。その火はこれまで消火されることなく、時には延焼し、大火災となって猛威を振るっているわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。