サンチェス首相がスペイン統一を犠牲にする選択をした理由

カタルーニャで収監されていた独立派の元閣僚ら9人が恩赦で出所。カタルーニャでなぜ独立への動きが発展したのか

ESPAÑA, CATALUNYA, INDULTADOS 9 POLITICOS CATALANES.          08-07-2021.

6月23日、カタルーニャ州政府の元閣僚7人と政治団体の代表2人がスペイン中央政府により恩赦され釈放された。2017年10月1日にカタルーニャの独立を問う違法住民投票を実施したことが収監の要因となっていた。その首班であったカルレス・プッチェモン元州知事は今もベルギーに逃亡中である。

サンチェス首相が恩赦することを決めた理由

なぜ今の段階になってサンチェス首相は恩赦することに決めたのか。2年前の総選挙の時には彼はそれに反対していた。恩赦することに決めたと思われる理由は、これから残り2年余りの政権維持には過半数の議席には大きく届かない。そのために与党にカタルーニャ共和左派(ERC)やバスクのバスク国民党(PNV)やテロリスタ・エタが基盤になってできた政党ビルドゥ(BILDU)などから法案ごとに支持票を得たいからである。例えば、これまで首相の議会での信任票や本年度の予算の承認には彼らからの支持票を得て成立させている。

一方のカタルーニャ独立左派のリーダーで、今回出所したオリオル・ジュンケラス元副州知事は、恩赦に感謝するのではなく、「恩赦はスペイン国家の弱さを証明するものだ」と答えている。サンチェス首相が望んでいるようなカタルーニャの独立派政党と協調関係を生み出そうとする意思はかれらからは見られない。

しかも、ジュンケラス氏から非常に信頼されているペレ・アラゴネス現州知事は「次は独立の為に住民投票を双方で合意のもとに実施することである」と述べた。今回独立派政党の元閣僚らが恩赦されたことに感謝するのではなく、あくまで独立への道を邁進する姿勢を示しているのである。

また、カタルーニャ州政府のジョルディ・プッチェネロ副州知事は、アラゴネス知事よりもさらに過激派である。カタルーニャ州テレビによるインタビューの中で、今後のカタルーニャ自治についての交渉の場において住民投票が認められない場合は、独立を問う住民投票を違法だと言われても再度実施することを誓ったのである。(「OKディアリオ」6月22日付から引用)。

12年政権を維持したフェリペ・ゴンサレスが首相だった時に、副首相を務めたアルフォンソ・ゲッラ氏は、カタルーニャ政府について、「一歩譲歩すれば、彼らはさらにその次の譲歩を要求して来る」と語ったことがある。正にその通りで、彼らは恩赦に感謝するどころか、それでは不満で法廷での判決を否定して無罪にさせるべく大赦にしろと要求しているほどだ。

カタルーニャの独立への動きが生まれたプロセスとは

カタルーニャで独立への動きが起きたのは遠い過去からではない。20世紀までは独立へ動きは非常に僅かであった。2007年頃だとカタラン人の間で独立を意識していた人たちは、僅か17%しかいなかったという。ところがその僅か5年後にはカタルーニャの独立を望む人たちは40%までに増えたのである。なぜこのように急激に独立を支持する人が増えたのかという理由は、当時の独立派政治家がカタラン人を洗脳したからである。

独立派政治家たちはその起点を、1714年のバルセロナ伯領が自治機能を失ったことに置いた。スペインの王位継承戦争でハプスブルク家を支持したバルセロナはブルボン家の擁立派の前に敗北。この敗北によってカタルーニャは自治機能を失うのであった。しかし、当時も独立した国家ではなかった。それを現在の独立支持派はあたかも独立していた国家をブルボン家の前に失ったとカタルーニャの州民に教えたのである。現在のスペイン王家はブルボン家であることも独立派が王家に反発する理由でもある。

1990年代にカタルーニャの州知事だったジョルディ・プジョル氏は「プログラム2000」と称したカタルーニャを独立国家に仕立てる構想を計画した。そしてそれを「プロセス」と呼んだ。

カタラン語の教育を徹底させて、スペイン語での学校での授業は1週間に2時間といった割合にした。教師は親たちにもカタルーニャを一つの国家としての意識を持つように教育していった。さらに、官公庁の言語はカタラン語が公用語となった。道路標識などもカタラン語を徹底させた。また、カタルーニャ州テレビTV3とカタルーニャラジオの普及を図った。そこではカタルーニャの独立が根底に宿った報道になった。

1992年のバルセロナ・オリンピックは正にこの独立への「プロセス」が始まった頃であった。だから、まだ当時はスペインへの反感はなく、スペインが開催するオリンピックとして成功させた。しかし、例えば、場内アナウンスでは最初にカタラン語、それから英語、フランス語となり、最後にスペイン語が使用された。

ひとつ逸話がある。ある競技の場内アナウンスがスペイン語でなされなかった。そのため、スペイン人の選手がもう一人カタラン語が分かるスペイン人に「今、何を言ったか説明してくれ」と尋ねたそうだ。実際、カタラン語を初めて耳にするスペイン人だとその言っていることの8割は理解できないと思う。

 カタルーニャ大使館の開設

それとカタルーニャ大使館の設置である。商業や文化面での普及の為に外国での活動の場としての事務所を設けることは可能である。しかし、一国の外交はスペイン大使館に限定されるべきである。カタルーニャ大使館の設置は違法であるが、カタルーニャ州政府はそれを無視して世界の主要都市に大使館を開設している。唯一それが中断したのは住民投票を実施したあと自治機能がスペイン政府によって停止させられた時である。しかし、自治機能が回復するとまたその活動を州政府は再開させている。

このようなプロセスを遂行していった結果、2019年にはカタルーニャの住民の45%が独立を望むようになっていた。そして47%がそれに反対している。2020年になると、スペインとカタルーニャの紛争に州民も幾分か疲れを感じたようで、独立支持派は42%まで下がり、独立反対派が遂に過半数を超えて50.5%となった。(電子紙「エル・コンフィデンシアル」2020年7月31日付から引用)

カタルーニャの独立への動きで重要な問題は州民の過半数が独立に反対していることである。独立反対派は「我々はカタラン人であり同時にスペイン人だ」という意識をもっている。この独立支持派と反対派の比率を無視してこれまで独立派が占める州政府が独立への歩みを強引に進めて行ったことに無理があるということだ。

サンチェス首相の今回の恩赦の決定は、スペインの統一を維持させるのに非常に厳しいものがある。何しろ、独立派は独立することしか眼中にないからである。サンチェス首相は残り2年の政権にしがみつく為に危険な選択をしてしまった感は否めない。

最近の世論調査でも次期総選挙では、国民党が社会労働党をおよそ30議席上回るという予測されるようになっている。