オーストリアのクルツ首相は今月22日、新型コロナウイルスへのワクチン接種の効果もあって、新規感染者が減少してきたのを受け、FFP2マスクの着用義務を公共交通機関内やスーパーの買い物時以外は撤回すると発表予定だ。ただし、デルタ変異株の新型コロナウイルスの感染がオーストリアでも拡大傾向が見られ、夏季休暇後、旅行帰りの国民によって新規感染者が再び急増するのではないか、といった懸念がウイルス専門家や政治家の間でも聞かれ出した。
クルツ首相はメディアとの会見で、「政府としてはワクチン接種を積極的に推し進めてきた。その効果もあって新規コロナ感染者は減少し、重症化や死者数は減少してきた」と説明する一方、「あとは国民一人一人が自分の問題としてコロナ対策を実施すべきだ」と述べ、「ワクチン接種を含むコロナ対策はPrivatsache(プリバートザッヘ、個人の問題)だ」と語った。国としてやらなければならない義務は既に果たしたので、後は国民の責任だというわけだ。
クルツ首相の「Privatsache」という言葉は生命を左右する感染症病対策で最後は国民一人一人の個人の問題だ、といったクールな響きがある。34歳の若い首相の主張は多分、正論だろう。民主主義国家である限り、たとえそれが大切だとしても、国民の意思に反して強制はできない。そんな思いが「Privatsache」という言葉に含まれているのだろう。
オーストリアではワクチン接種者を増やすため年齢制限を撤廃し、若者たちも予約なしで接種を受けられるようになった。夏季休暇の海外旅行のためにワクチン接種を受ける国民は増えている。ウイルス専門家は19日夜のニュース番組の中で、「国民が率先してワクチンを接種し、接種率が85%を超えれば、通称『集団免疫』が生まれてくるが、それ以下の場合、集団免疫は出来ない」と述べていた。オーストリアの場合、7月19日段階で少なくとも1回のワクチン接種をした国民は514万3473人で全体の57.58%。2回の接種完了者は約400万人で45.58%だ。社会の集団免疫までまだまだ遠い状況だ。
ちなみに、感染症対策として集団免疫は欧州の新型コロナ感染の初期、スウェーデンなどで提唱され、一部実行された。集団免疫(独Herdenimmunitat)とは、ウイルスの感染を自然に委ねる。ウイルスの感染者が増加すれば、社会全体の免疫力が高まる。その結果、感染の拡大を防ぎ、ひいては感染危険層をより守ることができるという考えだ「『グレートバリントン宣言』の是非」2020年10月21日参考)。
オーストリアでは6月10日を期して、これまで実施してきたコロナ規制を撤廃ないしは緩和された。レストラン、喫茶店、映画館、フィットネスセンター、博物館、劇場、ホテル業など、ほぼ全分野が営業を再開した。例えば、ソーシャルディスタンスは2mから1mに短縮する。営業時間は午後22時までが24時までに。レストランではこれまで1テーブルでゲスト4人に制限されていたが、それを8人までに拡大。劇場やイベントも室内は1500人、野外3000人まで認められる。
もちろん、レストランや劇場に入るためには通称「3G」の証明書を提示する義務がある。「3G」とは、ワクチン接種証明書(Impfzertifikat)、過去6カ月以内にコロナウイルスに感染し、回復したことを証明する医者からの診断書(Genesenenzertifikat)、そしてコロナ検査での陰性証明書(Testzertifikat)のいずれかをレストランや喫茶店に入る前に提示しなければならない。3種類の証明書を所持している国民はgeimpft(接種した)、genesen(回復した)、getestet(検査した)国民ということから、頭文字の「G」をとって「3G」と呼ぶ。一種の通行証明書だ。
コロナ規制が解除された後、深夜の営業も認められたこともあって、パーティやディスコに多くの若者たちが殺到。その結果と言えばおかしいが、デルタ変異株の感染が若い世代に広がる傾向が見られ出した。実際、ワクチン接種が進んでいる国、例えば、英国やスペイン、そしてイスラエルなどでもデルタ変異株の感染が急増してきている。
「オーストリアは大丈夫だろうか」という思いが湧いてくる。多分、クルツ首相も同じ思いだろう。「君たちが主体的にワクチンを接種し、必要な時はマスクを着用するなどの対策を取らないと、今秋には第4波が襲ってくる」という警告が「Privatsache」という言葉に含まれているのだろう。
ウィーンの国連で昨年1月31日、在ウィーン国際機関中国政府代表部らの主催で、中国武漢の新型コロナウイルスに関するブリーフィングが開かれたことがあった。ブリーフィングでは中国政府代表部の王群(WangQun)全権大使が1時間余り、武漢の新型コロナウイルスに関する中国政府の取り組み状況などを説明した。
王群大使は、「中国は国際社会の責任あるパートナーだ。武漢肺炎の対策でも責任を持って取り組んでいる」と強調。大使はその直後、中国が武漢肺炎対策で3点のメリットがあると強調し、①重症急性呼吸器症候群(SARS)などの過去の経験、②中国は科学大国、そして3点目のメリットとして、「わが国は社会主義国だから、決定はトップダウンのため、武漢肺炎の対策では迅速に対応できる。大きな強みだ」と自信あふれる表情で語った。興味深い点は3点目のメリットだ。新型コロナ対策で後れを取る欧州諸国の実情を観て、中国外交官は変な自信がついたのかもしれない(「武漢肺炎対策で中国が誇る『強み』は」2020年2月2日参考)。
もちろん、クルツ首相は、「わが国が中国共産党政権のようだったら、国民に強制的にワクチンを接種させ、コロナ規制も徹底するのだが……」とは絶対に口に出せない。国民の自由を重視するゆえに、最後の選択は国民一人一人の選択に委ねざるを得ないからだ。新型コロナ対策で「国民の主体的な選択」がひょっとしたら高い代価を払わなければならないとしてもだ。
クルツ首相は国民の自由を尊重する故に、最後の選択を国民に委ねる。国のコロナ規制に強く反発を覚えてきた国民も今、自身で判断をしなければならない時を迎えている。夏季休暇中、国民は一人一人、新型コロナ感染防止のために何をしなければならないか、何をしてはならないかを慎重に考えて行動すべきだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。