柔道、卓球、スケートボード……。日本人選手が次々と金メダルを獲得し、徐々に盛り上がりを見せてきた感もある東京オリンピック。私は初めから開催に賛成だったので、やはり、アスリートたちが奏でる数々のシーンを目の当たりにし、感動しているし、とても有り難いと思う。やっぱりやって良かった、と子どもたちがテレビに噛り付く姿を見て、改めて感じる。
とは言え、バッハ会長の長すぎるスピーチは象徴的だったが、パッとしない菅総理の表情なども見るにつけ、組織委員会の数々の不祥事はもとより、多くの課題を残すことは間違いない大会である。新型コロナ感染症が拡大するなかでの挙行という、人類が初めて体験する異形のオリンピックにおいて、どのようなレガシーを次代へ継承させられるのか、関係者に課せられた宿題は多い。
私としては子どもたちに、直接観戦させてあげられなかったことが悔やまれる。あらゆる行事が中止になるなかで、一生に何度とない超一流アスリートたちの躍動を肌で感じることができる絶好の機会を、ほとんど頭ごなしに取りやめた政治や教育の側の姿勢は、批判されるべきである。はっきり言って、子どもたちの「夢」や「希望」について、最優先に真剣に考え、なんとか工夫しようとする素振りは、微塵もなかったと感じる。それは世田谷区も同罪である。
世田谷区では馬事公苑で馬術競技が行われている。残念ながら、日本人選手は個人、団体ともに予選敗退となってしまったが、競技をネットで見た娘が「馬術ってカッコイイよ!」と言うので一緒に見てみたが、そこにはたしかに特有の優雅で美しい風景が広がっている。馬術のような競技であれば、会場にいても対策を講じれば、感染拡大するとは思えないのだが。
今回のオリンピックは、何が何でも開催することのみに注力され、そのせいで内実を問うべきはずの理念や思想は完全に後回しにされた感が強い。このことは、選手たちの奮闘には関係ないが、選手たちにもよい影響をもたらすとは到底言い難い。「夢」や「希望」といった手垢に塗れた言葉を真に蘇らせる難業を、選手たちの力だけに任せてはならない。