神父がフェイクニュースを流す時

中国武漢発の新型コロナウイルスは今日、デルタ変異株となって世界に猛威を振っている。欧州でも新規感染者の80%以上がデルタ変異株といわれる。夏季休暇明けになれば、感染者が急増して感染第4波が到来するのではないかと懸念されている。そこで欧州各国はワクチン接種を積極的に進めているが、夏季休暇中ということもあって接種率がここにきて停滞気味だ。オーストリアでもワクチン接種バスを各地に派遣し、予約なしで接種できるような体制を敷く一方、国民にワクチン接種を受けるように改めて呼びかけている。

ワクチン接種反対者スバチュス神父(ケルンテン州カトリック教会の公式サイドから)

そのような時、オーストリア南部ケルンテン州ヴォルフスブルク地区のプライテネグにあるサンクト・ニコラウス教会のエウゲ二ウシュ・スバチュス神父が教会誌で、「欧州医療品庁(EMA)によると、ワクチン接種でこれまで1万2000人が死亡、80万人が副作用に悩まされている」という内容の書簡を掲載し、ワクチン接種を拒否するように信者たちに呼びかけていることが判明し、関係者にショックを与えている。オーストリア日刊紙「エステライヒ」8月2日付で報じた。

神父は、「ワクチン犯罪グループは今、子供たちにもワクチンを接種しようと画策している。ワクチン犯罪グループをこれ以上黙認していたら大変だ」としてワクチン接種を拒否するように訴えているのだ。

教会誌は部数は300部だから、その影響はごく限られているが、書簡を読んだ信者は動揺し、口コミでその内容が教区外にも広がってきた。教会指導部は、「彼は教会の健康問題担当者でもないし、ワクチン接種担当の係りではない」と指摘、神父を呼んで説明するように求めた、といった具合だ。

いずれにしても、神父が書いた「1万2000人の死亡者、80万人の副作用件数」は明らかにフェイクニュースだ。EMAはそのようなデータを公表したことはない。神父の説明では、「どこかに書かれていた内容をそのまま書いただけだ」という。

ファイザー製やモデルナ社製ワクチンはmRNAワクチン。遺伝子治療の技術を駆使し、筋肉注射を通じて細胞内で免疫のあるタンパク質を効率的に作り出す。ウイルスを利用せずにワクチンを作ることができるから、短期間で大量生産が出来るメリットがある。一方、アストラゼネカ製はウイルスベクターワクチンだ。欧州で認可されたコロナワクチンは、米ファイザー・独ビオンテック製、米モデルナ製、英製薬会社アストラゼネカ製、そして米ジョンソン&ジョンソンの4ワクチンだ。ロシア製スプートニクⅤと中国国家医薬集団「シノファーム」(Sinopharm)はEMAの認可を受けていない。

ちなみに、ワクチン接種反対者はmRNAワクチンについては、「遺伝子に影響を与え、人間を遺伝子レベルで変えてしまう危険性がある。その影響は次世代にも及ぶ」と述べ、mRNAワクチン接種を危険視する情報を垂れ流ししている。

関係者によると、同神父はワクチン接種反対者であり、新型コロナウイルス否定者という。教会側から呼び出された同神父はここにきて、「ワクチン接種が良くないという信念は変わらないが、信者たちを混乱させたことは間違いだった」と述べ、3カ月以内に故郷のポーランドに戻る予定だという。明らかに、教会上層部から発言撤回、職務停止の要請があったのだろう。

ところで、ローマ・カトリック教会総本山のバチカンはワクチン接種について、フランシスコ教皇の発言として昨年12月21日にバチカン教理省が公表した覚書がある。それによれば、「一般の国民、特に高齢者や疾患者を守るワクチンである限り、支持する。同時に、ワクチン接種は道徳的な義務ではなく、あくまで自主的な判断に基づくものでなければならない」と説明。その上で、「医薬品製造メーカーと各国保健関係者は倫理的に認可され、患者に接取できる受容可能なワクチンの製造に努力すべきだ」と強調。また、「貧しい国に対してもワクチンを提供すべきだ」と付け加えている。

ただし、バチカン教理省は、「ワクチンの効果や安全性について評価できない。なぜならば、それは生物医学者が責任もって答えるべき問題だからだ。ただしワクチンを接種するか否かの選択権が国民にない場合は、道徳的には受容できない」と述べ、ワクチンの接種義務化には反対の姿勢を崩していない(「『コロナ・ワクチン接種』と倫理問題」2020年12月23日参考)。

コロナ禍でロックダウン(都市封鎖)を経験してきた欧州の国民の中には、「ワクチンこそ昔の生活に戻れる最良の道だ」と受け取り、「ワクチンはコロナ禍から我々を解放してくれる救い主だ」とワクチン接種を大喜びする人々がいる。ただ、「救い主イエス」の福音を述べ伝えるバチカンは、「ワクチンは救い主」という表現を無条件で首肯するわけにはいかないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年8月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。