銅メダルの歓喜、銀メダルの涙、そしてそれらを超える「何か」

東京オリンピックでの日本選手の活躍が連日続いています。お家芸の柔道やレスリングだけではなく、新しく競技に追加されたサーフィンやスケートボードでも活躍する若者がたくさん生まれています。

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金メダル候補と期待されたのに予選で敗退してしまう人もいれば、無欲で戦いメダルを手にした人もいます。

だから、銅メダルで歓喜のインタビューをしている人もいれば、銀メダルなのに涙の会見になっている人もいる。

人間の満足度と言うのは、自分の期待値によって変わってくることがよくわかります。

金メダルでしか満足できないアスリートにとって、銀メダルは悔しいもの。

逆に、メダルさえ期待しなかったアスリートにとっては、銅メダルでも、とても価値のあるものに感じられるのです。

自分に高い目標を掲げ、それに向かって懸命に努力する姿は、美しいものです。その一方で、人生の満足度の高い人と言うのは、あまり大きな期待をしていない人なのかもしれません。

期待値を低く持てば良いというつもりはありませんが、人間の幸せについて考えさせられました。

さらに、オリンピックのメダルって何だろう?と深く考えさせられたのは、スケートボード女子パーク決勝での出来事です。

最後までリスクを恐れず果敢に攻めて、転倒してしまった日本の岡本選手を、各国の選手がリスペクトして担ぎ上げて称えたシーンです(画像をブログで見る)。

母国の期待をしょって、それぞれの競技で順位をつけてメダルを狙う。そんなオリンピックの評価の仕組みが、なんだか色褪せて見えた瞬間でした。

今回のオリンピックで一番眩しく見えたのは、順位にこだわらず、さらには自分の国にもこだわらず、ひたすら競技自体に集中して楽しんでいるように見えたスケートボードの選手たちの姿です。

もちろん、檜舞台でメダルが取れなかったのは、悔しいと思います。でも、それ以上の「何か」を感じてしまいました。


編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2021年8月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。