DaiGo問題 自己責任ではなく社会責任 切断線よりも補助線を

お盆だ。私はお盆に帰省しない人だ。内地に出てから約30年間で、盆というか夏休みに帰省したのは数回である。今年は(いや、今年も)新型コロナウイルスショックの関係で帰省を控えている。母からLINEで里塚霊園にある墓の写真が送られてきた。オンライン墓参りをすることができた。

病人の多い一家だった。父は院生時代に脳腫瘍となり、最後は半身不随。寝たきりだった。祖父は人工透析をしていた。祖母は心臓が弱かった。みんな、亡くなった。

8月12日は私にとって特別な日でもある。大事な友人、ムルアカが旅立った日だ。心身の病と闘っていたムルアカ。ちょうどサマソニに行っていて。レミオロメンが「粉雪」を演奏していて。その件をメールしようと書いて、でも、体調悪いんだよなと思い、送信をやめ。その晩、彼女は自ら旅立った。

仲間たちと毎年、彼女の思い出の場所へ行っていたのだが、今年は私、1人。お祈りをし、ノンアルコールビールで1人で献杯。

世の中には、弱い人がいる。そして、それは自己責任でも、自業自得でもなく。さらに、弱い人をどのように支え、守るのかというのは社会の問題だ。

メンタリストDaiGo氏、ホームレスの人への差別発言で「炎上」 | 毎日新聞
 「メンタリスト」のDaiGo氏が、動画投稿サイト「ユーチューブ」で、ホームレスの人や生活保護受給者を差別する主張をする動画を載せ、批判を集めている。ホームレスに対しては「いないほうがいい」「犯罪者を殺すのと同じ」などと言い、差別や攻撃を扇動するとして、インターネット上で「炎上」状態となっている。

帰宅したら、例のDaiGo氏問題が炎上していた。ホームレスの人や生活保護受給者を差別する主張をする動画を配信した件だ。

優生思想など様々な批判のポイントは多数だ。不勉強だ。安易な自己責任論でもある。社会問題をPV数アップのために消費してそうにもみえる。ただ、擁護するわけではないですが、社会が不安定でこぼれ落ちるリスクがあるがゆえに、少しでも上の立場にいる人、不安を抱えている人の共感を得ようとしたようにも見える。

あらためて、世の中には弱い立場の人がいる。しかも、それは努力や、怠惰とは関係ないことによって起こりうる。そもそも、「自己責任」は本来、「リスク」をとって行動した者が自ら「結果責任」をとることを指す。ただ、単に「責任転嫁」のために使われていないか?「選択肢」は「消去法」で選ばざるを得ない場合がある。現在のシステムが硬直的、排他的であるがゆえに、参入できず、必然的に周縁化する場合もある。

自己責任ではなく社会責任ではないのか。

本人は謝罪するつもりはないのだというが、違和感を書き綴っておくことにする。微力だが、無力ではないと信じている。

傲慢な自己肯定も、そろそろ終わってほしい。他者への「賛同」を装った「同調」を根拠にした意思決定や、正当化も。

切断線をひくことをやめ、社会を理解する補助線を。

You Tubeチャンネルでは、なぜ、このような発言が飛び出すのか。そのあたりについても解説している。ぜひあわせてご覧頂きたい。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年8月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。