オペラシティで8/12と8/13に公演が行われた二期会ヴェルディ『レクイエム』の初日を鑑賞。2020年の振替公演で、予定されていたダニエーレ・ルスティオーニからアンドレア・バッティストーニに指揮者が変更となった。一週間前にフェスタサマーミューザで、東フィルと目からウロコが落ちるようなレスピーギを上演したばかりのバッティストーニが、再び東フィルと強烈な印象を残す名演をした。ソリストはソプラノ木下美穂子さん、アルト中島郁子さん、テノール城宏憲さん、バス妻屋秀和さん。合唱は二期会合唱団。
冒頭の「レクイエムとキリエ」の精妙な弦と木枯らしのような神秘的な合唱から「やはりバッティストーニは短期間に大変な成長を果たしたのだ」と感じた。この時期、多くの音楽家は大きなフラストレーションを感じている。サマーミューザのプレトークでは、ゲストで訪れたシドニーのオペラハウスでリハーサルを行っていたオペラが、結局上演出来なかったことを訥々と語っていた。イタリアはコロナウィルス感染に関しても早期に医療危機が訪れ、海をわたってくる断片的な情報からは終末論的な雰囲気が漂っていた。イタリアの音楽家は、短期間に多くのことを考えたはずだ。
「キリエ」では4人のソリストの鋭い歌唱に身が引き締まった。テノールパートは微塵の弛緩も許されない。城宏憲さんが勇敢で正確な歌唱を聴かせた。ソリスト全員が完璧だった。アルトの悲劇的なキリエ・エレイソンの歌詞が、地を這うような暗さを引きずったままソプラノに引き継がれていく件は、言いようのない豊かな流れがあった。
「怒りの日」では、聴衆全員が度肝を抜かれた。超高速の指示で、オーケストラがどのような分数で鳴っているのか見当がつかない。音量もNAX。東フィルでバッティでオペラシティという空間でなければ、実現しない表現だったと思う。バスドラムは穴が開きそうな爆音で、弦セクションの弓弓は目にも止まらぬ速さで空気を切り裂いていた。
バッティストーニは作曲家としてヴェルディを俯瞰している。バッティストーニ自身もすでに東フィルと自作の曲を発表し、秋の定期でもフルート協奏曲をやるが、コンポーザーの目線から「この曲は(今このとき)どう再現されるべきか」を認識しているのだと思う。バッティストーニは文学や歴史にも詳しく、講演会などでは知識の深さに毎回驚く。ヴェルディのレクイエムが作家マンゾーニの命日に捧げられたものであることをよく知り、研究をしているのだろう。
オペラシティでは何度もコンサートを聴いているが、この日は初めて聴く響きに鼓膜が驚いた。ダンテの「地獄篇」やミケランジェロの『最後の審判』もパラッツォ・デル・テのジュリオ・ロマーノの『巨人の没落』などを連想した。濃密に圧縮された時間と空間の次元で、ひとつのポイントから宇宙全体に発信していくようなエネルギーが渦巻いていた。本来、このような音楽を普通の現実感覚で作ろうとしたら、ただのカオスになってしまうのではないか。バッティストーニは激しい身振りで、完璧にロジカルに音楽を作り上げていた。
ソプラノの木下美穂子さんの歌唱力に改めて驚いた演奏会でもあった。美声と豊かな表現力は勿論、精神力が素晴らしい。胆力というのか、恐れを抱かずに光に向かって飛び込んでいく、光そのもののような声を聴いた。本番に向けてピークを作り上げていく雑念のなさには、高いプロ意識も感じられる。ルスティオーニとの共演が多かったが、バッティストーニも木下さんには大満足だっただろう。
指揮者の系列を、師匠やアシスタントを務めたマエストロから作成していく方法もあるが、バッティストーニは実際の恩師や、デビュー当時頻繁に言われていたトスカニーニよりも、実はバーンスタインに通じる個性をもっているのではないかと思った。二人ともコンポーザーであり、現代的で血の通った音楽を作る。過去のインタビューでも、バッティストーニは「20世紀における最も完璧な音楽家」と語っていた。公平で人間らしく、巨大なスケールをもつバーンスタインの系列に彼はいると思う。
バルコニーの左右の席まで距離をとって並んだ約50名(ずっと数えていたが、女性は24名、男性は見切れて数え切れなかった)の二期会合唱団が霊力を感じさせる声で、この夜の「音の絵」を作り上げていたのは感動的だった。東フィル、ソリスト、合唱が指揮者とともにいた壇上は、ひとつの完璧な小宇宙で、目に見えない透明なスフィアに守られていた。「リベラ・メ」の最後の音が消えてから、指揮者は静止したまま沈黙し、オケも歌手たちも氷の塑像のようになった。どれくらいの時間が経ったのか…ずっと静止したままのコンサート・マスターの姿が忘れられない。あの沈黙の中に、計り知れない「すべて」があった。生涯忘れられない8月の演奏会となった。
編集部より:この記事は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」2021年8月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」をご覧ください。