創造は狂気だ

創造は、論理的な知性の営みからは生じ得ない。知性の営みは、全体に内包されて最初からあるものを分析的に明らかにするだけで、即ち、隠されているものを明るみに出すだけで、外延を拡大するものではなく、新しいものを創造することはない。

創造されたものは、知の体系を拡大させ、知の体系のなかで論理的に説明され、論理的な位置を得る。しかし、これは一方向の展開である。これを逆転させて、知の体系のなかで論理的に推論を進めても、分析的に内向するのみで、知の体系は拡大しない。これが知性の限界である。

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そして、この知性に限界を画することこそ、近代哲学の課題であって、そうすることで、哲学は、自然科学と社会科学の方法を基礎付け、諸学の学としての地位を確立したのである。

では、近代社会における創造の源泉は何だったのか。それは欲望である。資本主義経済は、欲望を燃料として成長し、更に欲望を自己増殖させることで飛躍的に進展して、人間の世界を著しく拡大させる。こうして人間の世界が神の創造した世界の内包を覆い尽くしたかにみえたとき、哲学は、神に替えて人間の理性を神の地位に置き、神を理性の外に放逐する。ここに近代は終わり、現代が始まるわけである。

欲望は、理性的な策略を用いて自己実現する。欲しいものは欲しい、そこに合理性はないのだが、欲しいものを手に入れるには、合理的な計算と策略が必須なのである。故に、欲望は、理性からは生まれないとしても、理性によって実現される、換言すれば、理性は欲望を利用して自己の支配領域を拡大するのである。

しかし、現代において欲望は飽和する。そのとき理性の支配が完了し、世界は無意味なものになる。現代社会は、無意味のなかに意味を求めるが、意味は理性の外にしかあり得ない。現代において、創造は、新たな意味の創造であり、理性の外にあるという意味で反論理的であり、もはや理性化されることがないものとして、理性の外に留まるのである。

創造は狂気である。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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