菅首相の「世界でロックダウンをする、外出禁止に罰金かけても、なかなか守ることができなかったじゃないですか」というコメントが話題を呼んでいる。「守る」の目的語が不明だが、これは「国民を守ることができなかった」つまり「効果がなかった」という意味だろう。これに対して、反発する人が多い。
「日本でロックダウン(都市封鎖)をするべき?」という質問への回答(Yahoo)
Yahooのアンケートでは、80%が賛成だ。これは8月13日の全国知事会の緊急声明に対する賛否を問うものだが、その要望は
現状においては対策が功を奏しているとは言い難く、前例にとらわれることなく更に強い措置となる「ロックダウン的手法」のあり方についても検討を進めるとともに、各知事や専門家が発している呼びかけとワンボイスで、政府からも強力かつ明確なメッセージを国民に対して発すること。
という曖昧なもので、「ロックダウン的手法」とは何か説明もない。ほとんどの回答者は「ロックダウン」や「都市封鎖」の意味を知らないで賛成していると思われる。
ロックダウンは「刑事罰つきの外出禁止令」
世界的にはロックダウンという言葉には明確な定義がある。それは刑事罰で強制する外出禁止令である。これを補償金と混同する人が多いが、外出禁止令は警官や軍が国民を監視し、命令に違反したら罰金を取る制度である。
最小限度の買い物以外は移動の自由が大幅に制限され、ほとんどの店舗の営業が禁止される。これは補償金を出して「要請」する日本の緊急事態宣言とはまったく違うものだ。
その効果も、アジアではほとんどない。特に空気感染しやすいデルタ株では、人々が家庭で過ごす時間が長くなると、かえって感染が拡大するおそれがある。
憲法改正は必要か
日本では、新型インフル特措法45条で「特定都道府県知事は、みだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の新型インフルエンザ等の感染の防止に必要な協力を要請することができる」と書かれているだけで、行政が命令する権限はない。
したがって知事会のいう「ロックダウン的手法」を実行するには、特措法を改正して、知事に外出禁止命令の権限を与えなければならない。
これは憲法22条の「居住、移転及び職業選択の自由」を侵害するので、このような立法を行うには、憲法を改正して非常事態条項を設ける必要があるという意見が一般的だが、憲法改正は必要ないという意見もある。これこそ彼らのきらう「解釈改憲」ではないのか。
しかし立法するのは、憲法学者ではなく内閣である。このように憲法の条文と明らかに矛盾する法律は、内閣法制局の審査を通らないだろう(議員立法でも同じ)。
こういう議論は2012年に特措法ができたときも行われ、その結果、今の中途半端な規定になっているので、選択肢は次の三つである。
- 法解釈を変更して外出禁止令を出す
- 特措法を改正して外出禁止を命令する規定を設ける
- 憲法を改正して非常事態条項を設け、外出禁止令を明文で定める法律を制定する
1は専門家にはほとんど支持がない。2が知事会の要望で、自民党にも検討すべきだという意見があるが、首相は否定的だ。3は今回の流行には間に合わない。
ロックダウンしなくても日本の被害は最少だった
実質的な問題は、ロックダウンの必要があるのかということだ。次の図でも明らかなように、日本のコロナ死亡率(累計)はG7でも群を抜いて低く、イタリアの約1/20である。
G7諸国のコロナ死亡率(札幌医科大学)
これは日本政府の感染症対策が結果的に正しかったことを意味するが、日本はG7の中で唯一ロックダウンしなかった国である。つまり行動制限とコロナ被害には相関がない。それは世界でもっとも厳格な行動制限を行ったイギリスの死亡率が、日本の15倍にのぼることで明らかだ。
日本の被害が少なかった原因(ファクターX)は不明だが、手洗いやマスクなどの生活習慣ではない。それは日本以上に清潔で几帳面なドイツの死亡率が、日本の10倍にのぼることで明らかだ。
残るのは免疫要因である。日本人に遺伝的に多いヒト白血球抗原(HLA-A24)がデルタ株の感染に影響しているという研究結果もあるが、これは従来のウイルスには適用できない。アメリカでは日系のコロナ死亡率は白人と同じなので、ファクターXは遺伝的要因ではない。
消去法で考えると、残るのは東アジア特有のコロナ系ウイルスに対する広い意味の自然免疫である。これについては学問的に決着がついていないが、少なくとも全世界で基本再生産数が同じだという仮説は、この1年半の日本のデータで棄却される。
したがって今、日本でロックダウンすることは法的に不可能であり、医学的にも意味がない。ただ長期的には、コロナは毎年やってくると思われるので、憲法改正を含めた制度改革を検討する必要があろう。