アフガンに米軍が残した武器と先の大戦の米武器貸与法 <上>

米軍らの退去で混乱するカブール空港で26日に起きた、13人の米国人を含む70名以上が死亡したとされる爆発について、タリバンは「米国が管理する地域で起きた」とし、バイデンは「タリバン管理地域をテロリストが通った」と互いを非難し合った。

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タリバンの広報官が「爆発は『彼らの装備を破壊するために』米軍によって引き起こされた」と述べる局面もあったが、直後にISISが自爆テロを行ったことを声明した。これにバイデンはISISへの報復を「大規模な軍事作戦なしで行う」と誓った。

中国を含めた国際社会から「テロを匿うな」と釘を刺されたタリバンにとっても、ISISのテロは苦々しかろうし、混乱を招いたうえ多数の命を失ったバイデンには猶更だ。ならば、テロ対策と退去を協力して行うことが双方の利益に適うと思うが、その気配はない。

そこへ行くと、金正恩と直談判し、パレスチナでアブラハム合意を成立させ、アフガンからの米軍撤退でもタリバンと合意したトランプは、外交ではビジネス交渉と同様に51対49なら成功としていたように思われる。トランプなら今どう動くだろうか、などと筆者はつい思う。

今回の米軍退去では膨大な軍需物資がタリバンの手に渡り、トランプはこれを非難した。これに筆者は先の大戦で米国が行った「武器貸与」を想起した。それでタリバン広報官の先の発言に注目したのだが、自爆テロならタリバンの側の誤認ということか。

そこで本稿では、米軍がアフガンに残したとされる軍需物資の中身と「武器貸与法」に纏わる話を書く。

8月19日の「The Hill」が「数十億の米国兵器をタリバンが押収」との記事で、今回残置された米軍の軍需品を報じている。以下はそれに拠るが、他の報道も「米政府監査院」と「アフガニスタン復興特別検査官(SIGAR)」の資料なので数字に違いはない。

監査院報告に拠れば、米国は過去20年間に推定830億ドルをアフガニスタン治安部隊(政府軍)の訓練と装備に費やした。03年からの14年間に、車両75,898台、武器599,690、通信機器162,643、航空機208機、そして16,191の情報・監視・偵察機器を政府軍に渡した。

SIGARは17年からの3年間で、マシンガン7,035丁、ハンビー4,702台、手榴弾20,040個、爆弾2,520個、グレネードランチャー(擲弾銃)1,394丁を提供したと20年に報告した。SIGARの別報告は6月末時点で、政府軍には航空機211機があったが、政府軍500人以上がそれらを使って逃げ、46機がウズベキスタンにあるとする。

航空機にはブラックホークヘリコプターとA-29スーパートゥカーノ攻撃機が含まれ、武器にはM4カービン銃とM16ライフルが含まれる。なおハンビーとはジープに代わる四輪駆動の高機動多用途装輪車両の総称。

ホワイトハウスの国家安全保障顧問ジェイク・サリバンは24日、「かなりの量の軍需品がタリバンの手に渡っている」とし、「彼らが空港で我々にそれを引き渡すつもりであると理解していない」と述べた。

ペンタゴン報道官は25日、「米軍がどの装備を破壊するか、政府軍に与えるかで『非常に慎重な』プロセスがあった」としつつ、米軍は政府軍の「航空能力開発に長時間」を掛けたが「彼らは飛行機を空に保つのに米国に依存していた」と、暗にタリバンが飛行機を容易に活用できないことを示唆した。

25日のニューズウィークは、政府軍の一部が逃亡に軍用機を使った結果、タリバンに渡らなかったことを、「米国は彼らに感謝すべきだろう」けれど、「タリバンの手に渡った武器も多い」とし、「ビンラディン殺害の際、作戦に参加して墜落した米軍機は中国の手に渡った」例を挙げる。

いずれにせよ膨大な数の武器がアフガンに残された。そこで「武器貸与法」のことになるが、貸与の明細などはネットで閲覧可能な須藤功明大教授の論考「武器貸与法とその清算-戦後アメリカの経済援助の起点として-」を参考にした。

39年9月1日の独機動部隊によるポーランド侵攻と2日後の英仏による対独宣戦布告で始まった第二次欧州大戦では、翌年6月に独軍がパリに入るとイタリアも英仏に宣戦布告、仏軍は22日に早くも降伏した。

大統領選で「戦争はしない」と公約していたルーズベルトの米国は、パリの落ちた月に4300万ドル相当の余剰軍需品(マシンガン、野戦砲、航空機など)を英国に提供した。そして41年3月に成立させた「武器貸与法(Lend-Lease Act)」によりドイツへの対抗を本格化した。

41年3月から51年3月末までの国別・物資別の貸与状況は次表のようだ(須藤論考の表を筆者が要約)。

(単位:百万ドル)

合計 武器・弾薬 航空機・関連物資 戦車・車両 船舶 その他軍装備品 施設・装置 農産物・工業製品 兵器の試験・修理 サービス・手当
英国 31,610 3,067 6,422 3,804 5,494 2,164 368 9,441 425 425
ソ連 11,054 783 1,539 1,767 1,268 795 543 4,166 115 78
仏国 3,270 285 343 429 295 652 2 1,106 61 97
中国 1,637 277 231 190 85 152 10 84 0 608
その他 2,672 124 228 131 378 102 726 770 67 131
合計 50,243 4,536 8,763 6,321 7,520 3,865 1,649 15,567 668 1,339

総額500億ドルを超える巨額の63%を英国が占め、後に冷戦で敵対するソ連が22%、蒋介石の中国も16億ドル余と3%を占めている。ルーズベルト、トルーマンと続く民主党政権の共産党に対するナイーブさと中国への傾倒ぶりを窺わせる。

因みに米国は原爆開発に20億ドル使ったとされ、それは現在の貨幣価値で約288億ドル(約3兆円)との試算がある。これに武器貸与の500億ドルを擬えれば7200億ドル(約79兆円)となり、アフガンへの830億ドル(約9兆円)が多額だったことが知れる。

日本が降伏した45年9月2日から50年6月30日までの数字も同論考に載っている。総額22億ドル余りが終戦後も貸与され、その46%の7.6億ドルを中国が占めているのが特徴的だ(他は、英国4.4億ドル、仏国4.2億ドル、ソ連2.8億ドルなど)。

中国への総額16億ドル(うち7,6億ドルは日本降伏後)の少なからぬ部分が蒋介石一族の懐に入り、また国民党軍の寝返りや敗戦によって毛沢東の共産党軍の手に渡ったことだろう。共産党軍には、満州で武装解除した日本軍からソ連が接収した武器の多くも渡ったとされる。

朝鮮戦争までに幾多の戦功を挙げ、毛の大躍進を批判して文革で命を落とした彭徳懐は「自述」(サイマル出版会)に、長征や国共内戦時の武器の多くを国民党軍から奪ったと書いている。例えば47年5月には「夏の軍服4万着、小麦粉1万袋、弾薬百万発、医薬品無数」を鹵獲した。

米民主党政権の中国支援については、「Venona」文書にも興味深い記述がある。「Venona」はモスクワと在米スパイ拠点との「絶対破れない」とされた暗号通信を解読し、30年代から40年代のソ連スパイの活動を活写している。ソ連崩壊後にその存在が明らかにされた。

米議会は42年、中国国民党への金5億ドルの借款を承認した。中国通貨は当時、急激なインフレになっていた。金の供給は破滅的なインフレを鈍化させるはずとルーズベルトは金借款を承認、モーゲンソー財務長官は43年7月、金譲渡の保証書に署名した。

ところがハリー・ホワイト財務次官(ハルノートを草したソ連スパイ)は、これもスパイの金融調査部理事フランク・コーと財務省中国担当ソロモン・アルダーと共に譲渡の実行に反対した。国民党政権に蔓延した汚職のため財務改革には充てられない、との主張だった。

ホワイトに信を置いていたモーゲンソーはこれを支持し、結局29百万ドル分が45年7月までに中国に送られた。が、その間に中国通貨は年間3000%以上のハイパーインフレになり、同年末からの中国共産党との内戦で国民党軍の立場を極めて弱いものにした。 <下>に続く。