中国経済を田村秀男・深田萌絵・八幡和郞が語る

経済ジャーナリストの田村秀男先生と、ITビジネスアナリストの深田萌絵さんとの中国経済についての鼎談が公開された。地上波ではあり得ない密度の濃い話になっている。

深田さんは、あのHUAWEIが危ない存在だと数年前から警告を鳴らし続けていた方で、なんとそれがいまや世界の常識だ。それだけでも「令和の巫女」たる資格あり。

ご本人が番組でも言っているように私と意見が合っているわけでない。私のほうから言うと、三分の一はドンピシャ、三分の一は聞く価値あり、三分の一は眉唾だ。しかし、正しい指摘の多くがほかに誰も言ってないことであることが素晴らしいのである。

8割正しくても、みんなが言っている話では、わざわざ聞く価値はないからだ。

ところで、中国については、田村先生は「中国はひどいところだからきっとダメになる」、深田さんは「中国は恐ろしいところなのに日本は警戒心が足りない」、私は「中国がけしからんのでなく世界がダメ・日本はとくにダメだが、中国が軍事強国化するのを押さえ込まないのは誰のためにもならない」というような立場だ。

話の内容そのものではないが、拙著『365日でわかる日本史 時代・地域・文化、3つの視点で「読む年表」』(清談社)から当該部分を抜き出して掲載しておきたい。

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日中逆転:大平正芳の忠告を守った中国の天国と蜂起した日本の地獄

1980年代から日本はバブルとその崩壊を経験し、平成年間の経済成長率は世界最低クラスだ。それに対して、中国は改革開放の成功で躍進し、1990年に日本の8分の一だったGDPは日本の三倍になった。

元経団連会長の土光敏光をシンボルに始まったこの路線は、「まず行革」ならまだよかったが、「増税なき財政再建」という不可能な領域まで踏み込んでしまった。江戸幕府が米からの年貢にかわる財源を見つけず、綱紀粛正と倹約で乗り切ろうという「改革」の哲学で慢性的な財政困難に陥り、将来のための投資がやめたことの再現だった。

そこで、東京一極集中を是認して、そこで民活方式で事業を進めるという政策を採ったところ、東京都心の地価が暴騰し、それが地方にまで波及してしまった。それにつられて株式も上昇し、いわゆるバブル経済が現出した。そして、バブルは当然のことながら1990~91年にかけて破裂した。

そのあとささやかな消費税導入などしたが不十分だし、それ以降、地道な財政再建もせず、将来へむけての投資や産業の競争力強化策も採らず、つねに世界中から奇抜で虫の良いマクロ経済政策理論を探しては誤魔化しているが、結果は、世界最低レベルの経済成長率になっている。

一方、大平は中国にとっての恩人と評価されている。1978年に中国でようやく権力基盤を固めた鄧小平副主席が日中平和友好条約の批准書交換のため来日し、各地を視察するとともに、当時は自民党幹事長だった大平正芳から、傾斜生産方式に始まって、所得倍増計画、貿易や資本の自由化など戦後経済政策の歩みを語り、適切な順序で手だてを講じれば、二〇年間でGDPを四倍にすることも可能だろうとアドバイスを受け、それをもとに、改革開放政策を始めた。

その後、趙紫陽がバブリーな経済運営に傾いて心配されたが、天安門事件でこれを排除し、朱鎔基首相のもとで非常に堅実でオーソドックスな経済運営に徹し、その結果、2010年には日本をGDPで抜き、世界一を伺うまでになっている。

ただし、中国は豊かになったら政治も民主化するだろうという世界の期待に反して、「中国の特色ある社会主義」と称して強権国家であり続けようとし、軍事大国化もめざして世界との軋轢を深めている。

これに対しては、民主主義、人権、市場経済といった価値を共有する諸国が団結して対処するしかないが、「日本はここ40年間もいいことがないではないか。それを見れば民主主義が正しいと思えない」といわれたら何の反論もできないのが現実である。

民主主義はその選択と決定に正統性を与えるものだが、その結果がよいものであることを保証するものではない。せいぜい、間違ったら方向を変えられることだけだ。しかし、日本は平成の30年間、間違えっぱなしで修正できないのでは民主主義の恥さらしであろう。

Eugeneonline/iStock