政治的な【イデオロギー ideology】や【政治体制 government】を示す用語には、例えば、保守主義・新自由主義・リベラル主義・全体主義・民主主義・専制主義・独裁主義などがありますが、日本ではこれらの用語があまりにも粗雑に使われています。ここでは、国際標準の区分に従って、これらの用語について整理したいと思います。
政治的・経済的イデオロギー
一般に、政治のイデオロギーの定義は、【ノーラン・チャート Nolan chart】で示される【個人の自由 personal freedom】と【経済の自由 economic freedom】という2つの対立軸によって定義されます。
図-1 ノーラン・チャート (wikipediaより引用)
この2つの対立軸は、それぞれ政治・経済の観点で、【基本的人権 fundamental human rights】を守るための権利である【自由権 civil liberties】と【社会権 social rights】を対立させたものです。
- 自由権:国家の政治的統制を排除する【消極的権利 negative rights】であり、【機会の平等 equality of opportunity】を促進する
- 社会権:国家の政治的統制を要求する【積極的権利 positive rights】であり、【結果の平等 equality of outcome】を促進する
まず、「個人の自由」の軸は【精神的 intellectual】・【身体的 physical】な観点で自由権(国家の政治的統制を排除するもの)と社会権(国民への国家の介入を要求するもの)を対立させたものです。
- 精神的自由権:思想・良心・信教・学問・表現・集会・結社の自由など
- 身体的自由権:奴隷的拘束および苦役からの自由など
- 精神的・身体的自由権:居住・移転の自由など
- 精神的社会権:教育権など
- 身体的社会権:生存権、健康権など
一方、「経済の自由」の軸は【経済的 economic】な観点で自由権と社会権を対立させたものです。
- 経済的自由権:居住・移転・職業選択・営業・財産権の自由など
- 経済的社会権:生活権、生活保護権、勤労権・労働基本権など
以上の内容を図で描くと次の通りです(先に示したノーラン・チャートとは軸の配置が異なることに注意)。
図-2 政治対立の軸とイデオロギー
ここに、【保守主義 conservative】【ポピュリズム populism】【リバタリアニズム libertarian】【リベラリズム liberal】【中道主義 centrism】という5つの基本的イデオロギーに区分されます。
- 保守主義 :精神的・身体的社会権と経済的自由権を尊重する
- ポピュリズム :精神的・身体的社会権と経済的社会権を尊重する
- リバタリアニズム:精神的・身体的自由権と経済的自由権を尊重する
- リベラリズム :精神的・身体的自由権と経済的社会権を尊重する
- 中道主義 :自由権と社会権のバランスを尊重する
また、中道を除く4つの基本的イデオロギーの極端な理念として【右翼 right-wing】【全体主義 totalitarianism】【無政府主義 anarchism】【左翼 left-wing】があります。
- 右翼 :保守主義の極端な理念
- 全体主義 :ポピュリズムの極端な理念
- 無政府主義:リバタリアニズムの極端な理念(自然状態)
- 左翼 :リベラリズムの極端な理念
経済的統制の軸のみを考えて自由権と社会権の強度の差で区分されるイデオロギーとして【古典的自由主義 classical liberalism】【新自由主義 neo-liberalism】【社会自由主義 social liberalism / new liberalism / modern liberalism】【社会主義 socialism】があります。
- 古典的自由主義:経済的自由権を完全に尊重する(市場原理主義)
- 新自由主義 :古典的自由主義に対し必要最小限の社会権を尊重する
- 社会自由主義 :古典的自由主義に対し一定程度の社会権を尊重する
- 社会主義 :経済的社会権を完全に尊重する
また、経済的統制のうち財産権を根拠にして対立するイデオロギーとして【資本主義】と【共産主義】があります。
- 資本主義:財産の私有を肯定し、機会の平等を尊重する
- 共産主義:財産の私有を否定し、結果の平等を尊重する
文化的イデオロギー
さて、ここまでは、自由権と社会権という国家に対する国民の権利に基づき、政治的統制と経済的統制という2つの軸に沿ってイデオロギーと政治体制を整理してきましたが、ここでは【人格権 personality rights】という国民に対する国民の権利(私人間に適用される権利=憲法の私人間効力)に基づき、【文化の自由 cultural freedom】という3つ目の軸について整理したいと思います。
文化の自由の軸は、精神的・身体的な観点で人格権をめぐり、文化的な偏見から人格を保護するために法の介入を求める文化的自由権と、文化的な伝統・秩序・認識に基づき法の介入を求める文化的社会権を対立させたものです。この2つのイデオロギーはそれぞれ【革新主義(進歩主義) progressivism】と【伝統主義 traditionalism】に対応します。
- 精神的人格権:プライバシー権・肖像権・氏名権・名誉権など
- 身体的人格権:身体・性・健康などの属性に関わる人格権
特に近年では、LGBT性的指向・ポルノ検閲・夫婦別姓等の性別に関わる人格権が文化的な対立を生んでいます。なお、人格権とは異なるものの、女系天皇・女性天皇に関する皇位継承問題も文化的な対立と言えます。
図-3 政治対立の軸とイデオロギー(3軸)
ここで、伝統主義の極端な場合が偏狭な【ナショナリズム nationalism】であり、進歩主義の極端な場合が画一的な【コスモポリタニズム cosmopolitanism】ということになります。文化は基本的に空間位置に依存します。現在の国際社会は固有の文化を持つ多様な国家から構成されていますが、この状況に対して国際化によって移民が進むと、単一の国家内で文化の多様化が高まります。そして、時間の経過とともにこのプロセスが繰り返されることによって、いずれ多様な国家は消滅し、画一的な一つの社会が地球に形成されることになります(もちろん、このプロセスは過去にも繰り返されて現在の地域固有の文化が形成されるに至っています)。
図-4 地域の多様化と全体の画一化
ここで重要なことは「特定の空間位置で多様性を認める」ということは同時に「特定空間の多様性の消失を認める」ということを意味します。人類の空間の移動が容易になればなるほど固有の文化消滅の速度は増加します。私たちが現在生活している日本は、変動を続ける時空連続体の一部でしかないのです。今後の世界をどう変化させていくのか、生物である人類に投げかけられた大きな哲学的テーマであると言えます。
なお、この文化的統制軸はしばしば政治的統制軸と混同されます。自由権・社会権を争点とする政治的統制軸は国家と国民の関係に関する理念、人格権を争点とする文化的統制軸は国民と国民の関係に関する理念です。これを混同すると問題の所在が混乱し、適正な評価が困難になります。
政治体制
イデオロギーとは本質的には無関係に、【主権国家 sovereign state】の政治体制の区分として【民主主義 democracy】【専制主義 autocracy】【絶対君主主義 absolute monarchy】【宗教社会主義 religious socialism】などがあります。これらは国家を統治する【治者 the ruler】が誰であるか、治者に統治される【被治者 the ruled】が誰であるかによります。詳しくは[国民と民主政治とメディア]を参照して下さい。
- 民主主義 :国家の治者は国民であり、被治者も国民である
- 専制主義 :国家の治者は特定の私人であり、被治者は国民である
- 絶対君主主義:国家の治者は国王/首長であり、被治者は国民である
- 宗教社会主義:国家の治者は宗教教団であり、被治者は国民である
ここで【独裁主義 despotism】は民主主義の一形態であり、国民によって合法的に選ばれた代表が強大な権力を持つ政治体制です。この独裁主義の代表と全体主義の代表と専制主義の治者は、被治者である国民の自由権と社会権を容易に奪い、私的な目的で国民を支配することが可能となります。このように被治者の自由権を強く制限した政治体制を【権威主義 authoritarianism】と言います。
<事例1>中華人民共和国
<事例1>読売新聞 2021/09/21
習近平政権 「共同富裕」は何を目指すのか
中国の習近平政権が、「共同富裕」をスローガンに、貧富の格差縮小を目指す措置を相次いで打ち出した。経済や社会のあり方がどのように変わるのか、注視する必要がある。中国は、政治は社会主義体制を取りながら、市場経済を導入する「社会主義市場経済」を通じて、成長を実現してきた。その礎を築いたのはトウ小平の「改革・開放」路線だ。一部の人や地域が先に豊かになることを認める「先富論」が土台だった。これに対し、習国家主席は8月、国民全体を豊かにする共同富裕を重点にして国民の幸福を図る方針を示した。先富論からの転換を表明したと言える。
(中略)
格差の是正や公平な分配は、欧米諸国にも共通する課題だ。中国が是正に取り組むことは必要だろうが、強権的な手法で解決を目指しているのなら、問題が多いと言わざるを得ない。経済に対する政府の行きすぎた介入は、成長を阻害する懸念もある。そもそも習氏が共同富裕を推進するのは、国民受けの良い政策で求心力を高め、長期政権の基盤を強化するためとの見方が強い。トウの政策を塗り替え、独自の路線をアピールすることで、毛沢東に並ぶ「歴史的指導者」の地位を確立する狙いもあろう。中国の小中高校では今月から、習氏の政治思想の学習が必修化された。習氏への個人崇拝が一段と進むことが予想される。毛沢東時代、過度な権力集中や神聖化が文化大革命の惨事を招いた歴史を忘れてはなるまい。文革では、毛の路線から外れたとみなされた者が手当たり次第に攻撃され、社会は大混乱に陥った。
中華人民共和国は、一党独裁を続ける中国共産党が、国家情報法による監視の下に国民を恐怖支配する強権国家であり、ウイグル・チベット・内モンゴルなどにおける人権弾圧など政治的統制は強力に機能しています。一方、経済は「改革・開放」を宣伝しながらも、巨大IT企業アリババ・グループに対して規制強化するなど、その企業の運命は国家の胸三寸にあります。基本的に中国共産党は稼げる民間企業に稼がせているだけであり、いつでも経営に介入できる立場にあります。特定分野では国有企業が政府を後ろ盾にして民営企業にとって換わる「国進民退」も進行中であり、疑似的な「改革・開放」とは裏腹に経済的統制も強力に機能しています。そんな中、中国共産党は習近平氏を個人崇拝させるプロパガンダを繰り返しており、表面上、習近平政権は国民に支持されていることになっています。彼らは「中国には中国の民主主義がある」として、存在しないものを誇示するのです。
このように中国は、強力な政治的統制・経済的統制による全体主義国家であり、形ばかりの民主的手続きに基づいて選出された国家の代表による独裁主義国家でもあり、実質的には私人が支配する専制主義国家でもあります。この3要素が揃った権威主義国家としては、他に朝鮮民主主義人民共和国を挙げることができます。権威主義国家は民主主義を隠れ蓑にするのです。
<事例2>安倍政権
<事例2a>HUFFPOST 2015/09/18
安保法案が成立
国会前には法案の採決に反対する人々が集まり、「戦争法案、絶対廃案」「安倍は辞めろ」「野党は牛歩」などとシュプレヒコールをあげた。主催者によると、午後7時現在の参加者は約4万人以上。警察関係者の話では、午後8時の時点で1万1千人だった。
作家の落合恵子さんはデモの参加者に対し、「今日から新しい戦いが始まることを心に刻みましょう」として、次のように語った。
「私たちの民主主義を奪うものたちに、心から今、戦いますの気持ちを広げていきましょう。忘れないで下さい。私たちの父や母や、そのまた父や母が、一生懸命、育ててきた民主主義なのです。一部のあいつらのために、踏み潰されてたまるもんか。
政権与党はもとより、次世代、元気、改革のすべての議員を落としましょう。あいつらが全てを破壊した。民主主義のテロリストなんだ。あいつらを越えていこう。そして誰も犠牲にしない社会をつくっていこう。今日から新しい戦いが始まるぞ」
<事例2b>TBSテレビ『NEWS23』 2015/09/17
岸井成格氏:(採決では)乱闘もあったけど。今回こんな形の…
蓮舫議員:いや今回私たちは一切手を触れていません。(自民党は)独裁者の政党になったんじゃないんですか。
2015年の憲法解釈変更による安保法制の国会審議は国民を巻き込んだ大きな議論となりました。マスメディアによる一方的な反対報道の中、国会前や各地で反対デモが発生し、安倍晋三首相はヒトラーと同一視され、自由と民主主義を奪う独裁者として悪魔化されました。
しかしながら、2012年衆院選、安保法制の整備を掲げた後の2013年参院選、憲法解釈変更を閣議決定した後の2014年衆院選で圧勝した安倍政権の背後には一定程度の民意があり、衆参における国会審議という民主主義の手続きも十分に行った上での法案成立となりました。これはまさに民主主義を尊重した態度であり、安倍首相は少なくとも「民主主義のテロリスト」ではありません。
安倍政権が独裁政権であったかという点についても懐疑的です。例えば、安倍首相は国民の精神的自由を強く尊重し、「I am not ABE」「アベが悪い」「アベ政治を許さない」「アベは戦争をやりたがっている」「アベは人間じゃねえ、叩き斬ってやる」に代表される過激な人格攻撃や誹謗中傷にも全く動じませんでした。この事案において、民主主義のルールに従わずに、言動も行動も暴力的だったのは法案に反対する側であったと言えます。
安保法制によって日本は集団的自衛権と集団安全保障という国民の社会権を得ましたが、同時にそれは反対派が主張したような国民の自由権を犯すものではありませんでした。また、民主主義の手続きを丁寧に進める安倍首相の姿勢は、政権が退陣するまで変わりませんでした。国民の長期間にわたる圧倒的な支持で連続在任日数が憲政史上で最長を記録したにも拘わらず、権力の行使には極めて慎重で、悲願にしていた憲法改正を議論すらしませんでした。およそ独裁者とはかけ離れた存在と言えます。
<事例2c>毎日新聞 2020/09/15
立憲民主党の枝野幸男代表は15日の結党大会の党首あいさつで、自民党を「新自由主義」の政党と位置づけて政権を争う姿勢を鮮明にした。枝野氏は「行き過ぎた『自助』と自己責任を求める新自由主義(の自民)か、支え合いの社会(の立憲)か」の選択肢を掲げると強調。
<事例2d>しんぶん赤旗 2021/09/18
安倍・菅政権の税・財政政策は、国民に消費税増税を押し付ける一方、大企業には減税してやり、社会保障も削減するという究極の新自由主義政策でした。これらを安倍・菅政権は謀略まがいの手法で国民をだまして進めてきたのです。
【アベノミクス Abenomics】は、経済的社会権を必要最小限にとどめる新自由主義とはかけ離れたリベラル(社会自由主義的)な政策です。安倍首相の在任時に、公的負担(租税+社会保障)の国民所得に対する比率である【国民負担率 national burden ratio】は39.7%(2012年度)から44.6%(2020年度)に増えました。これは国民負担率にまったく上昇が見られなかった小泉政権のケースとは好対照であり、明らかに日本は大きな政府に移行しました。また、消費増税は財政赤字削減にほとんど当てられずに社会保障目的で使われています。働き方改革では、女性やセカンドキャリアなど前向きな雇用も増大し、労働時間は減少しました。国民の年間自殺者数は1万人も減りました。さらに、莫大な金融緩和策によるETF買いで日銀が多くの日本企業の大株主となっており、実質的な企業の国営化が進んでいます。これを新自由主義とするのは、経済を何も理解していない証拠です。政治的統制が緩く経済的統制が強い安倍政権は、自他ともに認める保守政権とは程遠い、典型的なリベラル政権なのです。
<事例3>立憲民主党
<事例3>衆・本会議 2021/01/20
立憲民主党・枝野幸男代表:国内での感染封じ込めにおおむね成功し、経済も順調に回復しているニュージーランドや台湾では、感染防止と経済の両立を目指すのではなく、まずは徹底的な感染の封じ込めに取り組みました。市中にウイルスが蔓延する中で経済を回していくウィズコロナではなく、市中から感染をなくしてしまう、いわばゼロコロナを目指し、成果を上げているのです。一時的には強力なロックダウン措置を取った多くの欧米諸国でも、そして日本でも、感染拡大の繰り返しに苦しんでいるのは、十分に感染者が減らないうちに対応を緩めたからです。幸い日本は、両国と同様の島国で、水際対策を取りやすい環境にあります。人口や経済規模には違いがありますが、これらの成功例を参考に、ウィズコロナではなく、ゼロコロナを目指す方向へと転換することを提案します。
緊急事態宣言を抑制的に発出すると同時に特定の産業に一定の補償金を出して経済を回す安倍・菅政権のコロナ対策は、政治統制が緩く、経済的統制がやや作用するリベラル的な政策でした。一方、実質的なロックダウンを伴う立憲民主党のゼロコロナ対策は、国民から精神的・身体的・経済的自由権を奪う強力な政治的統制と強力な経済的統制によってコロナを撲滅する全体主義的な政策です。
ゼロコロナ政策において、感染者数をゼロに近いレベルまで減少させるには極めて多くの時間が必要なことは自明です。また、厳密な入国審査による水際対策でコロナ陽性者の入国をシャットアウトすることは実際上不可能です。このことは、全員が毎日検査を行う厳密な閉空間である東京オリンピックのバブル内で感染者が次々と発生したことで明らかになりました。さらに、ワクチン効果に時間的な限界があることから、仮に感染者数をゼロ近くまで抑制できたとしても、その状態を維持するには、永遠に鎖国を継続した上で、永遠に厳密なロックダウンを繰り返す必要があるのです。
立憲民主党の政治スタンスは、概して全体主義的であり、権威主義的でもあります。例えば、蓮舫代表代行の日々のツイッター発言でわかるように、政策の多様性を否定し、異論を反証不可能な倫理規範によって悪魔化します。安住淳国会対策委員長は、個別の報道の監視を宣言し、報道の自由を正面から阻害しています。党員による多くの政府批判は【ダブル・スタンダード double standard】に溢れており、法の精神も欠如しています。
深刻な問題は、立憲民主党や共産党などの全体主義政党が「リベラル政党」を名乗り、リベラル政党である自由民主党を「新自由主義政党」と認定して批判していることです。彼らは文化的統制軸におけるLGBTや夫婦別姓に関わる自由権を主張することで、政治的統制軸における自由権を主張しているかのように見せかけてリベラルを騙っているのです。
日本のマスメディアや学者のイデオロギーに対する非論理的な認識にも大きな問題があります。例えば、2021/09/21の[BUSINESS INSIDER 記事]で使われているイデオロギーのダイアグラムらしきものに示されているイデオロギーの区分は、実際の政策の内容を反映しているものではなく、遠い過去の政党イメージに過ぎません。マスメディアはその時代遅れのイメージを使って政党や政治家を思考停止に評価しているのです。
一方で学者による至極真面な指摘もあります。2021/09/21の[AERAdot.記事]において、哲学者の東浩紀氏は、立憲民主党が衆院選に向けて最初に発表した政策は「夫婦別姓やLGBT平等法、ネット中傷対策といった同党岩盤支持層を強く意識した政策が中心」であるとして「立憲民主党が本気で政権奪取を目指しているようには思えない」と指摘しています。この指摘の通り、立憲民主党が提案した政策課題はいずれも「文化的統制軸」における人格権のフレームワークであり、日本の責任政党としての要件となる「政治的統制軸」および「経済的統制軸」における自由権・社会権のフレームワークではありません。けっして人格権が重要ではないというのではなく、政権交代を目指す政党であるならば、政権公約の骨子として、まずは「政治的統制軸」および「経済的統制軸」において政党の政策理念を述べることが重要であることは言うまでもありません。このような野党第一党の不見識は、日本国民の政権選択の選択肢を狭めており、日本は極めて不幸な状況にあると言えます。