最高学府こそ利他的であれ

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どう育てるかよりどう採るか

大学は、入学者獲得で毎年熾烈な競争を繰り広げている。今年は新年度直前の3月末まで、多くの大学が補欠合格や追加合格の措置を講じた。全国にある795校の大学が少子化のなか貴重な生徒を奪い合っている。

もちろん、量的充足が達成されれば万事安泰というわけではない。「少しでも偏差値の高い高校生を」という声はいまだに大学関係者の中で耳にするし、ある有名私立大学の教授は「今年は良い子が入ってくれた」と安堵しておられた。入学してくれた学生を「何とか育てる方法を考えよう」というよりも「何とか育てやすい学生を入学させよう」という、ないものねだりの空気が学内にあるとのことだった。

各大学は生徒募集に力を入れており、高校をリタイアした元校長や専門業者にセールス代行を依頼する大学も少なくない。企業が人材を採り合うように、大学も良い人材の獲得に必死である。

大学教員に生じる2つの副作用

しかし、育て甲斐のない学生が余所へ行ったからと喜んでいてよいのだろうか。各大学の利己主義は副作用を併発する。ここではそのうち2つを紹介したい。

まず1点目は、大学教員の研究力低下である。大学教員はキャンパスで講義を行っているだけという昔ながらの印象があるかも知れないが、実は多くの大学が教員をオープンキャンパスや高校訪問など生徒募集業務に従事させている。事実、文科省の調査「平成30年度大学等におけるフルタイム換算データに関する調査」では、大学教員の研究活動の時間割合は年々減少している(46.5%[平成14年]→32.9%[平成30年])。

2点目は、大学教員の教育力低下である。研究力が落ちれば、教える内容が錆び付き、教育力も低下する。結果、人材は育たない。なかには、学生の面倒見や教育を口実に研究活動を疎かにし、論文を何年も書いていない大学教授も、残念ながら稀ではない。

利己と利他の両立

我が子ならば、たとえ育て甲斐がないとしても取り換えることはできない。必死に育てる方法を編み出し、教育を改善するはずである。それなのに、我が子に対してできないことを、今の最高学府は余所の子に施している。経営的には合理的なのだろうが、教育的に果たして正当なのだろうか。

教育の仕事は、いかに自我を滅却することなく利他的に振る舞い世のため人のために尽くせる個人を増やせるかであろう。利己と利他の両立という難題の解決こそ、社会から教育へのオファーである。

コロナ禍でのマスク買い占め行為など、個人が利益を追求しすぎると集団の利益が損なわれる「合成の誤謬」がある。こうした社会的ジレンマはアメやムチといった制度である程度是正が可能であろうが、利他的個人を育てる方が経済的である。人々が利他を放棄すれば社会はもたない。目先の利益はもちろん死守すべきだが、まず最高学府が「自分だけよければ」という自己利益を克服する手本を示さねばならない。