概念曖昧の誤謬

藤原かずえ講座

情報操作と詭弁論点の誤謬論点曖昧概念曖昧の誤謬

概念曖昧の誤謬

Verbal ambiguity / Semantical ambiguity

前提に使われている曖昧な概念を誤解釈して異なる結論を導く

<説明>

論証とは前提から結論を導くプロセスですが、前提に使われている概念が曖昧な場合には、その言葉に真実と異なる解釈を行うことで、異なる結論を導いてしまうことがあります。これを概念曖昧の誤謬と言います。

言葉曖昧の誤謬、多義語の誤謬、文法曖昧の誤謬、記述主義の誤謬は、概念曖昧の誤謬の特殊な形です。

詭弁を使うマニピュレーターは、この概念の曖昧さにつけこんで、意図的に前提となる言説を誤解釈することで自分にとって好都合な結論を導きます。

誤謬の形式

前提Spに使われている曖昧な概念Cの意味はmfなので、結論Scfが導かれる。

※ここで、曖昧な言葉Cの意味するところはmfではなくmtであり、前提の言説Spから導かれる真の結論の言説はSctである。

<例>

言葉曖昧の誤謬、多義語の誤謬、文法曖昧の誤謬、記述主義の誤謬は、いずれも概念曖昧の誤謬の特殊な形であり、前提を定義する【概念 concept】が曖昧となっています。ここで、この概念の曖昧さが生じるメカニズムを一般的に考えてみたいと思います。

カントによれば、人間の思考には意識しないうちに【量 quantity】【質 quality】【関係 relation】【様相 modality】という4つのグループに属する【カテゴリー category】と呼ばれる枠組みがあり、事物の概念は、この枠組みに基づく人間の【悟性(知性) understanding】の作用による【総合判断 synthetic judgement】によって認識されることになります。

表-1 カントのカテゴリー・判断表

ここで次の4つの例について考えてみます。

<例a>
生徒:先生すみません。遅刻しました。
先生:遅刻するのはダメな子ですよ。

人生で遅刻を犯したことがない人はおそらく皆無でしょう。したがって、一度の遅刻を犯した「すべての人」にダメという烙印を押す判断は蓋然性が弱いと言えます。

<例b>
百貨店:お客様すみません。その商品はお取り寄せになります。
買物客:「百貨店にはないものはない」のではないの?

百貨店は様々な商品が置かれていますが、そのスペースは有限であり、何でも揃うわけでないことは自明です。

<例c>
会社側:検討の結果、ベアは現状維持とさせていただきます。
組合側:嘘つき!「前向きに善処する」って言ったじゃないですか。

この場合の前向きに善処した結果として得られる総合判断には「上げる」「現状維持」「下げる」の選択肢があります。前向きに善処したならば「上げる」ということになりません。

<例d>
部下:すみません。担当先の会社に不渡りが出ました
上司:だから言っただろ。不渡りが出るかもしれないって。

支払期日に受取人が決済できない不渡りは、経済的な取引において「可能性」があるハザードであり、これを「必然」であるかのように判断することは不合理です。

上述の<例a>においては全称判断と特称判断の混同、<例b>においては否定判断と無限判断の混同、<例c>においては仮言判断と選言判断の混同、そして<例d>においては蓋然判断と必然判断の混同によりそれぞれ誤った概念を曖昧なままに導いていると言えます。このように人間の悟性は誤った概念を前提に組み込み、結果として誤った結論を導くことになります。

<事例1>国民

<事例1a>テレビ朝日『報道ステーション』 2017/05/23

〔共謀罪法案が衆院通過 国連特別報告者からも懸念〕

富川悠太アナ:国民の理解が進んでいない中で、数の力で衆議院を通過ということになりましたね。

後藤謙次氏:捜査手段の拡大についての国民の同意というのがまったくできていないんですね。

富川悠太アナ:期限を決めずに国民の理解が進むようにしっかりと議論を行ってほしいですね。

日本語において「国民」という言葉は、国籍を有する個々の構成員を表す「普通名詞」として用いられることもあれば、構成員の集合体を意味する「集合名詞」として用いられこともあります。このため、「国民」という言葉だけでは、それが「個々の国民(単称)」であるのか「一部の国民(特称)」であるのか「すべての国民(全称)」であるのかという量のカテゴリーを区別できません。ここに前提の曖昧性が発生します。

当然のことながら「国民は~である」「国民は~でない」という命題において、それが「すべての国民」を意味するか「一部の国民」を意味するか「個々の国民」を意味するかによって命題の真偽が変わります。マスメディアはこの概念の曖昧さを悪用して、しばしば狡猾に印象報道を行っています。例えば、一部の国民のみが国政のある課題に疑問を持っている場合に「国民は疑問を持っている」と報道してもそれは虚報ではありません。ここに、文脈を読めない一部の視聴者は「すべての国民(自分以外の殆どすべての国民の意味)が疑問を持っている」と誤解釈するのです。

一般に日本語では、煩雑を避けるため「すべての」という形容詞を省略可能とする約束があります。例えば「すべての人間は考える葦である」という命題は、通常の場合「人間は考える葦である」という省略形で宣言されます。このような状況で「一部の国民」のことを「国民」と呼べば、一部の国民はそれを「すべての国民」であると解釈してしまうのです。

<事例1a>において用いられている「国民」は、いずれも「一部の国民」のことを指しますが、事情を知らない一部の視聴者はこれを「すべての国民」と解釈して疎外感を感じ、結果としてマスメディアの論調に同調してしまうことになります。

<事例1b>TBSテレビ『NEWS23』 2014/07/14

〔国会周辺に反対2万人超 「安保法案」あす採決強行へ〕

膳場貴子氏:集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案が明日衆議院の特別委員会で採決されることが正式に決まりました。

岸井成格氏:戦後日本のあり方を決める本当に重要な法案です。国民多数の疑問と反対を押し切って本当に決めてしまうのか、驚きを禁じえませんね。

マスメディアがしばしば用いる「多くの国民」という言葉は、あたかも全称表現であるかのように聞こえますが、明らかに特称表現です。場合によっては、全称に近い特称ではなく、特定の集団で構成された単称のケースもあります。

例えば、マスメディアが「多くの国民」という枕詞で紹介する「国会前の抗議デモ」に参加する100人程度の国民は、2~3人の国民と比較すれば「多くの国民」ですが、日本人全体からすれば100万人に1人の存在に過ぎません。例え10万人集まったところで千人に1人の存在です。この100人をもって「多くの国民」と認定するのは、あまりにも実態とかけ離れたミスリードです。国民の代理人であるマスメディアがデモの規模を過剰に増幅させる不誠実な演出を繰り返していることは、国民に対する背信行為と言えます。

もちろん民主主義国家では、「少ない国民」の声を「多くの国民」の声と同様に傾聴することが重要です。民主主義のルールに則って確実に少数者の意見を聴取し、それに対して誠実に議論する必要があります。しかしながら、権力と対峙する論調と合致する少数者の意見を過剰に尊重して、多数者の意見を無視するマスメディアの報道姿勢は、民主主義に対する挑戦に他なりません。極めて残念なことに、安保法案の問題では、法案に反対側の主張ばかりが大きく報じられ、賛成側の主張はほとんど報じられませんでした。

<事例2>テレビのコロナ専門家

<事例2a>『サンデーモーニング』 2021/08/01

関口宏氏:松本先生、(東京都の新型コロナ感染状況を)どういうふうにご覧になっていますか?

松本哲哉氏:今残念ながら緊急事態宣言が出されている中にも、殆ど効果を出せていないというのがグラフからもわかると思います。すなわち多くの人が緊急事態宣言に慣れてしまっていますし、ある意味反感と言いますか疲れている場合もありますので正直言って多くの人の行動には緊急事態宣言が効果を示していません。増える要因はコロナ疲れに加えてデルタ株の感染力の強さ、そして人の流れが全然抑えられていないこと。こうなると、これから感染はかなり拡大していく可能性が十分ありますが、政府の発信には危機感が感じられません。正直言って抑えるのは今の状況では難しいと思います。(中略)

今抑える要因がないのでこの後確実に増えていくと思いますし、新規陽性者数が4千人まで達しましたので、このまま抑制が効かなければ、今月中にこの倍くらいの7千人、8千人というくらいの数字も十分あり得ると思います。下げるのにはそれだけの要因が出てこなければいけませんが、いましばらくは中々難しい状況ですし、結局多くの方が感染したまま自宅で苦しむ人がどんどん増えてくるようになるのではないかと思います。

ワイドショーや情報番組に出演する「感染症の専門家」と称するコメンテーターのほとんどは、科学的根拠なしに、あるいは事実とは異なる偽情報を根拠にして、常に新型コロナが感染拡大する「可能性」を訴え続けます。彼らは根拠を曖昧にすることによって、「コロナが拡大する可能性がある」という蓋然判断をあたかも「コロナが拡大するのは必然である」という必然判断に無理やり見せかけてインフォデミックを拡大しているのです。

この事例においても「緊急事態宣言が効果を示していない」「人の流れが全然抑えられていない」という認識を言説の根拠にしていますが、実際にはこの認識は事実ではなく、緊急事態宣言以来、東京都の主要繁華街の滞留人口は明らかに減少しています(図-1参照)。

図-1 東京都の主要繁華街の滞留人口の推移

松本氏はこの段階で「感染はかなり拡大して7千人、8千人になる可能性が十分あり」「正直言って抑えるのは今の状況では難しい」「今抑える要因がない」「この後確実に増えていく」と断言しましたが、図-2に示すように、陽性者数の増加を示す実効再生産数(報告ベース)は2021/07/28から急激に減少を始め、その後、陽性者の7日移動平均は5千人に到達することなく急激に単調減少しました。

図-2 東京都における新型コロナの新規陽性者数と実効再生産数の推移

ちなみに発症ベースの実効再生産数のピークは7月22日、つまり感染のピークはその5日前の7月17日頃であったことが判明しています。松本氏は、なんと自身が感染を抑える要因を見つけられないことを根拠にして「感染を抑えるのは難しい」という非論理的な見解を示しています。松本氏の科学的根拠のない結論ありきの予測はその後も延々と繰り返されました。順に見ていきます。

<事例2b>『羽鳥慎一モーニングショー』 2021/08/23

松本哲哉氏:傾向からするとまだ上昇傾向にあります。このまま上昇していくのかわかりませんが、1日3千人、4千人、5千人出てくるということは、もしある程度ピークアウトしたとしても9月も同じくらいの感染者数が出続ける可能性がありますので、減ったとしても1日3千人、4千人、5千人の感染者が出ると、本当に医療に与える影響は厳しくなります。尾身先生の5割減という提言も、具体的には政府が何も行っていないので有効性もない。この状況では本当に減らないし、実効性がないと思います。

文科省は一斉の休校をやらないと表明していますが、今まで通りの方法で学校を再開したとすると、学校でクラスターが起こって、そこから家庭内感染に繋がっていって、さらなる感染拡大ということもあり得ます。

松本氏は科学的根拠のない当て推量で「3千人、4千人、5千人出てくるということは9月も同じくらいの感染者数が出続ける可能性がある」「学校再開がさらなる感染拡大となる」という可能性を訴えました。実際にはこの予測は大ハズレでした。

<事例2c>『羽鳥慎一モーニングショー』 2021/08/30

松本哲哉氏:前の週に比べると減っては来ていますが、今の人出を考えるとこのまま順調に減っていくのは難しいと思います。学校も始まってきますし、減るとしても鈍く緩やかにしか減って行かないと思いますし、場合によっては上昇する可能性もあります。

松本氏は根拠を述べることなく「今の人出を考えるとこのまま順調に減っていくのは難しい」「鈍く緩やかにしか減って行かない」「上昇する可能性もある」という可能性を次々と訴えました。この予測とは真逆に新規陽性者数は急激に単調減少しました。

<事例2d>『羽鳥慎一モーニングショー』 2021/09/08

松本哲哉氏:以前のピークから比べれば減ったように思えますけど、まだそう言いながらも今の感染者数は安心できる状況まで落ち着いたわけではありません。まだけっして安心できる数ではないと思います。

この頃になると、入院患者数と重症患者数が急激に減少を始めました。過去のデータから帰納的に考えれば、陽性者数の減少に遅れて入院患者数も重症患者数も減少するのは自明ですが、松本氏はそのような科学的事実を無視して、安心ではないと訴えました。

<事例2e>『サンデーモーニング』 2021/09/12

松本哲哉氏:第5波の急激に上昇したときには、いろんな条件があったから増えたんだろうという推測も成り立ったわけですが、逆の急激な減少については説明がつきません。確かに検査数が十分でないとか推測もされていますが、なぜここまでスムーズに減ったのかというところはむしろ逆に不可思議で不自然な減り方だと思います。ですので、逆にこの減り方に安心してしまってこのまま順調に減っていくと思われると、場合によってはこの後しばらくしたらまた上昇に転じる可能性があると思います。

松本氏は、検査数の陰謀論を持ち出すなどして、新規感染者数が急激に減少したという科学的事実を否定しています。明らかに科学倫理に反する発言です。

<事例2f>『羽鳥慎一モーニングショー』 2021/09/13

松本哲哉氏:減少傾向は間違いないと思います。ただ千人を超えるというレベルは第4波のピークとあまり変わらないのでしばらくは抑えこんでいくことが大事だと思います。知事会の制限緩和の提言は、このタイミングで本当にこういったことを示すべきなのか、もうちょっと感染症を抑えてからその上で言うべきだと思います。

急激に陽性者数が減少する中、またまた可能性を振りかざして知事会の提言を否定する松本氏です。

<事例2g>『羽鳥慎一モーニングショー』 2021/09/29

松本哲哉氏:状況としては落ち着いてきたのですけれども、このような安定した状況がどこまで続けられるのか冷や冷やした部分もありますので、本当にこのまま緊急事態宣言を全面解除でいいのか。

ある事象が発生する「可能性」があるのであれば、その事象が生起した場合の損害に事象の生起確率を乗じることでリスクを求めることこそ科学が行うべき評価です。松本氏は、感染者数が十分に低いレベルに到達しているにもかかわらず、「可能性」を振りかざして、緊急事態宣言の全面解除に反対しました。

専門家がこれだけ根拠に基づくことのない予測を繰り返し、ことごとく大ハズレしているのは、通常の科学分野では考えられないことですが、ワイドショーや情報番組は松本氏を起用し続けています。

このような無責任な専門家とマスメディアのスタンスこそ、コロナ禍というインフォデミックの元凶と言えます。彼らは感染拡大の可能性については常に訴え続けますが、この1年で急増している若者の自殺の要因がコロナに関連する可能性については全く触れません。

☆★☆★☆★☆★
公式サイト:藤原かずえのメディア・リテラシー