長年にわたり尾崎財団を支えて来られた森山真弓・前理事長の逝去
官房長官(1989年、海部内閣)や、文部大臣(1992年、宮沢改造内閣)、法務大臣(2001年、小泉内閣)等を歴任された森山真弓・元官房長官の訃報が一斉に流れました。
政府における要職はじめ司法(法務大臣)、立法(国会議員)、行政(労働省)と三権にまたがる経歴もさることながら、尾崎財団においては長年にわたり理事長の任を務められ、さまざまな活動を支えて来られた頃の印象が思い出深いです。
政治家という属性が性差で論じられることが今なお続く中、森山理事長はそうした論自体がナンセンスであった有能な議会人であり、そして歴代の内閣を支えた胆力の持ち主であったと改めて思います。その様は一昨年のアゴラにも寄稿させていただいております。
このたびの訃報に触れ改めて思うのは「なぜ森山さんは、政治家として先駆者たりえたのか」ということです。その来歴を紐解き、私なりの推論を添えたいと思います。
「道なき道を行く」開拓者との邂逅があった
2019年のアゴラ寄稿でも触れましたが、森山理事長の来歴は国会議員への当選前後を問わず、女性の社会進出におけるある意味でのエポックでありました。初の東大法学部卒業生、初の上級職官僚、そして初の官房長官など、つねに「女性初」の枕言葉がついて回ることは、本人にとっては誉である以上にどこか重たいものではなかったかと推察します。
そうした森山理事長と政治を語るうえで見逃せないのが、およそ半世紀にわたり尾崎財団を率いてきた相馬雪香の存在です。
尾崎行雄の三女でもあった相馬雪香といえば、わが国を代表する国際NGO「難民を助ける会」の創設者としても知られます。その経歴の原点は「わが国初の英語同時通訳」で、かつては安倍元首相の祖父・岸信介の随行通訳を務めたキャリアの持ち主でした。一方の森山さんは東大への入学前、極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトを経験。国際社会の最前線を経験した「同志」でもありました。
相馬自身も森山さんを妹のごとく可愛がり、激論を交わすことも少なくなかったそうです。
おのずと相馬の父・尾崎行雄について学ぶ機会も数多くあり、奇しくも尾崎と同じ入閣歴(文部大臣と法務(司法)大臣)、その中でも法務大臣を務めた際には「うちの親父さんが司法大臣だった時にはね」と教わることもあったとか。恐らくは「大浦事件」のエピソードを語り合うような場面があったのかも知れません。
相馬雪香との邂逅があったばかりではありません。生涯の伴侶でもあった森山欽司・元運輸大臣は、尾崎行雄とともに翼賛選挙を戦った鳩山一郎の法律事務所に務めていたこともあり、反骨の政治家としての素地を持ち合わせていました。
森山さん自身、単に優秀な官僚であるばかりでなく、伴侶や知己などを通じて、相当に骨太な「憲政の縦軸」をしっかり学ばれていたと察します。森山欽司大臣自身も鳩山一郎門下であるのみならず、運輸大臣就任時はそれまで受験資格が男子に限定されていた航空管制官、気象観測官、海上保安官などの五職種(いずれも現・国土交通省の管轄)を女子にも受験資格を与えるよう指示した、尖閣諸島・魚釣島にヘリポート建設を指示したなど、国土を守ることへの意欲も並々ならぬものでした。日ごろより政治家としての芯、あるいは軸といったものを養う土壌に恵まれていたとも言えます。
晩節の著書に垣間見た秘密。「つまり、政治家とは」
このたびの森山さんの訃報に触れ、久しぶりにもっとも最近の著作を読み返しました。もっとも初版は10年近く前、政界引退から2年後の回顧録になりますが、常に時代の先頭を走り続けてきた著者ならではの示唆を見つけることができます。
「つまり、政治家とは -激動の時代とともに-」(2012年、河出書房新社)
ずばり書名を指す項こそないものの、その第一部「政治家に必要なこと」には以下の章が続きます。
第一章 求められたことにどう応えてきたか
第二章 今の政治家に足りないものは何か
第三章 女性議員を増やす意味
全体の中身については書店等でお求めいただきたいと思いますが、その中でもある一節が目に留まりました。森山さんの逝去と前後して幕を開けた衆議院選挙においても参考になると思い、以下引用します。
私がそんなに立派なことをしたわけではないんですけれども、今の女性議員は一年生か、せいぜい二年生でしょう。そのくらいじゃあ何も思うようにいかないですよ。
だから、選挙に出るという覚悟をしたならば、長く続けてもらわなくてはならない。
2010年の参議院選挙で、私は上野通子さんという方(参議院議員)を応援したんです。当選したお祝いを言いに行った時、「さぁ、二回目の当選をしなきゃいけないわね」と云ったら彼女はびっくりしていました(笑)。「一回や二回じゃだめなんです。どんどん当選してキャリアを作っていかなければだめよ」と伝えました。初めて当選した人は大喜びで、自分としては精いっぱいやったと思っているでしょう。けれども、そんなことではだめで、「二回でも三回でも四回でも五回でも当選できるように頑張りましょう」と、よく言っています。(同書46頁)
わが国第49回目となる衆議院総選挙では、昨今のLGBTQの世相を反映し、各都道府県の公報でも性別を記載しないなどの配慮がなされているといいます。
前述の各章を改題するならば、つまりはこういうことが言えるでしょう。有権者の期待にどう応えていくか、今の政治家に足りないものを先人の足跡からいかに学ぶか、そして女性議員に限らず「ポリティカル・マイノリティ」つまり政治的少数者をいかにして増やしていくか、当たり前にしていくか。
偉大な先駆者の逝去を悼むとともに、その足跡に触発されて「よし、私も続こう」そう思っていただける政治家の誕生を願ってやみません。