「がん宣告から12日後の妻との死別 『遺された僕』を変えた3児の子育て 2歳、6歳、11歳と修羅場の毎日」という記事が一週間ほど前のヤフーとWithnewsの共同企画として掲載されました。かなりの反響があったようでヤフーのコメントも膨大な数となっているようです。
長いストーリーですが、要約すれば幼い3児を残して母親ががんで先立たれ、雇われ社長をしていた父親の長くつらい奮闘記です。最後は仕事と家庭の両立ができず、「社長の代わりはいるけれど父親の代わりはいない」として社長を降り専業主夫になったという話です。
シングルファーザー。あまり話題になることはなかったのですが、私は支援している高齢者介護事業の絡みで奥さんに先立たれたケースや奥さんが認知症になりご主人が面倒をみているケース、さらには老々介護などを実際のケース、さらには様々な書籍など読み物を通じて勉強させていただいています。
上記の企画記事の端々に見えるのは「夫は仕事、妻は家事」という家族内役割分担が破綻した時の衝撃であります。仕事に専念する夫の日々はある意味、狭い枠組みの日常です。同じような時間に会社に行き、同じような社員とやり取りをし、業務を行い、時として社員と酒を飲みかわし、子供が寝静まった頃に帰る、これが典型的パタンだと思います。もちろん、若い世代では家事への取り組みはもう少し増えていると思いますが、時間的制約が家庭内分業への障壁となっていることは確かです。
数年前、「母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記」(松浦晋也著)という書を読んだときも衝撃でした。日経BPで科学ジャーナリストを務める著者の母親が認知症になり、自分の人生でまるで無縁だった世界に選択の余地なく入り込み、必死の日々介護をする姿はたまらない切なさを感じました。なぜ男が子育てや介護をやることになると驚きがあるのか、それはまるで遠い世界が「まさか」という形で訪れ、それまでの人生設計をすべて狂わせるからです。私に母親の下の世話ができるか、と言われれば「オーマイガッド」としか言いようがないのです。
だいぶ前ですが、私の知人の妻がノイローゼで自殺しました。幼い女の子一人残し、夫の奮戦がはじまります。時々父子と食事をしながら様子を伺っていたのですが、子供の洋服は破れてどう見てもきれいとは思えません。娘は小学校2-3年だったのですが、日本語も英語も中途半端です。夫は明らかに苦しんでいました。私はできるなら再婚をした方がいいと言ったのですがそう簡単に相手が見つかるわけありません。数年後、父子は日本に帰国しましたが、妻の実家からは娘を死に追い込んだとして残された子供も含め一切の縁を切られます。自分の実家からも勘当まがいの状態だと聞いたところで連絡は途絶えました。彼はまだシングルファーザーをしているのだろうか、と時々思い出すのです。
男と女。社会的政治的には平等が当たり前ですが、生理学的にはもちろん、全然違います。そもそも男は不完全な物体であって幼少期も病気しがちだし、言葉の発育も遅い。しっかりした子ねぇ、というのは女児のことで男児がそういわれることはあまり聞きません。男はある部分においてぶきっちょで深掘りが得意。女性のようにSNSが生まれる前から「井戸端会議」で情報交換をしながら生活の知恵を着実に蓄える器用さもなし。歳を取ればもっと始末に負えない頑固じじぃとなり、戸山や高島平の団地の鉄の扉の奥に一人籠もり、外出は弁当を買いに行く時だけという社交ゼロの寂しい人生の最終路が待っています。
そんなぶきっちょな男が器用になる方法はあるのか、といえば少なくとも私は少しは救われたと思っています。理由は社長をやるようになって時間的融通が利くこと。通勤時間が3分なので24時間をフル活用できることもあり仕事以外の家事でもごく普通にこなします。重曹を使って水垢のついたキッチン用具をきれいにする5分なり10分間の無になれる瞬間が好きだったりします。そもそもミニマリストなのでモノがないから散らかしようがないということもあります。
シングルファーザーになって将来苦しまないハウツーなんてないけれど私の人生経験から敢えて言うなら「仕事に逃げるな」だと思います。「家事のABCを理解せずして『デキる男』にならず」というのが持論です。はは、ちょっと格好良すぎかもしれません。だけどいざとなったら私もどうするのか、考えるだけで不安一杯です。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年10月24日の記事より転載させていただきました。