佐倉市議会議員というよりは、一国民として今回の選挙を総括したい。
国防という観点でいえば、極東情勢の緊迫化に際して、これまでの安全保障体制を強固なものにしようとする勢力が勝ち、現状変更を目指す勢力が負けた選挙であったように思う。
もちろん、国の安全保障政策は多角的な視野に立つべきだし、アメリカを盲目的に信じ突き進むことが「正しい道」ではない。
とはいえ、日本は現在、中国、ロシアをはじめとする権威主義的な価値観を共有する立場にないし、中長期的にもその方向を模索する判断はすべきではない。バランス外交は必要である一方、戦争という最悪の状態を回避しつつ、日本国民の価値観を永続的に守る「理にかなった」外交政策として、これまで自民党が進めてきた方向がおおむね支持されたと考えられる。
多くを語る必要もないが、立憲民主党は「日米安全保障条約の廃棄」を掲げている共産党と「候補者選定」という民主主義の根幹の部分を握りあう選挙協力をした。仮に彼らが政権をとった場合、日本の外交はどうなるのか。外交政策の失敗は、本物の地獄を現出せしめる可能性がある以上、政治的に中立な立場にある国民にも受け入れられなかったと考える。
他方で、多くの日本国民に「驕り高ぶっている」自民党に対する嫌悪感が広がっていたことも否めない。桜を見る会に対する一連の処理や、河井夫妻の金銭スキャンダルといった「嫌らしい後味」が残る事案が多数発生したことは、「権力は腐る」ことを国民に思い出させるに十分だったのではないか。甘利議員などの党の重鎮が苦汁をなめたのも、このような国民の意識の表れと考えるべきだろう。
確かに、スキャンダルは政治政策の本質ではない。本質ではないが、「汚い行い」に対する嫌悪感は広く共有される。その結果、汚さを背景とした政治は、国民の「納得感」を著しく損なうものとなる。その批判票が、今回の日本維新の会の躍進につながったという見方もあるだろう。しかし、今回の自民党の敵失が、維新の躍進の主たる要因だったとはいえないのではないか、というのが私の意見だ。
改革政党維新の真価が問われるとき
池田信夫氏をはじめ、維新が主に西日本で勝利したという点について、「ローカル色が抜けない」という文脈で批判的な扱いをする論者は多いが、そうだろうか。
今回の維新の勝利が「日本に広くあまねく」発生したものであれば、上記の私の分析にみるような「自民党の敵失」という風に乗った勝利と考えることも可能だが、彼らの小選挙区の勝利は主に「彼らの本拠地」である西日本で発生した。これはつまり、地方議会における彼らへの信任が国政に反映した、という「足腰の強さ」の現れではなかったか。
加えて、彼らの「保守サイドからの改革政党」という立ち位置が、国民に支持されたもう一つの要因だろう。残念だったのは、彼らが唱える「改革」がどのようなものか、国民に広くいきわたらなかったという点だ。良きにつけ悪しきにつけ、「なんとなく改革」というイメージが先行している状態が「今の維新」の在り様だと考える。
さらに言えば、これまでの維新は、人材難から質の悪い政治家を多数生み出してきたことも記憶に新しいところだ。政党は、急拡大したときこそ脆い。
その意味で、彼らの躍進が本物であるかどうかを見極めるのは、彼らがなす今後の政治次第ということになるだろう。