衆院選は勝者なき選挙であったとして反省する事が飛躍の条件

多田 芳昭

2021年10月31日、衆議院選挙にて審判が下された。最終的には与党の絶対安定多数獲得の勝利との結果だが、果たして事前予想は、ほぼ大外れと言っても良かった。

一部朝日新聞だけは、異なる予想を報道していたが、恣意的だと非難される程であり、他の報道は概ね自民の単独過半数微妙、立憲140前後という予測が主であった。これはマスメディアだけでなく、多くのネット系情報番組でも同様、いや寧ろネットの方が厳しい予想であった。そんな中、竹田恒泰氏は与党横ばいを予想していたが、一際異彩を放っていたのは事実であった。

岸田文雄氏 Facebookより

私自身はこれらの予想に違和感を持ち、同時にこの予想通りになれば日本の民主主義が機能不全に陥りかねないと危惧していたが、杞憂に過ぎなかった。しかし、この結果を分析し、各党が自省した上で今後の活動に反映しなければ、ある意味今まで以上に厳しい国民の審判が下るだろう。

政権与党の責任と反省点

まず、自民党。筆者の持論だが、国家の有事に緊急事態対応を迫られた政権は、その後一旦下野し、緊急事態対処に関して是非の審判を受けるべきだと考えている。つまり、緊急事態宣言を連発し、結果良かったとはいえワクチン接種における超法規的措置を実施したので、この総括が必要と考える。

東日本大震災時に当時の民主党は、実質上の超法規的措置として原発を全停止させた。その他、Fukushima50に描かれる様な、政権の迷走ぶりが各関係者からも多数報告されている。しかし、未だ何ら総括されていない。翌年、総理交代で疑似政権交代とされるとしても、総括なく反省も無いまま、信頼失墜し下野し、悪夢と呼ばれる政権として未だに多くの有権者は許していないと言うのが現実であろう。

従って、自民党も今回、下野、或いはそれに類する状態から、総括し、再出発が必要と考える。単独安定多数確保は、自民党を下野させると代わりに政権を担う勢力が無いとの判断に過ぎず、本気で総括しないと大きな地殻変動が起きかねないだろう。

不発の野党共闘

次に、野党共闘、立憲・共産・社民・れいわ、その中でも立憲民主。筆者は、もう一つの勢力、マスメディアを加えた、反自民共闘であったと考えている。

ここ最近の反自民の共闘は凄まじく、兎に角何かにつけて批判、非難が酷かった。しかし、余りにも露骨すぎて逆に信頼を失ってしまったのではないだろうか。

同時多発的に発生している自分達の不祥事や失言は棚上げし、余りにも見苦しい言い訳を繰り返し、反省の色を見せない姿勢で、ダブルスタンダードの自民党攻撃は少し度が過ぎた。

スキャンダル追及も『説明していない』『説明不足』といくら言っても、事実説明は為されていても、自分達が期待する答え『逮捕』『議員辞職』以外は答えと認めないと言わんばかりの追及は、日本の司法に対する冒涜、立法府としての責任放棄、メディアの傲慢に見え始めている。

そして加えて政権担当能力の基本中の基本である、防衛・外交面に関して、実態とかけ離れた政権公約を堂々と掲げられる時点で、有権者はノーと言ったのだろう。

これまでは、それでもマスメディアが情報配信を独占し、自身で情報取得するマイノリティ以外は、多かれ少なかれ洗脳されても仕方がない状態に晒されていた。特に、ある年齢以上はマスメディアの影響を大きく受けていた。ところが最近の若年層はテレビや新聞離れで、ネットの情報を主とする傾向が強い。

ネットでの言論活動は実はリベラル系の方が先駆者で保守系はお寒い程度でしかないのが実態だが、それでも玉石混交のネット空間では情報殲滅は困難、寧ろ論理的でない意見に対する違和感が増え、若年層の保守系支持率が高い事が知られている。若者が投票に行くと自民党に有利になる状況になっているのだ。

選挙翌日取材に応じる枝野幸男氏 立憲民主党HPより

筆者の事前予測では立憲民主は半減して、第一野党の座も微妙と一部では言っていたのだが、実際はそこまでは落ち込まなかった、これは選挙区調整の成果かも知れない。しかし、そんな短絡的な戦術では、有権者の信頼は失墜するだけであろう。ここは、事実を受け止め、反省をして、スクラップ&ビルド、一旦解党し現執行部総退任しての出直し、再編ぐらいしないと先はないだろう。

実は、小選挙区立候補者の中には、地元に根付き、信頼も得ながら、これらの事実も踏まえた、しっかりとした考えを持つ候補者も多数いる。それだけに、再編再起を期待したい。

第三局に成り切れない勢力

次が大躍進の維新。どこを見ても大躍進という報道一色だが、筆者は物足りないと考えている。今回の選挙は、自民党にお灸をすえる絶好のタイミング、左派系野党は余りに極左に寄り過ぎて、しかも前述の様に信頼失墜の状況で、票の行き先が無かった。加えて、国民民主も絶好のチャンスでありながら、今一つ煮え切らないで、躍進する気も見えてこない。

過去最高の議席数を超えて、失墜する立憲民主と肩を並べ、或いは、抜けるチャンスではなかったのだろうか。物事には順序があって、一旦足場を作って、次が狙い、と考えているのなら甘すぎる。取れる時に取る、最大に勢力を広げる、チャンスがある限り最大を狙うべきではないのか。

地方の首長を抑えて地方行政を通じて地元民の信頼を得る戦略と言うなら、何故全国の首長を抑えに行かない。国政を担うには、地方では出来ない、防衛・外交をもっと前面に出さなければならない。今のままでは、所詮地域政党に過ぎない扱いになってしまう。

維新が本気で強くなり、小石河連合を向かい入れ、彼らに足りない経済安全保障なども改革路線の中で補完するぐらいになれば、本当の意味での政権交代可能な2大政党制に日本も近づくかもしれない。

この様に考えると、今回の衆院選の勝者はいなかった、と考えるべきであろう。
そして、その反省を活かした勢力が、次に躍進する権利を持つのだろうし、そうなる様に様々な機会で言論という武器を用いて政治に関与する質・量を高めるべきなのだ。

それが有権者の責任であろう。